第六話 第一歩
「じゃあ、行ってくる」
次の日の早朝、花屋の前でナインの見送りにフィーアはいつもと変わらない調子で挨拶をしていた。だが、その恰好はいつもとは違う。
動きやすさを重視して、軽く丈夫な特別な金属でできた脛当てと籠手を身に着け、その背に身の丈ほどもある黒曜石の大剣を担いでいる。その懐かしい姿にナインは目を細める。
黒い炎を纏う殲滅者――軍で生きていれば、いつの間にか二つ名が付くものだ。いつどこで誰が付けたのかはわからないが、その名前はいつの間にか広がっていく。戦いに出ることは少なく、主に後方支援であるナインにも“修理屋”という何とも喜んでいいのかよくわからない名前が付いている。
ナインは軽く瞳を閉じてゆっくりと開く。灰色の瞳がゆらりと揺れる。それは、別れを悲しんでいるかのように。
「シェイラ」
ドキリとするほどの真剣みを帯びた声に、シェイラは表情をわずかに硬くしてナインを見る。
「貴女に地獄の炎の加護があらんことを」
「地獄の……炎……?」
シェイラは不思議そうに首をかしげる。地獄の炎の加護なんてものを聞いたこともないからだ。普通なら、“女神の加護”を人は言うはず……それに、地獄といえば加護というよりは呪詛と同じ類なのではないだろうか。怪訝な顔をして見せると、ナインはクスリと小さく笑ってみせる。
「私たちの国では別れの時、そう言うのよ」
「そう、なのね。知らなかったわ」
「ふふふ。……さて、もう行きなさい」
二人はナインに見送られながら、村を後にするのだった。
「都まで本当に歩いていくの?」
村を出て数時間。二人は徒歩で風の都へと向かっていた。風の都はこの風の領土で一番大きな町であり、フィーアのいた馬車で一日はかかる場所にある。普通に考えれば、徒歩で向かうところではない。
だから、徒歩で向かうというシェイラにフィーアは問いかける。別に歩いていくのは構わないが、それでは時間がかかってしまうと思ったからだ。
「歩いていくわ。たとえ何もない道でも、私は歩いていきたいから」
「そっか。なら、のんびり歩いて行こう!」
二っと太陽のような笑みを浮かべたフィーア。日差しというよりは炎をそのものを目の前にしているかのような熱さにシェイラは横に一歩距離を取った。
苦い表情を浮かべるシェイラに、フィーアはハッとして言葉を続けた。
「あ、でものんびり行ったらダメか」
たはは、と後頭部に手を当てれば、シェイラは小さく首を横に振る。
「別にのんびりでいいのよ。急いではいないから」
「そうなの?」
「ええ。確かに最終的には花の都に行きたいけど、時間はかかっていいもの」
シェイラはそう言いながら、道端に生えている花を愛おし気に見つめる。その青色の瞳はどこまでも慈愛に満ちていて、フィーアはそんな彼女の横顔をボーっと見つめていた。
白い花弁がそよ風に吹かれ、小さく揺れている。
「貴女、花屋さんの居候なのよね。この花の名前、わかる?」
白い花を指さされ、フィーアは花へと視線を落とす。ユラユラと揺れるそれは、確かに綺麗だがナインであれば売り物とすることはない種類だろう。それほどに、どこにでもあるありふれた花であった。
「わかんない」
「まぁ、売り物にもならない野草だものね。これはシシラと言って、春に咲く花よ。根っこを煎じてたお茶は蛇毒を中和する作用があるの」
「へぇ、そうなんだ! シェイラって物知りなんだね」
感嘆の声を漏らしながらフィーアはシシラの傍にしゃがみ、興味深そうに観察すると、おもむろにそれをブチリと地面から引き抜く。
声を出す間もなくシェイラが呆気に取られていると、フィーアはシシラの根っこを見せびらかす。そして、軽く土を払うとそれを――花ごと口の中へと放り込んだ。
止める間もなく、彼女は数回咀嚼した後飲み込むと、首をかしげた。
「んー、あんまり美味しくな――」
「何食べてるの! 早く吐き出しなさいッ」
シェイラが慌てた様子でフィーアの胸を肘で叩く。まずそうに顔を顰めていたフィーアは突然の衝撃に激しく咳き込み、喉を下ろうとしていたソレを吐き出す。シェイラは彼女が完全に全て吐き出すまで胸を叩き続けた。
「げほっ、げほっ……い、いきなり何を……っ」
「いきなりなにはこっちのセリフよ。シシラの花びらには毒があるのよ。花びら一枚で全身がしびれてそのうち息ができなくなって死ぬぐらい強力なものが」
シェイラの顎を掴み、口を開かせ花びらが残っていないかを確認すると、ほぅ、と息をつく。無邪気な顔でいるフィーアから離れると、ため息交じりに睨む。
「まったく、やめてよ。出発して早々……傭兵が敵に襲われたでもなく自滅するなんて……」
「ははっ、ごめんごめん。気を付けるよ」
