第四話 銀色に輝く
次の日、フィーアは朝食を済ませるなり、本来の目的である配達を達成するべく、とある貴族の屋敷の前へとやってきていた。大量の荷物を横に置き、ベルを鳴らす。
ジリリ、という小さな音の後に屋敷から一人のメイドが出てきて、フィーアの姿を見るなり柔らかい微笑を浮かべて門の前までやってきた。
「注文の品、持ってきました」
「フィーアさん、ご苦労様です。お待ちしておりました」
丁寧すぎるほどのお辞儀を見せる女性。彼女は確か、メイド長で十年以上もこの屋敷で働いているベテランだ。そんな彼女が配達を取りに来るのは普通に考えて珍しい。それほどに、この荷物を待っていたということでもあるのだろう。
花好きな貴族の屋敷は門の外からでもわかるほどに濃い花や木々の香りでいっぱいだ。フィーアは身長よりも高く積み上げた荷物を両手で軽々と持ちあげると、開かれた門の中に足を踏み入れ、メイドの後をついていく。
「ナインさんはお元気ですか?」
「元気だよ。毎朝私のことを蹴り飛ばして起こしてくれるぐらいには」
「ふふふ、フィーアさんは相変わらず朝が苦手なのですね」
「だからって、蹴らなくてもいいよね」
メイドは微笑む。その優雅な眼差しと声はメイドではなくどこかのお嬢様のようだ。
「今度、ぜひナインさんも連れてきてください。二年前に埋めたエリシマムがやっと咲きそうなんですよ」
確か、春に咲き始める花で、種から花が咲くまでに二年もの時間がかかると言われる。その色は鮮やかで美しい花だというのをなんとなく覚えていたフィーアはナインの顔を思い浮かべる。
ずっと、村の花屋にいて、ほかの町や村に行くことのない彼女。たまには外に連れ出してやるかとフィーアは笑みを浮かべつつ頷く。
「そうだね、今度ナインに言ってみるよ」
「その時は連絡くださいね。美味しいお菓子を用意しておきますから」
「やった!」
素直に喜ぶフィーアをメイドは優しく見つめる。その穏やかな空気はフィーアには貴重でとても安らぐ時間だ。でも、フィーアはそんな時間の中でも頭の中にはシェイラと過ごした時間が絶えず再生され続けていた。
もう、あの時間は来ないのだろうか。フィーアは彼女が最後に言い残した言葉が脳裏に浮かぶ。
――きっと、もう会えないでしょうね。
その時の風や町を歩く人々から、彼女の青色の瞳に浮かんでいた暗い色まで。それら全てが鮮明に、まるで今見ているかのように再生されている。
「……フィーアさん?」
ハッとし、声のした方へと顔を向ければいつの間にか倉庫にたどり着いていたようだ。心配そうにフィーアを見るメイドへとはにかんだ彼女は荷物をいつもの場所へと置く。
特に疲れなど感じていないが、心配そうな彼女の視線から気を逸らすように「ふぅ」と大げさに腕で額の汗をぬぐう動作を行う。
メイドは何か言いたげな顔をしていたが、フッと力を抜くとクルリと踵を返して倉庫を出てフィーアへと振り向く。
「フィーアさん行きましょうか」
「あ、うん」
フィーアは倉庫を後にする。メイドはにこりと笑うと、そのまま先を歩きだした。
荷物の乗っていない馬車を町にある大きな建物の前に止めたフィーアは欠伸をする。
リレットとの約束までにはまだ時間がある。昨日と変わらず行きかう賑やかな人々を御者台から見下ろしながら、またフィーアはシェイラのことを考えていた。
(……なんで、私はあの子のことばかり考えているんだろう……)
ここまで他人のことを考える自分に驚く。まるで、自分が自分ではなくなったような奇妙な感覚。フィーアは目を閉じて静かに深呼吸を繰り返す。
いろんな匂いが鼻を撫でていく。食べ物のニオイ、微かに匂う砂埃、行きかう人々のニオイ。その一つ一つが村で感じるものとは違う。村は人の匂いが薄く、自然の匂いが強い。だが、人工物に囲まれたここは自然の匂いが薄い。
嫌いではないが、どこか窮屈に感じる。
(早く帰りたいな……)
人々の声がだんだん煩わしく感じてきた頃、大きな建物からリレットが出てくる。来るときには持っていなかった大きなカバンを抱えた彼は、フィーアを見るなり申し訳なさそうに苦笑を浮かべて早足で馬車へとやってくる。
「すまないフィーア。待たせたね」
「いーや、全然待ってないから平気だよ。それより、もう用事は終わったの?」
「ああ、無事終わったよ」
