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第十五話 言葉のない歌



 キングゲーターの死体を観察し終えたシェイラは満足げに頷く。牙も回収した。希少な魔物だからかなりの高値で売れるに違いないだろう。ピカピカに輝く大きな牙をしまって、足元に落ちている花びらを手に取り池へと視線を向ける。

 ユラユラと美しい花が咲いている。ついでに、池の周りに咲いている花も何個か持って帰ろうと思ったその時、木の根元に腰掛けていたフィーアが声をかけた。


「ねぇ、さっきの風の向きを変えたってやつ教えてよ」


 シェイラは歩みかけていた足を止めると、振り向く。


「前に本で読んだことがあったのよ“呪い”の解除方法で呪いを解くにはその魔力を弾けばいいって」


「魔力を弾く……」


 フィーアはどこか納得していない様子で首をかしげる。シェイラもどう言ったらいいかと思い両腕を組む。彼女自身もどうして、あれを解除できたのかよくわかっていないからだ。


「あの時、歌が聞こえたの。あれがきっと、呪いみたいなものだったと思うの。でも、なんでか私には効かなかった」


 シェイラは本に書いてあった呪いについてを思い出しながら言葉を続ける。


「本で書いてあってあったんだけど、呪いというのはデリケートな魔法らしくて、ほんの少しバランスを崩されただけで消えてしまう。だからあの時、魔法が効かなかった私が触れたらバランスが崩れるかなって思ったの」


 フィーアの体にまとわりついていた風。協会の中で吹いていた風にどこか似ていた。だが、教会で流れていたものと違ってあれはとても希薄で今にも消えてしまいそうだった。

 だから、もしかしたらソレの流れを少しでも崩してしまえば、魔方陣を崩すかのように効果がなくなると思ったのだ。まぁ、ああも簡単に消えるとはシェイラも思わなかったが。

 

「てっきり、シェイラがなにか魔法でも使ったのかと思ったよ」


 何気なしに呟いた言葉。シェイラの顔に一瞬影が浮かんだその時――


「私の歌を呪いだなんて随分と酷いことを言うのね」


 フィーアが即座に立ち上がり、シェイラの隣に立つ。シェイラが声のした方へと顔を向けると、そこには先ほどの女性が立っていた。だが、彼女が立っているのは池の上だった。

 まるで、見えない板でも敷いているかのように当然のごとく立っている女性は笑みも浮かべずただじっと二人を見据えていた。だが、その視線からは最初の時のような敵意は浮かんでいないことに気付いたシェイラは訝し気に眉を顰める。


「まさか、私の子がこうもあっさりとやられるなんて思わなかったわ。貴女たち、何者?」


 女性はそう言ってキングゲーターの死体に近づき手をかざす。すると、淡い光が死体を包み込み、光が晴れると――三つ首のワニが眠たげに横たわっていた。

 シェイラが大きく目を見開く。傷一つないそれはまるで何もなかったようにゆっくりと呼吸をしている。

 どうして、あの時確かにあの魔物は死んだはずなのに。そんな疑問が浮かぶ。と、女性はニヤリと笑って見せた。が、その問いに答える気はないようだ。


「……あら、貴女って人ではないみたいだけど礼儀がなってないのね。私たちを知りたければ、自分から貴女のことを教えなさい」


 女性をまっすぐに見据えながら、シェイラはそう言って挑戦的に口角を上げる。女性は一瞬、面食らったような表情を浮かべたが、すぐにうっすらと口元に笑みを携えスカートのすそをつまんで優雅にお辞儀をして見せた。


「私はこの池の精霊よ。名前はないけれど、私のことはセーナと呼んでくださいな」


「セーナ……」


 前に読んだ絵本にそんな名前の人魚が出ていたような気がする。海で歌を歌い、船に乗った人間を惑わしそのまま海の中へと引きずり込むおとぎ話。人魚ではないが実際、海にはその人魚に似た魔物がいるという。

 セーナは目線で“私は名乗ったぞ、次はそちらだ”と言ってくる。シェイラは軽く咳払いすると静かに口を開く。ただし、さっきも名乗ったんだけどという言葉は飲み込んでから。


「私はシェイラ。そっちにいるのがフィーア。……冒険者よ」


「冒険者……はぁ、今の冒険者は腑抜けばかりだと聞いていたけど、そうでもないのね」


「腑抜けばっかりなのはあってる」


 木に寄り掛かり眠そうに欠伸をしながらフィーアが言うと、セーナは彼女を一瞥しシェイラへと視線を戻す。


「ふーん。……そういえば、貴女たちこの池を調査しに来たんだったわね」


「そうよ。人喰い池の噂を確かめに来たの」


 シェイラは“そこだけは覚えてるのか”と言いたい気持ちを飲み込みながらまっすぐに見つめ答える。セーナは眠るキングゲーターの頭を優しく撫でる。その眼差しは酷く悲し気にシェイラには見えた。


