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第一話 花屋の居候



 ここはとある小さな村。大きな町から少し離れたここは、静かで穏やかな風が流れていた。ポカポカと射す日差しは暖かい。

 小さな村ということもあり人口は少なく、立ち並ぶ家も少ない。だが、活気に溢れたそこはいつも通りの平和な日常という名の風が吹いていた。


「今日も平和だー」


 村にある花屋の屋根の上。そこに寝そべっている少女はのんびりとした口調でそう呟き、欠伸をする。赤みがかった栗色の髪が風になびき、太陽に照らされた夕焼けのようなオレンジ色の瞳が眩しそうに細められる。

 今にも眠ってしまいそうなその少女はまるで、日向でくつろぐ猫のようだ。


 少女の名前はフィーア。

 今寝そべっている花屋の居候である。主にやることは午前中に荷物を運んだり、買いに来た客の家に商品届けたりと力仕事が主の彼女が忙しいのは午前中。お客の少ない午後はいつもこうしてやることもなく屋根の上でうたた寝をしている。

 何もすることのない午後。普通であれば、人はそれが毎日続けばそれに飽きてしまうだろう。だが、彼女はこの村に流れ着いてから約二年、毎日、暇になれば飽きもせずこうしていた。


 空を眺める。青い空にふわふわと柔らかそうな雲がゆっくりと、動いている。

 フィーアはそれをボーっと眺めながら、あの雲はあれに似ているだの、美味しそうだの、と考えていた。不意にお腹が鳴る。だが、その音を聞いたのは本人以外にはいない。


「今日の夜ご飯なんだろう」


 昨日は村の川で採れた魚と近所の人から分けてもらった野菜と一緒に煮込んだものと、近所の人から分けてもらったパンを食べたことを思い出す。フィーアは美味しかったそれを思い出すと、また食べたいなと考える。

 だが、ここ最近、魚続きで少し飽きていた。たまには肉を食べたいと思うが、この村で肉というのは案外貴重なものだったりする。なぜなら、肉を手に入れるにはそれを倒すハンターが必要だからだ。ほかの村や町から買うこともあるが、そうなるとそれなりのお金が必要になってしまう。

 どこかの家の娘が、冒険者だというのは聞いたことあるが、いつも冒険者としての仕事で忙しいようで、村にいることが少ないことまで思い出したフィーアはぼんやりと呟く。


「ふーむ、仕方ない私が行くか」


 だがそれはもう少し日が沈んでから。今は、この穏やかな時間を楽しもう。フィーアはもうひと眠りしようと目を閉じたその時、人の気配を感じた。


「おやぁ、フィーアちゃん、また屋根の上で寝ていたのかい?」


「ん? あ、コレットさん!」


 体を起こし、屋根の下を見れば、そこには人懐っこい笑みを携え、大きな花束を抱えた老婆が立っている。フィーアはパァっと表情を咲かせるや、屋根から飛び降り、彼女の前へと降り立つ。


「今日は一人?」


 老婆の名前はコレット。この村に家族と住んでいる彼女は月に一度、大きな花束を買いに来る。以前、フィーアが何気なしに聞いたところ、少し前に亡くなったコレットの夫のための物のようだった気がする。

 花束を見ながらいつもは娘と孫娘と一緒に来ているのに今日は一人で来ていることに気付いたフィーアは、何かあったのかと小首をかしげる。と、フィーアの考えが読めたのかコレット薄く微笑を浮かべて頷く。


「本当だったらあの子も来るはずだったんだけどね、急な仕事が入ったらしくて……私一人じゃ、さすがにあの子を見るのは骨が折れるしねぇ……」


「確か、この村の外にある丘だっけ?」


「そうよ」


「森、通るの?」


「そうね。それが一番早くて楽だからねぇ」


 フィーアは「ふーん」と返事をして、顎に手を当てる。村近くの森とはいえ、そこには魔物が住んでいる。大抵は人を襲うことないおとなしい魔物ばかりだが、極稀にどこからやって来たのか肉食の魔物が出ることもある。彼女のようなか弱い老婆が一人で行くには少々危険だということぐらい、誰にでもわかる。