そう言ってカバンを軽く掲げて見せる彼は実に機嫌がよさそうだ。フィーアは軽く首をかしげて「ふーん」と興味なさげにカバンを見る。と、彼は目を細めると荷台へと乗り込む。
肩越しに確認すると、ネイテルへと「行こうか」と声をかけてフィーアは馬車を走らせる。行きよりは少し早めに、村へと向かのだった。
軽快な足取りでネイテルは道を歩く。町を出れば、賑やかな人々の声は次第に遠くなり、代わりに風のそよぐ音と優しい風の音が聞こえてくる。
フィーアは手綱を軽く握りつつ、空を見る。春の空は穏やかで、爽やかな夏やどこか寂しい秋、きりりと澄んだ冬とは違った顔をしていた。薄いベールのような白い雲は緩やかな速度で流れていく。
何とも平和な帰り道。町の果物屋で買った“スプリングベリー”と呼ばれる果物を口の中へと一粒放り投げる。紅いそれは果肉に種がついているため、噛めばプチプチとした感触と共にじゅわりと甘酸っぱい果汁が口の中に広がっていく。
名前の通り春の季節にだけ売りに出されるそれは、フィーアのいるここ風の領土では広く一般的に親しまれている物だ。お菓子の材料に使われることも多く、その絶妙な甘酸っぱさは大人から子どもまで嫌いだと言う人は少ない。
(リレットから貰った金貨を使って、いつもじゃ絶対に買わない高い奴を買ったけど……こんなに味が違うんだ)
そう、彼女はリレットから貰った金貨を使って、スプリングベリーの中でも一番の高級品と呼ばれる――スプリングクイーンという物を買ったのだ。
今までの物がかすんでいくほどの美味しさに舌鼓を鳴らしていると、いつの間にか村が見えてくる。手元の紙袋を見れば、山ほどあったそれはなくなりかけていた。
フィーアは残りを食べたい気持ちをグッと堪えると、袋をの口を閉め、脇に置く。ブルル、とネイテルが鼻を鳴らし、歩く速度を速める。
花屋に馬車を止めると、ネイテルはブルブルと鼻を鳴らしながら首を振って、“早く自由にしろ”と訴えてくる。馬車から降りた二人は顔を見合わせて苦笑を浮かべると、フィーアは手早くネイテルに着けていた皮具を外し、馬小屋へと戻す。
その際に、町で買っておいたニンジンをネイテルへと食べさせ、首を筋を撫でてあげながら「ありがとう」とお礼を言う。
「おかえり」
リレットと別れたタイミングで、花屋からナインが姿を現す。
「ただいま」
「ありがとね。リレットさんのこと」
「いいよ気にしないで。おかげで美味しい物が食べれたから」
そう言ってフィーアは懐から果物の入った紙袋と余った金貨の入った布袋を渡す。受け取った彼女は一瞬、馬車のほうをちらりと見た後、渡されたそれの中身を確認するとパッと表情を咲かせた。
「どうしたのよこれ」
「なんか貰った。いろいろと買って食べたりお土産も買ったりしたんだけど使いきれなかったからあげる」
「そう……」
ナインは紙袋の中身を見ながら嬉しそうにしていることに気付いたフィーアは、“もう少し多めに残しておけばよかったかな”と胸の中で思った。
金貨に喜ぶのはなんとなく予想していたが、まさか金貨よりも果物のほうに喜ぶのは予想外だった。彼女の好きなものをフィーアは知らない。が、二年も一緒に暮らしていると、普段はクールな彼女が普通より高い果物にああも喜ぶとは思えない。
「もしかして……その果物、好きなやつだった?」
フィーアが訊く。と、ナインは何か言いたげなまなざしを向けた後、はぁと太息を吐く。
「……嫌いではないわ。ただ、貴女が食べ物を他人に分けるなんて意外だなって思ただけよ」
そう言うと、花屋の中へと戻っていく。フィーアは首をかしげながらも彼女の後を追う。その時、彼女の鼻腔に薄く、嗅いだことのある香りに思わず立ち止まる。
脳裏に浮かぶ少女の顔。閃光のように掻き消えていくそれを探すように辺りを見回すが、当然のごとくもう一度会いたいと願う彼女はどこにもいない。フィーアは空を見上げ、視線を落とす。
「はぁ、私……病気なのかな」
一人呟く。と、花屋の奥から声が飛んでくる。
「フィーア、貴女暇ならちょっと森に行ってきて」
「え、なんで?」
店の奥をのぞき込むと、売り物の花の具合を確かめている彼女の後姿がある。一緒に軍にいたころはもう少し張り詰めた空気を纏っていた彼女の背中は昔より少し、緩んでいるように見えた。
