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第二話 貴女が



 次の日。

 フィーアは窓から差し込む光で目を覚ます。カーテン越しとはいえ、明るいそれから逃げるように背を向け、“もう少しだけ”という思いのまま再び眠りへと落ちようとしたその時――鋭い声がフィーアに向かって飛んできた。


「いつまで寝ているのかしら」


 微睡から引っ張られるように薄眼を開ければ、そこには腕を組んでこちらを睨む一人の少女の姿がある。

 フィーアと同い年ぐらいで栗色の髪に灰色の瞳の少女は眉を吊り上げると、躊躇なくフィーアの眠るベッドの縁を蹴飛ばした。ガタンと地震でも起きたかのような揺れにフィーアは飛び起きて彼女を見つめた。


「ナイン……朝から酷くない?」


「はっ、どこが酷いのよ。普通ね、居候って言うのは家主より早く起きて、家主の朝食、できないなら洗濯ぐらいは始めている物なのよ」


 鼻を鳴らし眉間にしわを寄せてそう言った彼女は――ナイン。

 この村で唯一の花屋の店長であり、フィーアという居候を養っているこの家の主だ。フィーアはごしごしと眠気眼を擦りながら、恒例となっている朝の説教を右から左へと聞き流す。


「だいたい、この私がわざわざ起こしに来ているのに、また寝ようとするなんてどんな神経してんのよ。これでも私忙しいのよ」


「そりゃまた、増えもしないお金の――いたっ、ちょ、蹴らないでよ」


「居候が生意気な口きくんじゃないわよ」


 容赦なく顔面に叩き込まれる前蹴り。もろに直撃したフィーアは軽く顔をさすりながら上目に睨む。ナインはそんな彼女を冷たく見降ろすと、ガックリと肩を落とす。


「はぁ……売り上げは増えてるわよ。ただ、その上がった分の売り上げの半分を食費に溶かす大食らいの居候がこの家にはいるの」


「へぇ、誰だろう。ナイン、私以外に居候置いてるの?」


 ヘラっとそう言えば、ナインの眉間の皺が深くなる。


「いるわけないでしょ! この家に二人も養うお金はないわよ!」


 再び蹴りが繰り出される。フィーアはするりとそれを躱して立ち上がると、脱兎のごとく扉を開いて逃げ出す。背後でバキッ、という音が響く。ちらりと振り向けば、蹴りを受け止めたであろう木製ベッドの縁は見事真っ二つに割れていた。


(あーあ、後で直さなきゃ。直すの得意じゃないのに……)


 そう胸の中でぼやきながら階段を下りていく。朝食のいい香りがしていた。パンとほのかに香る卵のニオイに“今日はパンとスクランブルエッグか”と表情をほころばせるのだった。






 朝食を終えて、フィーアが食後の紅茶を飲んでいるとナインが話しかけた。


「今日は配達が三件あるわ」


「りょーかい。場所は」


「3件とも、フルエよ」


 フルエとは、この村から馬車でゆっくりといった場合一日ほどかかるところにある小さな町だ。そこを治める領主がこの花屋の上客でよく花や肥料を注文する。その領主だけでなく、町の人もよく肥料などを注文してくる。

 配達は毎日あってだいたい5件ぐらいはあるが、今日は少ない。距離的にも花屋の馬を使えば一日もかからず数時間で終わる。うまくいけばおやつの時間までには帰ってこれそうだなとフィーアが考えていると――


「ああ、今回は量が多いから馬車で行ってもらうわよ」


「えっ」


 悲壮を顔に浮かべる。馬車で行けばどんなに急いでも往復に半日以上はかかる。下手をすれば行きで一日潰れてしまう可能性だってある。そうなれば、毎日楽しみにしている村のパン屋が作るワッフルにありつけない。

 たかが一日食べれないぐらいで、と他人は笑うだろう。だが、無類の甘党でありそこのワッフルや菓子を一日の楽しみにしているフィーアにとっては死活問題だ。


「いやいや、少し多いぐらい平気だよ。ナインの馬は力持ちだし」


「さすがにあの量は無理よ。それに、その馬車にリレットを乗せるって約束しちゃったし」


「そんなぁ」


 リレットはこの村に住む人だ。なんの職業についているかフィーアは知らないが、お金持ちである彼はいつも豪華な服装をしている。

 フィーアはどこか上機嫌にも見えるナインにガックリと項垂れる。きっと、それなりのお金をもらったに違いない。でなければ、ナインが快く承諾するはずがない。


「とにかく、出発は今から一時間後。その間に裏に置いてある荷物を全部詰め込みなさい。……あ、リレットの座るところはちゃんと掃除して、適当なクッションを引いておきなさいよ」