 確か、コレットの娘は腕の立つ冒険者だったけか、あの森に出てくるはぐれ魔物ぐらいであれば倒すことは容易だろう。だが、今日は肝心の彼女がいない。

 花束を持っているあたり、“今日はやめておきましょう”とはならなそうな雰囲気の彼女に、フィーアは考えを巡らせ――


「コレットさん、私付いていってもいい?」


「え?」


 二っと歯を見せる。コレットは一瞬嬉しそうにしたがすぐに、申し訳なさげに「でも……」と呟く。


「そんな思い物持って一人で行くのは大変でしょ? 私、ちょうど暇だったし」


「でも、悪いわ。滅多に出ないとはいえ、魔物が出るかもしれないのに」


 フィーアが花束を渡すように手を差し出す。そして、小さく首を横に振って見せると、眩しいぐらいの笑顔で、


「いいんだって。コレットさんは大切なお客さんだもん。それに、あんまりに平和でみんな忘れてるかもしれないけど、こう見えても私――元軍人なんだからっ」


 自分の胸を叩き自信満々に告げる。

 軍人――それは、現在いるナティアの隣にあるエシィータ王国と呼ばれる国のいわば盾であり剣でもある、戦闘に特化した人間のことを言う。

 フィーアはそのエシィータ王国で生まれ、幼き日から戦うための術を叩き込まれている。このような平和な村だとなかなかそれを披露する機会はないが、去年はどこからか迷い込んだ巨大な魔物を倒したこともある。

 あの時、捌いた魔物の肉はみんなで分け合って、村で宴のようなものも開いた。コレットはその時のことを思い出すと花束とフィーアを踏ん切りのつかない曖昧な表情で交互に見る。


「……そうね……フィーアちゃんが一緒なら安心かしら」


 しばし逡巡した後、コレットはふにゃりと笑って、フィーアに花束を手渡す。受け取ったそれは彼女からしたら重くもないが、自分よりも小さくか細いコレットが持つにしては重い物だということぐらいは分かる。

 70歳を過ぎ、少し腰の曲がった彼女。16歳の少女としては高めの身長であるフィーアは彼女を見下ろしながら考える。


(こういう時ってどうすればいいんだろう。やっぱり、コレットさんも一緒に抱えて向かった方がいいのかな……)


 だがすぐにフィーアは以前に、彼女は散歩が好きだという話をしていたのを思い出す。


「コレットさん、じゃ、行こうか」


「ええ、そうね」


 フィーアが差し出した手を取ったコレットは優雅に微笑む。白く細いコレット手はフィーアの手に収まってしまうほどに小さい。このまま握ったら潰してしまいそう。だが、そんな考えは心外だというように、彼女の手は力強くフィーアの手を握り返していた。









「じゃあ、ここで待ってるよ」


「ええ、ありがとう」


 魔物に出会うことなく丘へと到着すると、フィーアは彼女に花束を渡し、近くの木に寄り掛かった。コレットは花束を大事そうに抱えて、そのまま丘にポツンと置かれた石碑へと向かっていく。

 フィーアはコレットから空へと顔を上げると、気持ちのいい風に目を細めた。そろそろ、春の花が咲く季節ということもあり、風からはほんのりと甘い香りが香っているような気がする。

 木陰から差し込む光が温かい。魔物の気配もない。なんと、平和なことか。フィーアはコレットから貰ったワッフルを食べる。

 表面にまぶされた砂糖がカリカリとしていて、ふわっとした生地はまるで冬の布団でも食べているかのような気分だ。さすがは村一番のパン職人が作っただけある。フィーアは表情をほころばせると、コレットへと視線を戻す。


 石碑の前に両ひざをついている彼女の後姿から、何をしているのかはわからない。フィーア脳裏に軍にいた時、同じ部隊にいた仲間がしていたことを思い出す。

 確か、あの時仲間たちは、死んでいった仲間の名前を刻んだ岩の前で、何かを話していた。彼女も同じことをしているのだろうか。


(そんなことをしてなにか意味があるのかな)


 フィーアは思う。生き物は死んだ時点で終わり。そんな相手に話しかけて何の意味があるのだろうか、もう、何も答えてくれないのに。そんなことをする暇があるのなら、自分なら敵を一人でも殺すことに時間を使う。

 以前、そう思って仲間に聞いたことがあった。フィーアはその時の仲間の顔を今でもはっきりと覚えている。酷く悲しそうに哀れむような眼差しを向けていた仲間の顔を。


――意味はあるよ。答えてくれないけれど、あいつらはみんな私たちの話を聞いているから。


 思い出してもいまいちわからない。話を聞いている。どうして、そんなことが分かるのか。それに、死んでいった仲間に話しかけるなど――無意味だ。


――お前らは武器だ。壊れて使い物にならん武器などに価値はない。


 最初は誰の言葉だったか、幼い時から言われ続けた言葉はもう心臓に刻まれている。まるで、消えない傷跡のようにこの言葉がフィーアから消えることはないだろう。


「フィーアちゃん」


 そんなことを考えていると、声がかかる。ハッとして、軽く頭を振って先ほどの考えを飛ばしたフィーアが顔を向ければ、そこには満足げに微笑むコレットが立っている。

 

