第十三話 潮風が吹く、歌が吹く
都を出て数日、海は案外遠かった。風の領土の一番端、水の領土近くとなれば仕方ないともいえるが、シェイラは思った以上にあった距離に地図片手に唸る。
「変ね……地図ではもう着いているはずなんだけれど」
「地図を見間違えたとか?」
「いえ、きっと地図が間違っているのよ」
地図をたたんでシェイラは周りの空気をかぐように首を動かす。だが、海のニオイはしない。そもそも、シェイラは嗅いだところで海のニオイなんて知らないのだから無意味だ。他と違う匂いがしてもそれが海の物なのか、別の物なのかわからない。
「ねぇ、貴女は海の匂いを嗅いだことあるでしょ」
「あるよ。でも、風の向きが悪い。ここじゃうまくわからない」
「そう……」
仕方ない、近くの村に行って海の場所を聞こう。なんなら、そのままその村で面白い事珍しいことがないかも探そう。都を出てから変わらない草原景色。最初はその穏やかさと風に揺れる動きやそこに交じるように咲く花などに心踊らせていたが、あらかた知り尽くしてしまえばもう興味はない。
見飽きた景色。はやく新しい物を見たい。そんな思いを抱きながら、シェイラは歩く。
「近くに村があるはずよ。とりあえずそこに向かいましょう」
「はーい」
間延びた返事。シェイラはハァと太息を吐く。が、すぐに何か思い出したように「そう言えば」と言って見上げる。
「貴女、本当に体はなんともないのよね?」
「え?」
フィーアは一瞬何を言われたのかわからないといったようにシェイラを見たがすぐに、察したのかにと太陽のような笑顔を見せる。
「あの程度の雷じゃ、私だけじゃなく軍人一人だって殺せないよ。というか、本物の巨人を傷つけることすらできないよ」
「えっ? あれ、巨人じゃないの?」
シェイラは目を瞬かせフィーアを見る。あの時の巨人の迫力は恐ろしかった。なのに、目の前の彼女はあれを“偽物”だという。なら、本物はいったいどれほどのものなのだろうか。
「もしかしたら、こっちの国ではあれが巨人なのかもしれないけど、私たちからしたらあんなの巨人のうちに入らないよ」
「貴女たちの国の巨人はどんななの?」
「もっと大きい。多分15メートルぐらいあるかな。あと、魔法とかも使うし言葉もしゃべるよ」
「へぇ……私が読んだ魔物図鑑とは全然違うわ」
魔物図鑑に書かれていた巨人は、強靭な肉体を持ちその怪力で人間や動物の手足を引きちぎって食べるという恐ろしい。だが、魔法を使うということは書いてなかった。
おそらくは、生活環境でそんな差が出るのだろう。強いものが多く住むところでは、生き残るためにより強靭にならなければいけないから。
フィーアからしたらきっとここは欠伸が出るほど平和な世界なんだろう。彼女の国はいったい、どんな場所なんだろう。そう、考えたその時、
「じゃあ今度、一緒に行く?」
「え?」
二っと何でもないように言い放つ彼女に、シェイラは軽く息を呑み、僅かに視線を逸らす。
「そう、ね……いつかね」
薄闇のかかった声。フィーアは不思議そうに首をかしげる。と、この話は終わりだというように、シェイラの白い手がフィーアの頬に触れる。
ほんのりひんやりとした感触に、フィーアがピシリと動きを止める。すべすべとした肌にシェイラは、青色の瞳をわずかに揺らす。
「軍人というのはすごいわね……」
素人から見ても、あの雷が凄まじい威力を持っているというのは分かった。そんなものを受けてけろっとしている彼女にシェイラは感嘆の声を漏らす。すると、ハッと意識を戻したフィーアは得意げに説明する。
「魔法って言うのは相手の魔力量によっては魔法そのものを弾いたりできるんだよ。軍の人間はみんな、魔力が高いから大抵の魔法は効かないの。それこそ、町を破壊するぐらいの大魔法じゃないと殺せないと思う。私も実際、死なないだろうし」
「へぇ……軍人って本当に恐ろしいわね」
高い戦闘力に加え、大抵の魔法は弾き飛ばしてしまうほどの魔力。彼女の強さをこの目で見たからこそ口から出た言葉。
「でもね、そんな私たちにも弱点がないわけじゃないんだよ」
意外な言葉にシェイラが隣の彼女を見上げる。と、フィーアは背中に担いだ武器を軽く叩く。
「私たちは一人一人に特別な武器が与えられている。これが、魔力量を高めて身体能力も上げてくれる。ある意味、魔具みたいなものなんだよね。だから、これがなくなると、人によっては戦えなくなっちゃう」
「貴女はどうなの」
「戦えるとは思うよ。ただ、魔法とか受けたらマズいかもね。私、元の魔力がすごく少ないみたいだから。普通に生きている人間よりもずっと少ないんだって。だから、軍では“武器は絶対に手放すな”って言われてた」
何でもないように言う彼女にシェイラはばつが悪そうに瞳を伏せて言う。