「……はーい」


 しぶしぶといった感じに席を立ったフィーアはそのまま、店の外へと向かった。そして、山のようにある肥料の入った木箱を見るや盛大なため息をついた。

 一時間で運べない量ではないが、気乗りはしない。近くを見ればご丁寧に、馬車の準備までされている。馬車につながれた花屋の看板娘ことネイテルがブルルと小さく鳴く。


「おはようネイテル。今日はよろしくね」


 親し気に手を出すと、ネイテルは彼女の手にすり寄り甘えたような声を喉の奥から出す。主人にそっくりな栗毛にうっすらと灰色のかかったような茶色の瞳はどこか知性を感じさせる。

 

「ほんと、君はいつ見ても綺麗だね。それに、どことなくナインに似てる」


 ふわっと微笑みネイテルの首筋を優しく撫でる。さらさらとした毛並みはずっと触っていたくなるが、あんまりのんびりしているとまた、どこからともなくご主人様が飛んできて蹴りの一つでも入れられてしまう。

 そっと手を放すと、ネイテルが寂しがるような眼差しを向けてくる。フィーアは苦笑を浮かべると「またあとでね」とだけ言って、積まれた荷物に体を向け、グルグルと肩を回す。


「さて、やりますか」


 肥料が入ったそれは一箱でも少女はおろか、大人の男でも持つのに苦労する。だが、三つ積み上げられた木箱の一番下を両手で掴むと、フィーアは特に力むことなく三つごと木箱を持ち上げる。

 軽々と持ったそれをフィーアは鼻歌でも歌いだしそうな様子で、黙々と運んでいく。そんな馬車の荷台には布に包まれた物体が置かれていた。







「やぁ、フィーア。今日はよろしく頼むよ」


 荷物を積み終えて少し経った頃、白髪交じりの紳士がやってきた。50過ぎとは思えない活力に満ちた空気を纏ったリレットは爽やかな声でこれまた爽やかな笑顔を見せる。

 ネイテルを撫でていたフィーアは彼に気付くと、にこりと笑って「こちらこそ」と返す。と、彼はフィーアの近くにいたナインの方へと歩み寄り、懐から布袋を渡す。


「急な申し出を受けてくれてありがとう」


 ナインは渡された布袋の中身を確認すると、にこっとして首を振る。フィーアはそんな彼女の顔を見てうすら寒さを覚える。客商売であっても、彼女はほとんど笑顔といえるほどのものを見せたことはない。それなのに、今の彼女はどうだろうか。


「いいのよ。こっちも、配達があったからついでのようなものだし。逆に悪いわ。貴方がいつも乗るような馬車とは違って荷物運搬用の馬車に乗せてしまって」


「はっはっは、それこそ気にしないでくれ。私はこういった馬車の方が気兼ねなく乗れるから好きなんだ」


 二人の談笑風景を横目にフィーアは体を震わせる。

 ナインとは軍の時代からの知り合いだ。戦闘を主とする部隊にいたフィーアと違って、傷ついた仲間を治療する部隊にいたナインとは何度か話したこともあった。が、その時から彼女があのような調子で話したり笑顔を見せたことなどない。いっつも不機嫌そうに淡々と仲間の治療をして、話すときもどこか無愛想だった。


 そんな視線に気づいたのか、会話を終えたナインはリレットを馬車に乗るように促すと、重たそうな布袋を両手で大事そうに抱えながら、フィーアの元へとやってくる。その顔には先ほどまで浮かんでいた親し気な笑みは浮かんでいなかった。代わりに浮かんでいるのはいつもの冷たい見透かすような色だ。


「リレットのこと、しっかり守りなさい。今貰ったお金はね、アンタの食費何カ月分にもなるんだからね。わかった?」


「は、はい」


 有無を言わさない鋭い眼光に何度も頷けば、ナインは店の中へと消えていく。軍でも彼女に逆らえる人は少ない。その頃を思い出したフィーアはしばらく動けなかったが、ネイテルの“まだか”という鳴き声にハッとすると、すぐに馬車を御者台へと飛び乗った。




「フィーア、君が村に来てもう二年ぐらいかい?」


 馬車に揺られ、しばらく経った頃。風の心地よさに身を委ねていたフィーアに、荷台に座るリレットがそう声をかけた。

 言われたフィーアは軽く上を向くと、もうそんなに経つのかと考える。


「言われてみれば、それぐらい経つかも」


「もう、この村には慣れたかい?」


「まぁね。みんな優しくしてくれるから結構過ごしやすいよ」


 フィーアは素直な気持ちで答える。軍にいたころは常に戦い続きで、今のように昼過ぎはのんびりと屋根の上で風を受けながらうたた寝なんてことはするどころか考える暇すらなかった。