「もういいの?」


「ええ。十分話せたわ」


「……彼は何か言ってた?」


 興味本位でそう問いかければ、コレットは意外そうに目を見開き、小さく微笑む。それは、実に幸せそうである。


「そうねぇ……言葉は聞こえなかったけれど、喜んでいたと思うわ」


「そっか……」


 フィーアが口をつぐむ。と、コレットはそっと彼女の顔をのぞき込む。優し気な眼差しが、難しい顔をしているフィーアを映す。


「何か聞きたそうね」


「聞いたら、きっとコレットさんは嫌な思いをするかも」


 叱られる前の子どものように、瞳を伏せるフィーアにコレットはニコニコとしたまま「平気よ」といった。フィーアは脳裏にかつての仲間たちの哀れむような視線を浮かべながら少し重い口を開く。


「……どうして、もう答えてくれない人に話しかけるの?」


 コレットは噛みしめるようにゆっくりと瞳を閉じて頷く。


「難しい質問ね。……確かに、あの人はもう何も答えてくれないかもしれない。けどね、あの人はあそこでしっかりと私の話を聞いているのよ。だから、私は毎年ここに来て、一年間にあったことを話すのよ」


「……? 人は死んだらそのまま消えるんじゃないの?」


 人は死んだら消えて、本当に無価値なものへとなり果てる。そう教えられてきたフィーアは心底不思議そうに首をかしげる。と、コレットの表情に一瞬だけ深い影が落ちる。それは、仲間が浮かべていた哀れみの色とはどこか違ったように見えた。


「……それは、誰から聞いたの?」


「確か、親と軍の人」


「そう……」


 何とも言えない顔でコレットは小さく息を吸うと、言葉を続けた。


「人はね、死んでも完全には消えないの。どこかに何か残っているの。いまいち、ぴんと来ないかもしれないけど、そのうちわかるときがきっと貴女にも来るわ」


 複雑な表情でいる彼女と同様の顔でフィーアは、軽く頷く。これ以上聞いていもわからないし、分かったところでフィーアは自分が何を思うのか想像できなかった。

 コレットの小さな手がフィーアの手を取る。やっぱり小さい。だが、その小さな手は力強く、最初は気付かなかったが、ところどころに硬くなった豆ができている。

 おそらく、若いころは彼女も娘と同様の冒険者だったのだろう。よく見れば、歩き方一つもどこか戦いを知らない人間とは違うように見えた。


「帰りましょうか」


「うん」


 にこりと何事もなかったかのように笑うフィーア。コレットもふわりと微笑むのだった。










 村へと戻ってくると、夕日が村を照らしていた。近場とはいえ、いつの間にか数時間は経っていたということだ。花屋が見えてくると、店先に一人の女性が立っていることに二人は気付く。

 腰に剣を下げ、薄い鉄の胸当てなどの比較的軽装の防具を身に着けている女性は、二人に気付くなり駆け寄ってきた。


「お母さん!」


 女性――コレットの娘であるカノン。そこまでの音量はなくともよく通るその声から、彼女がコレットのことを心配していたことは明白である。

 だが、心配されている本人はのんびりとした口調で「あら、もう仕事は終わったの」と聞いている。カノンは何か言いたげに口を開いたが、隣にフィーアがいることに気付くと僅かに瞳を揺らし、言葉を飲み込むと、「うん」と短く返す。


「そうかい。で、どうだった? ちゃんと、依頼は果たせたかい?」


「えっ? あ、ああ、もちろんよ。……でも、ごめんね……今日は大事な日なのに」


 瞳を伏せるカノンはチラリとフィーアを見ると、気まずそうに頭を下げた。フィーアはそんな彼女を見ながら軽く手を上げて答える。

 そして、フィーアは心の中で苦笑を浮かべる。明らかに目の前の彼女は警戒している様子がはっきりと受け取れたからだ。この村で暮らし始めて二年たつが、彼女だけはいつまで経っても心を開いてくれることはない。

 だが、冒険者である彼女ならば仕方ないと言える。エシィータ王国とここナティアは長い間、小競り合いを繰り広げているのだから。そして、その戦いでナティアが使う戦力は冒険者。軍人であったフィーアは数えきれないほどの冒険者を殺してきた。

 彼女はその戦いに参加したことはないらしいが、友人がその戦いに出て戦死したという噂をフィーアは聞いたことがある。


「フィーアちゃん」


 2人の微妙な空気の流れを絶つように、コレットはほんわかとした柔らかい声で名前を呼ぶ。顔を向ければ、彼女はにこにこと人懐っこい笑顔で言葉を続けた。

 

「今日は本当にありがとう。今度、お礼をさせてね」


 一気に毒気が抜かれたのか、鋭くなりかけていた瞳を緩めたカノンはため息を吐くと、笑みを浮かべた。


「私からも、ありがと」


 その言葉には先ほどまで彼女の瞳に浮かんでいた小さな怒りなどの感情は消えていて、ただ、自分の母を守ってくれたことに感謝していた。



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