「ならなぜ、あの時教会で、私が武器を置けと言った時従ったの?」
話を聞く限り、彼女にとって背中の武器は自分の命綱と同義のはず。なのに、戸惑うことなくあっさりと自分のそれを手放していた。
教会の中ならば安全だろう。という気持ちがあったなら、仕方ない。だが、彼女がそう考えるとはシェイラには思えなかった。そんな考えが、伝わってか伝わらずか、フィーアは顎に手を当てて軽く首をひねる。
「君の命令だから」
何拍か置いた後帰ってきた答えは単純なものだった。
「私の……」
「そっ。私は君の剣であり盾でもあるから。君の言うことなら何でも従う。もし、君が私に死ねというのなら、私はすぐにでもこの命を捨てるよ」
その言葉は息を呑むほどまっすぐだった。揺らぐことのない夕焼け色の瞳。シェイラは言葉を失ってただ、彼女の瞳を見つめ返すことしかできない。
命を捨てる。口でならなんとでも言えるだろうとシェイラは考えたが、すぐにその言葉が冗談ではないと理解してしまう。
あぁ、きっと……この人は今、“死ね”と告げればきっと躊躇なく死ぬだろう。
サラリ、と吹く風がどこか変わったような気がした。
再び歩き出したシェイラは不意に立ち止まると、彼女の前へと立つ。不思議そうに首をかしげる彼女をまっすぐに見上げながら、不敵にシェイラは告げる。
「私より先に死ぬことは許さない。私を一人にすることは絶対に許さない。この2つはどんなことがあろうと守りなさい」
――なんて自分勝手な願いだ。
そんな声が体の奥から響いたような気がした。
夕焼け色の瞳がジッと、シェイラを見下ろす。その瞳から感情は読み取れない。彼女が何を考えて何を思っているのか、ソレは全くわからない。
「……わかった」
スッと、跪いたフィーアは夕焼け色の瞳を細めそっとシェイラの手を取る。流れるように行われた一連の動作にシェイラは驚く暇もなく――
「私は君が死ぬまで絶対に死なないし、君を一人にはしない」
柔らかく細められた夕焼け色の瞳にシェイラはそっと微笑みを浮かべていた。
「おや、こんな小さな村に人が来るなんで珍しいねぇ」
何も変わらない草原を歩き、二人はとある村へとやって来ていた。もうその頃にはすっかり、太陽は沈み始めていた。
そんな村へと入った二人を出迎えるのは村人であろう、一人の老人。杖を突き、白いひげをたっぷりに伸ばした彼は可愛らしい笑みを浮かべている。
「ええ、実は旅をしていて。この近くに海があるはずなのだけれど、知らないかしら」
「海かい? それなら、この村を抜けた先にあるよ」
シェイラがフィーアに“ほら、合ってた”と視線を向ける。と、フィーアは肩をすくめて見せる。老人は、そんな二人のやり取りには気づかず、言葉を続ける。その顔は困ったような色を浮かべていた。
「だがなぁ、海に行きたいのならグルッと大回りをしていった方がいい。この村からの道はあるが使わない方が身のためだよ」
シェイラが小首をかしげる。
「なにかあるの?」
「実はね、その道の途中に大きな池があるんだよ。その池はかつて、水の女神さまと風の女神さまがお話をしていた場所とされ、とても神聖な場所なんだよ。うちの村でも、よく何かあった時は祈りに行ったりしていた。……でも、いつの日からか、その池は人を喰うと呼ばれているのさ」
「人を喰う池……」
シェイラは顎に手を当てて小さく復唱する。その青色の瞳にはキラキラとした光が星屑のように浮かんでいる。その輝きは子どものよう。
無理もない、たまたま立ち寄った村で面白そうな話を聞けたのだ。また、女神関連というのには何とも言えない思いだが、シェイラとしてはその池が気になって仕方がない。
「それは気になるわね」
老人が「えっ」と不思議そうに聞き返す。シェイラはギルドで渡された冒険者の証を見せると、自信たっぷりに告げる。
「冒険者の私たちが、その池を調査するわ」
「危険だ。あの池には君たちみたいに冒険者が調査に向かった。でも、誰も帰ってこなかった」
老人は今にも泣きそうな顔でシェイラからフィーアへと視線を移す。その視線は“止めてやってくれ”と言いたげだ。彼は心の底から二人を心配しているのだろう。が、基本的にフィーアはシェイラの言うことにはすべて従う。ゆえに、その視線と優しさに意味はない。
「大丈夫。私、強いから!」
二っと笑った彼女に、老人は苦虫を噛み潰したような目で見るのだった。
「人を喰う池ってことは魔物がいるのかな」
「恐らくそうでしょうね。水辺の魔物といったら、ツーターガーとかかしら」
シェイラはそう言って、図鑑で見たツーターガーの姿と説明文を思い出す。
ワニのような姿で、頭が二つあるソレは普段は池など人気の少ない水場で生活をしている。だが、その性格は非常に獰猛で不用意に自分の縄張りへと近づいた生き物へと襲い掛かり、その二つの頭で体を食いちぎる。