「森に魔物が出たらしいのよ。コォトさんが見たんだって。どうせ、ビッグラビットだとは思うんだけど、念のため見てきてちょうだい。ビッグラビットだったら、殺して持ってくれば今日の夕飯に出してあげるから」
「――ほんと!?」
フィーアは目を輝かせ、彼女の背中を見る。ナインはそんな視線を感じながらも、振り向くことはなく、早く行けと言うように手をひらひらとさせている。
ビッグラビットという魔物は、まるまると太った体を持った二メートルのウサギだ。その肉は柔らかく、この村では主にちょっとした自分へのご褒美やお祝い事のごちそうとして食べることが多い。それが、食べられると考えただけで、フィーアの口から涎が垂れそうになる。
そう体が反応すれば行動は速い。フィーアは今にでもスキップしそうな勢いでクルリと体の向きを変えると、馬車の横を通り抜け、森へと向かう。
「暗くなる前には帰ってきなさいよ」
「まかせて。すぐ帰ってくる!」
声を弾ませたフィーアの後姿をちらりと見たナインは、何事もなかったようにまた花の手入れへと意識を戻す。その横顔はまるで、手のかかる小さな子を見ているかのようだった。
森にたどり着いたフィーアは浮かべていた表情を落とすと、スッと目を閉じれば。さらさらと流れる風の音が耳を撫でていき通り過ぎていく。
土、木、草。森に溢れる命のニオイをフィーアは嗅ぐ。探すはその匂いに混ざった動物の気配を探し当てると、その方向へと目を向ける。
「そっちか」
温度の掴めない不思議な音色でフィーアは呟くと、森の奥へと進む。そうすれば、目当てのものを彼女はすぐに発見した。
そこには二メートルものでっぷりとした巨大な体を持ち、地面につくほどの長い耳を持ったそれが、木の実を両手に抱えて食事をしていた。シャクシャクと果物をかみ砕く音が静かな森に響いている。
フィーアは息を殺し、森の陰に潜むようにしてビッグラビットへと近づく。近づくほどに、ビッグラビットが食べている果物と口の端から垂れている唾液が混じった甘くもどこかツンとしたニオイが濃くなっていく。
フィーアは軽く息を吸うと止める。そして、軽くこぶしを握り、ゆっくりと脱力した次の瞬間――太い木の枝が折れるような音が響いた。
『――ギャッ!?』
ビッグラビットが短い悲鳴を上げ、地面へと倒れる。ドスンという音と共に首が明後日の方向へと向いたビッグラビットは数回痙攣した後、ぐったりと動かなくなる。
「やっぱ、ビックラビットだったんだ」
ビッグラビットの死体を担いだフィーアは歩き出す。軽くあたりを見回してほかにいないか探してみたが特に何もいないようだ。すぐに意識を担ぐそれへと戻す。
こんなに大きな肉だ。いったいどんな料理になるんだろう。料理上手な彼女が作ればどんなものも美味しいから何が出てもきっと満足できるだろう。垂れそうな涎を飲み込んだ彼女は軽い足取りで出口へと――
「誰だ」
足を止めて表情を再び落とし振り向く。その声に反応するようにガサリとフィーアの視線の先にある茂みが物音を立てる。担いでいた死体を地面へと下ろしたフィーアは感情の篭っていない無機質な夕焼け色の瞳を向けたままもう一度「誰だ」と冷たく言った。
だが、最初の物音以降、森の暗闇に潜む気配が出てくることはない。フィーアはしばらくその気配をじっと見据えていたが、その気配がゆっくりと闇の奥へと消えていくと興味を失い再び死体を担ぐ。
嫌な気配ではあったが、敵意はないように思えた。害がなければ気にすることもないだろう。
「さっ、今日の夜ご飯は何だろうなー」
のんきにそう言ったフィーアは森の出口へと向かうのだった。
「ただいまー、やっぱりビッグラビットだったよ」
花屋へと戻ってきたフィーアは死体が入り口に引っかからないように注意しながら入り、奥へと声をかける。だが、いつも帰ってくるけだるげな返事は帰ってこない。代わりに奥からは話し声が聞こえてくる。
客でもいるのだろうか。フィーアがなんとなしに店の奥をのぞき込むと――
「き、君は……」
花屋の奥の椅子に座っている少女が振り向く。輝く長い銀髪を揺れ、吸い込まれるような青色の瞳が夕焼け色の瞳を射抜く。
驚きからフッと自然な笑みを浮かべたフィーアは――
「よかった、また会えたね」
跳ねるような明るい声をかけていた。
振り向いた少女――シェイラは特に表情を変えることなく短く「そうね」と答えるのだった。