「人喰い池ね……いつの間に、そんな名前で呼ばれるようになったのかしら」


「……? 貴女がやったんじゃないの?」


 そう問うと、セーナは心底不快だと言うように眉間に皺をよせ首を振った。


「私じゃないわ。多分……」


 セーナは不意に言い澱む。そして、シェイラとフィーアの二人をじっと見つめる。その視線は値踏みでもしているかのよう。その時、シェイラはなんだかおもしろいことの予感がした。

 そして、それは当たっていたようで。少しの間逡巡していたセーナは少しだけ不本意そうに言葉を続けた。


「ねぇ貴女たち……私の依頼を受けてみない?」








 二人は池の近くでセーナの作った料理に舌鼓を打ちながら、依頼の話を聞いていた。


「で、私たちはこの池の底にあるっていう神殿の中に封印されている魔物を倒して来ればいいのね?」


 香草で焼かれた魚を数回咀嚼し飲み込む。泥臭くあまり好まれない種類の魚のはずなのに、まったく臭みを感じない。ふんわりとした感触の後を追うようにやってくる香草の香ばしい香りは実に美味だ。

 シェイラが隣を見れば、幸せそうな顔でフィーアはパクパクと魚やパンを食べている。セーナはフィーアの反応に表情を柔らかくすると頷く。


「ええ、そうよ。池の神殿にはかつて、女神でさえ手を焼いた魔物が封印されているの。おそらく、その封印が解けかけているみたいでね、そのせいでここら辺の魔物が、復活を邪魔されまいと人を襲っているみたいなの。それが、人喰い池の噂の真相よ」


「その封印されている魔物ってどんな魔物なの?」


「そうね……強いて言うのならあれは、邪悪の塊よ。いくつもの恨みや怒りが混ぜられ形を成して魔物となったの」


 いったいどんな姿なんだろう。まったく想像ができない。最後の一口を食べながら、隣を見る。美味しそうに口いっぱいにパンを頬張る姿はリスのよう。その姿から、彼女が全く話を聞いていないことがよくわかったシェイラは残りのパンをフィーアの皿へと置く。


「封印されていたのよね。それが解けかけている原因ってあるの?」


 セーナは机に頬杖をつく。その顔には明確な怒りが浮かんでいた。


「ある男がこの池に“邪悪”を投げ込んだのよ。それが、神殿の魔物を活性化させた」


 怒りを抑え込もうとはしているのだろう。こぶしを握り締めながら「二回も私のことを殺したのよアイツは」と言って木の実ジュースを一気に飲み干す。

 さらっと凄いことを言っていないかと思いつつ、シェイラもジュースを飲む。薬草も入っているのだろうか、甘みの中にピリリとした苦みがある。だが、不思議とマズくはなくついつい飲んでしまう魅力があった。


「封印は女神でなければできない。でも、もう女神はこの世界にはいない」


 怒りと悲しみが混ざり合った顔。聞いているこちらも釣られるように泣いてしまいそうなほど、彼女の声は泣いていた。

 両手でコップを包むようにしながらセーナは儚げに微笑んで見せる。その姿が、彼女が人間とは違う儚き存在なのだと知らしめていた。









 その日の夜。シェイラとフィーアはセーナの用意してくれた寝床で一夜を過ごすこととなった。月と星々の明かりのおかげか、優しいh狩りが降り注いでいる。


「いい眺めね」


 池を見下ろすように生えた大木の中腹に作られた巨大な鳥の巣。寝やすいように敷かれたふかふかの藁に寝転び空を眺めてシェイラは呟く。フィーアも隣で同じ空を見上げ「そうだね」と答える。


「貴女、星座は知ってる?」


「いーや。全然知らない」


「なら、教えてあげる」


 フィーアと肩がぶつかるほどに近づいたシェイラは天に向かって手を伸ばし、大きな星々をなぞるように指を動かす。


「あれが、琴の風座(バ・ハパー)。風の女神が奏でた竪琴の音色が星座になったといわれているの。それで、あれが琴の水座(ミー・ハパー)で隣が琴の炎座(フラ・ハパー)それらをすべてまとめて女神の協奏曲と呼ぶのよ」


 指でなぞりながら説明するシェイラは愛おしむように目を細める。それぞれが、思い思いの音を奏でると、星々がその音色に感動し空へと残したというおとぎ話は小さなころ、よく寝る前に母が聞かせてくれた大好きな物語の一つだった。


「素敵だと思わない? 女神の奏でた音に星が恋をするなんて。そして、それを残すなんて」


 同意を求めるようなそのこと言った後、シェイラは少し後悔した。きっと、彼女のことだから特に考えることもなく「そうだね」と答えると思ったから。だが、帰ってきた言葉は予想とは少し違ったものだった。