屈託のない能天気な口調の彼女に、シェイラは“またやるんだろうな”と胸の内で返す。ナインの忠告はただの冗談かと思っていたが、事実だった。まさか、何の躊躇もなく、未知の物を食べることができるなんて。
シェイラの胸に不安の風が吹く。ものすごく腕が立つと聞いて雇ったのはいいが、こうも無防備というか何も考えていないというか。身の丈ほどもある重そうな大剣を平気そうな顔で担いではいるが、本当に大丈夫なのだろうか。
それに先ほどから、彼女からはなんだか違和感を感じる。それが何なのかわからないが、漠然とした違和感。
「……? シェイラ、どうかした?」
水で口をゆすいだフィーアがシェイラの顔をのぞき込む。お互いの吐息がかかるほどの距離。意識を戻したシェイラはまさかそんな近くにいると思わず、驚いて一歩身を引く。
「……別に何でもないわ。さっ、行くわよ」
「はーいっ」
にこにことしている彼女に、シェイラは言いようのない不安を覚えながら先を行くのだった。
「今日はこの町で休憩しましょう」
時刻は夕方。風の都まで半分というところで、二人は道中の町で休息をとることとなった。フィーアがシェイラと出会った町よりも少し小さいからか、人通りはそこまで多くはなく、落ち着いた風が流れていた。
「いやぁ、のんびりと言っていた割にはなんだか早く着きそうだね」
「そうね」
シェイラは時折立ち止まり、くるくると足首を回す。歩きやすい靴を履いたつもりだったが、歩き慣れてないのに少し歩きすぎただろうか。足がだるくなり少し痛みも出ている。だが、それを顔に出すことはしない。そもそも、表情筋が硬すぎる顔では出したくても出ないだろう。
歩きすぎて疲れたせいか、空腹を感じないシェイラ。だが、隣の彼女はきっとお腹を空かせているだろう。軽く町を見回す。何か食べ物はないかと、一軒の果物屋に並べられた売り物に目を止める。
「ねぇ、ナナハルという果物を貴女は知ってる?」
「ナナハル? なにそれ?」
首をかしげる彼女を連れ、シェイラは果物屋に並べられている果物を一つ手に取る。真っ赤なこぶし大のそれはツルツルとしていて光を反射している。うっすらと甘い香りがするそれを、フィーアは見たことがなかった。
興味深そうに見ていれば、シェイラがほんの少し得意げに説明を始める。
「これはナナハルと言って、北の国でもある水の領土で食べられている果物よ。栄養がとても高くて皮ごと食べるの。一部の水領土ではこれを米やパンの代わりの主食としているところもあるそうよ」
「へぇ! 凄い! じゃあ今日の夜ご飯はそれってわけだ」
「そうよ。さっぱりとした味で食べやすいし、疲労回復の効果もあるから今日みたいにたくさん歩いた日には最適よ」
そう言ってシェイラは四つほどナナハルを店主へと渡す。
「はいよ、まいどあり。それにしても、嬢ちゃんナナハルのこと詳しいな。もしや、水の領土から来たのかい?」
ひげ面に人の好さそうな大柄な店主は紙袋を手渡しながら気さくに話しかける。フィーアはシェイラから渡された紙袋から早速ナナハルを一個取り出し齧る。そして、パァっと顔を綻ばせた。
店主はフィーアの表情により一層、嬉しそうにする。シェイラは横目で美味しそうに食べる彼女を見ながら首を横に振って答える
「いいえ、正真正銘風の領土出身よ。ただ、前に読んだ果物図鑑に載っていたから覚えていただけのことよ」
「はっはっはっ! そうかそうか! いやぁ、俺は水の領土出身だから、ナナハルのことを知っている子がいて嬉しいよ。風の領土じゃ、知っている奴は少なくてな。ほれ、これはオマケだ。そこでうまそうに食っている嬢ちゃんと一緒に食べな」
店主に差し出された緑色のナナハルを受け取ったシェイラは「ありがとう」と言って、フィーアの持っている紙袋へと入れる。
「それはまだ若いナナハルだ。熟したやつより酸っぱいが、そのかわり芯が柔らかくてすっげー甘いんだ。水のほうじゃ、こっちもよく食われてんだ……まぁ、こっちの人間にはあんまり評判は良くないが」
かっかっか、と豪快に笑う店主に見送られ、二人は宿へと向かう。フィーアはナナハルをしゃくしゃくと食べ、残った芯をも残さず食べる。相当硬いそれは、バリボリという音を立てている。
「硬くないの?」
真っ赤に熟したナナハルの果実を食べながら、シェイラは隣でバリバリと芯を食べるフィーアを見上げる。ナナハルの芯は石のように硬く普通であれば食べれた物ではない。だが、当の彼女はまるで、クッキーでも食べるかのようにかみ砕き、飲み込む。
「全然。でも、芯は味がしないんだね」
「きっと、甘みが実のほうに出ているのでしょう。こっちは少し酸っぱいけど、芯は甘いそうよ」
「そうなの? ……ぬっ。す、すっぱい……」
青いナナハルを食べたフィーアは思いきり顔を顰める。そして、そのすっぱさを誤魔化すようにシャクシャクと食べ、芯も食べる。と、フィーアは大きく目を見開いた。