 だから、今のゆっくりと流れる時間を結構気に入っている。あっという間に過ぎていく時間と違って、周りの物をじっくりと見れる今が。

 リレットは目を細めてフィーアの後姿を見る。その視線を感じながら、フィーアはリラックスした様子で手綱を握る。ネイテルもどこかリラックスしたような顔で歩みを進める。


 カタン、カタン、と静かな音が草原の揺れる音と混じり合って消えていく。


「あの村をナインが気に入ったのもよくわかる」


「ああ、あそこは本当にいい村だよ。平和で穏やかな風の流れる素晴らしい場所だ。私もこの村に来れて幸運だ」


「あれ? リレットはあの村の出身じゃないんだ」


「いや、違うよ。私はここからずっと離れたところから来たんだ」


 意外だ。ずっとこの村の出身だと思っていたフィーア。ナインから聞くにはあの村は昔から住んでいる人がほとんどで外から移り住んだ人間はあまりいないと聞いていたから。

 

「私はね、全てを捨てて一からやり直すために旅をしていた。そんな時にあの村に出会ったんだ。ほんの数日いたらすぐに出ていくつもりだったのに、気付けばもう20年はいるな」


 懐かしむような音を含む口調。


「もう、昔を思い出すことすら難しくなってきたよ。それだけ、ここの暮らしが幸せだということなんだろうけどね……」


 背後から聞こえるその声はどこか寂し気なことに気付いたフィーアが肩越しに振り向けば、リレットはその声が浮かんだような顔をしていた。


「でもたまに寂しくなるんだ。昔を思い出せなくなることを」


 一呼吸置くと、彼は小さく呟くように言葉を紡ぐ。


「フィーア、どんなに嫌な無駄な記憶だとしてもたまには思い出してごらん。いつか、覚えておいてもよかったか、と思う時が来るかもしれないから」


 はっきりと耳に届いた声にフィーアはよく意味が分からず曖昧に返していた。




 ガタン、ガタン、と馬車の車輪が地面を走る音が響く。時折、サラサラと草木の揺れる音がフィーアの耳を撫でていく。あれから、リレットは荷台でうたた寝をしていた。

 町にすぐまでもう少しかかりそうだ。フィーアはボケっとした表情で欠伸を漏らす。


(……なにかいる)


 馬車の音に合わせるようにして動いているのか、よく注意していないと聞こえない音と気配。フィーアは気付かないふりをしつつ、どうしたもんかと考える。


 そんな時だった、背後から声が飛んでくる。誰が聞いても悪意の感じる声だった。


「おい、そこの馬車止まれ」


 フィーアは無視してそのまま馬車を進める。と、背後から数人の駆け寄ってくるような音と共に馬車の荷台に衝撃が走り、ガタン、と大きく揺れる。馬車を引いているネイテルが驚いたように体を揺らし止まってしまう。フィーアは落ち着くように声をかけながら、近づく足音にため息を吐く。


「お前、止まれって言ったのが聞こえねのか」


 大柄な男が二人、立ちふさがるようにフィーアの前へと出る。ちらりと、フィーアは視線を動かし、荷台のほうにも二人いることを確認すると、目の前の男らに視線を戻す。

 いかにも、ならず者というような風貌に、見せびらかすように銀色に輝く曲刀。フィーアはため息をつきそうになるのを寸でのところで堪えると、男たちを見下ろす。

 それが、男たちは癪に障ったのか、リーダ格と思われる男の隣に立つ腰ぎんちゃくと思われる細身の男が曲刀の切っ先を向けて低い声出す。


「おいお前! 馬から降りろ!」


 背後からも同じようなセリフが聞こえる。フィーアは大人しく降りる。男たちは満足げに下卑た笑みを浮かべてフィーアの体を舐めまわすように見る。そのまとわりつくような視線に不快感をあらわにすれば、細身の男がニタニタと曲刀をフィーアの首筋へと突き付けた。

 

「き、君たちは何者だ」


 武器に脅されながら、荷台を下りたリレットは硬い表情でフィーアの隣にやってくる。男たちはニタニタとしながら武器を弄びながら答えた。


「ここは俺たちの縄張りでな、そこを通ろうってなら通行料を払ってもらおうと思ってよ」


「ここは風の領土で管理している街道だろう。間違っても、君たちの場所ではないはずだ」


 毅然とした態度で答えるリレットに細身の男はこれでもかと眉を吊り上げる。だが、リレットは臆することはなく男たちをまっすぐに見ている。長年旅をしていた彼であれば、この程度の子悪党などしょっちゅう相手にしていたのだろう。


「……そうかよ。なら」


 リーダ格の大男以外の三人が武器を構える。


「ちょっと痛い目見てもらおうかッ!」


 三人が武器を振り上げたその時フィーアが動いた。





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