初めて読んだときは寒気がしたものだ。が、同時に叶うのならば見てみたいとも思った。
「貴女は見たことある?」
「ツーターガーを? んー、どうだったかな……たぶん、あったと思うけど、覚えてないや」
魚のソテーを一口頬張り、フィーアは首を振る。シェイラは「そう」と返すと、付け合わせの野菜を食べる。優しい塩味が口に広がり、魚の出汁がしみ込んだそれはとても美味しい。
「水辺の任務はあんまり回ってこなかったんだよね」
「あらそうなの? ……ああ、でも考えればそうよね」
炎は水との相性が悪い。水辺での戦いだと、炎系の魔法は威力が下がったり、場合によっては発動できないこともある。逆に、風属性は威力が強くなる。
納得したシェイラは美味しそうにパンを食べる彼女見つめる。食べることが好きなのだろう。嬉しそうにする彼女は年齢よりも少し幼く見えたシェイラはうっすらと口元に笑みを浮かべる。
すると、パンを飲み込んだフィーアが目をパチパチとさせていることに気付く。
「どうしたの?」
「いや、なんか……」
歯切れの悪い言葉。思ったことはそのまま口に出しそうなタイプだと思っていたシェイラは少し意外な彼女に小首をかしげる。
夕焼け色の瞳をわずかに泳がせながら、フィーアはパンを皿へと置く。
「なんか、不思議なの。今、キュッと胸のあたりが苦しくなったの……病気、かな」
深刻そうな顔で呟く彼女の胸へとシェイラはそっと手を伸ばす。
「シェイラ……?」
「ジッとしてなさい。……やっぱり、服を脱がないとわからないわね」
「脱ぐ?」
「今はやめて」
手を放したシェイラ。やっぱり、服の上からじゃうまくわからない。まぁ、心臓の音を聞いたところで医者でもない彼女ではそれが病なのかはわからない。次の町で医者にでも見せた方がいいだろうか。
フィーアはヘラっと笑って見せると、手を振って見せた。
「大丈夫だよ。ほんの一瞬だったし」
「……そう。もし、何かあったら言うのよ。なんなら、次の町で医者に診てもらってもいいから」
「だいじょーぶ。心臓がちょっと破裂したぐらいなら死なないから」
ちっとも冗談に聞こえないそれにシェイラの顔が引き攣りそうになる。普通、心臓が破裂したら死ぬだろう。だが、彼女に生き物の常識という物が通用しないのではと思い始めたこの頃。
「……そうね。貴女なら、心臓を握り潰されても死ななそうね。というよりも、そんな状況が来るのかしら」
最後の野菜は苦手なものだ。シェイラはそれをフォークに刺すとそれをフィーアへと差し出す。フィーアは嬉しそうに口を開きそれを食べる。
「私がまだ小さい時とかしょっちゅう死にそうになってたかな」
「何歳ぐらいから軍に入ったの?」
好奇心に青色の瞳が輝く。軍というのは謎に包まれた組織で、こうして話を聞く機会なんてなかなかないだろう。
「ん。何歳からかぁ……私は生まれた時から軍の物だったからな。というよりか、あの国で生まれた人間はよっぽどのことがない限り、大抵生まれた瞬間から軍に入ってるかな。5歳で適性検査って言うのを受けて、それぞれの部隊に振り分けられて訓練を受けて、10歳になったら戦場に出れた気がする」
「10歳……」
この国で言えば10歳と言ったら学校で勉強をしたり、友達と遊んだりと戦いなんてものとは無縁な生活をしているのが一般的だ。シェイラは改めて、彼女がこの国の人間の常識からしたら異様な存在というのがよくわかる。
「腕や足が千切れたのだって数えきれないぐらいあるし、なんなら体半分がなくなったことだってあるよ。あの時はさすがに死んだなって思ったなぁ」
「えっ」
「まぁ、その時はナインが近くにいてくれたおかげで死ななかったけど」
からからと明るい口調で言った彼女は一転して、眉を八の字にして言葉を続ける。
「シェイラは不思議な人だね。普通はこういう話をすると大体の人は怖がるってナインは言ってたのに。全然怖がってない」
「怖くないわ。確かに驚いたはしたけれど、人間というのは未知に溢れているものよ」
フッと表情を緩めたシェイラをフィーアは不思議そうに見つめる。
「たとえ、同じ人間でもその育った環境で幾通りにも変わっていく。病弱に育つかもしれないし、貴女のような屈強すぎる人間にだってなり得る。すべてはその時の周りによって変わっていくのよ。だから、貴女の強さも納得できるわ」
柔らかい口調で「私が貴女の時間を過ごせばもしかしたら、私もあなたのようになっていたかもしれないもの」と続けた。
そう全ては環境だ。運命だ。時の流れの結果、こうなっただけ。
シェイラは彼女に言っていた言葉が、自分にも向いていることに気付いてはいない。