「わかんない。恋がどんなものかわからないから」


 夜空を映す夕焼け色の瞳。いつもよりどこか暗く悲しげに見えたシェイラは少しぶっきらぼうに言葉を返す。


「私だって恋なんて知らないわよ。でも、なにかを“強く思う”ということはわかるわ」


 強く思うほど自分の傍に置いておきたい、ずっと見ていたい。シェイラ自身がこの世界という存在を見てみたいという気持ちはある意味似ている。そんな考えなど知らないフィーアは「そっか」と答えると黙りこくってしまう。

 だがまぁ、結局恋なんていうものをシェイラは本当の意味では知らない。恋愛物語で登場人物が抱く気持ちの描写を読んで“状態”としては知っているが。あいにく、シェイラにはそう思えるような相手はいない。

 きっと、これからもそういったものに出会うことはないだろう。絶対に知ることのできない謎。自嘲気味に息を吐けば、空を見上げているフィーアが言葉を零す。


「私、空をこんなに見たことがなかったから知らなかったけど。本当にいろんな色の星があるんだね。……ねぇ」


 いつもの太陽の笑みではなく、どこか陰のある不思議な微笑みを携えた夕焼け色の瞳がシェイラを映す。その視線にシェイラはドキリと心臓が跳ねる。吸い込まれそうなそれはやっぱり、外を焦がれていた時にいつも窓から眺めていた夕焼けと同じだったからだろう。


「もっと、いろんなことを教えてよ」


「いいわよ。なら、まずは……」


 再び夜空へと手を伸ばし、星の説明会が始まる。他人が見たらうまくわからないかもしれないが、シェイラの顔は嬉しそうに綻んでいた。そして、そんな彼女から様々な知識を与えられるフィーアもいつもとは少し違う微笑を浮かべていた。









 池でゆったりと泳ぐキングゲーターの背に乗ったセーナは星降る夜空を見上げてため息を吐く。流れる風は冷たくはないのに、彼女の口からは白い吐息が漏れる。


「私、頭おかしくなったのかしら」


 キングゲーターが軽く鼻を鳴らす。と、その鼻息によって池の水面が揺れ動く。


「あの魔物をたかが人間に任せてしまうなんて……」


『グルルゥ』


「そうね、アナタのことをああもあっさり倒せたんだもの」


 セーナは口惜しげに夜空にかざした自分の手を見る。その手はうっすらと()()()()()、普通の人間のように月明かりを完全に遮ることはできない。精霊にとって自分の形を作るのは魔力や自然が放つ命の力によるものだ。それが、ここ最近で一気に薄まったことにより彼女の体も徐々に形を失いつつあるのだ。


――文明が発達すれば、おそらく自然(貴女)は力を失いいずれ消えてしまうでしょう。


 いつの日にか言われた言葉が頭をよぎって、風に吹かれるように消えていく。酷く悲し気な風の女神の顔がまるで目の前にあるかのようにありありと思い出せる。

 あの時は、そんなことあるわけないと高を括っていた。人は自然を愛し、それが自分たちにとってなによりも尊いものだと知っていたからだ。

 なのに、いつしか人は、月明かりではなく自分たちの魔法で作った明かりを使い、命を恵む森や川を潰してよくわからない建物を建てた。


「貴女様の言っていたことは本当でしたよ。私はすっかり力を失って、今では月明かりをこの手で遮ることすらできなくなってしまいました……」


 キングゲーターがゆっくりと水をかき、流れに乗るように池を泳ぐ。その優しい泳ぎはセーナを慰めるかのよう。そして、吹く風も彼女を慰めるかのように優しく頬を撫でていく。

 だが、セーナの表情は依然として硬いままだ。なぜなら、池の奥から突き刺すような悪意と殺意が流れ出ていたから。人の身で受ければそのまま乗っ取られそうなほどのに濃密な悪意。

 女神が施した結界のおかげで普通の人間には感じ取れないようになっているはずだから、これのせいで二人が体調不良を起こしたりすることはないだろう。

 だが、力を失いつつある精霊であるセーナにはその悪意は刃となって襲い掛かってきて、今だって心を黒く染めてやらんとしてくる。それを、何とかして耐えるのは酷い苦痛を伴う。


「本当は私がやらなければいけないことなのに……」


 吐き気が絶えず回っている。こんな場所出ていけるのならとっとと出ていく。だが、そんなことはできない。


――ここを守ると約束したから。


「女神様、あと少しだけ、私がこの世界にいられるようどうか……お力をお貸しください」


 消えてしまいそうな声はふわりと水の流れる音にかき消されてしまうのだった。



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