「わっ、すっごく甘い! 砂糖みたい」
もぐもぐと食べるフィーアは楽しそうに笑う。シェイラはそんな彼女をただ見上げながら果実を齧っていた。
――そんな時だった。
今までニコニコと楽しそうにしていたフィーアの雰囲気が変わる。それはまるで、夏から冬へと変わったかのように。気付いたシェイラは思わず食べる手を止める。
「なにか――」
「変なのにつけられてるけど、シェイラの知り合い?」
そう言って顔を近づけ、ぱくりとシェイラの持っていた赤いナナハルの芯を食べたシェイラ。その夕焼け色の瞳はいつものような快活さは影を潜めていた。見続ければそのまま沈んでいきそうな沼のような瞳に、シェイラは首を横に振った。
フィーアの瞳に穏やかな風が色となって浮かぶ。その視線にシェイラは一瞬だけ、心を奪われそうになった。
「いいえ。私に知り合いはもういないわ」
「そっか」
フィーアは体勢を戻し視線を前へと向ける。シェイラは振り向こうとする気持ちをグッと抑えると、隣の彼女に合わせて歩く。
「そのまま歩いてて、そこの路地に入るから。そしたら、すぐに私の後ろに隠れて」
「わかったわ」
二人は適当に何気ない会話をしながら、自然な様子で路地裏へと向かう。その間も後ろの気配は一定の距離を保ちながら二人の後をついてくる。シェイラは口を引き結んだまま、ただ前を見る。フィーアはチラリと隣を一瞥した後、シェイラの背中をそっと押して路地裏へと入ると同時に振り向いた。
「誰?」
シェイラが見えないように後ろ手に隠したフィーアは、響くような声を出す。と、路地裏へと二人の青年が入ってくる。人のよさそうな笑みを浮かべているが、二人はその青年たちが自分たちにいい感情を思っていないことに気付いていた。
「へへっ、いやいや、可愛いお嬢さんたちを見かけちゃったもんでついつい追いかけちゃったのさぁ」
「そうそう。声をかけようと思ったんだが、どうしても気後れしてしまってねぇ」
冒険者だろうか、腰に剣を下げ皮の防具を身に纏った二人の青年は、舐めまわすようにシェイラたちを見る。そのまとわりつくような視線をフィーアの背中から顔を出してみていたシェイラは嫌悪感を抱くと同時に心の高鳴りを覚えていた。
この状況はまるで、冒険小説でよく見るパターンじゃないか。盗賊などに絡まれ、主人公がそれらをなぎ倒し改心させたりするシーン。相手が盗賊と呼ぶには少し役不足だが、シェイラは物語の登場人物と同じ場面に出くわしているというだけで十分。
表情はあまり変わっていないが、その青い瞳は新しいおもちゃを見つけた子どものようにキラキラと輝いている。が、シェイラ以外の人間は誰も気づかない。
フィーアは両腕を組むと、感情など浮かべず二人をじっと見据えていた。その頭の中は“目の前の二人をどうするべきか”と考えている。
黙ったままでいるフィーアに青年たちは苦笑を浮かべると、一歩距離を詰めて親し気な様子で片手を上げた。
「どうだろう? 僕たちとこれから食事でも」
「そうそう、いい店を知っているんだ」
「……どうする?」
青年の言葉の後、フィーアは背後にいるシェイラに顔を向ける。明らかに、ただの食事目的ではないとシェイラは確信している。ついて行けばきっとよくない目にあう。だが、ここで断ったところであの二人はおとなしく引き下がってくれるだろうか。
物語の登場人物の心情が頭の中に浮かぶ。シェイラは静かに首を横に振ると、フィーアの横に出て丁寧な口調で断った。
「申し出はとても嬉しいけれど、私たちもう食事は済ませているの」
「なら、お茶だけでも」
「ごめんなさい。今日はもう疲れているから帰らせてもらうわ」
丁寧に穏やかな声。だが、少女とは思えない有無を言わさない迫力がある。青年たちは一瞬、グッと引き下がろうとしたが――
「けっ、下手に出れば生意気な口ききやがって」
そう言って青年の一人が腰の剣に手をかけたその時だった。
一陣の風が吹く。
そして、男たちの動きが止まる。
理由は簡単である――彼らの首から上がなくなっていたからだ。
ゆっくりと、仰向けに倒れると同時にそれはサラサラ、と灰になって跡形もなく消えてしまう。まるで、燃え尽きた薪が風に攫われなくなるかのように。
シェイラは呆気に取られしばらく動けなかった。いったい何が起こったのか、ソレを理解する前に青年たちがいた場所には大剣を背中に担いだ彼女が――
「さて、邪魔者は消えたし宿にいこっか」
何事もなかったように、二っと歯を見せた後、踵を返して歩き出す彼女の姿。シェイラはそんな彼女の姿を見ながら、とある物語に出てきた無敵の狂戦士を思い浮かべていた。
だが、シェイラは知らない。前を歩くフィーアがハッと何かを思い出していたことを。そして、やってしまったという色をその顔に浮かべていたことも。