86.眞炎たる裁き剣 ②
ローランドは手を下ろし、のぞみから一歩退くと、剣幕を見せている綾に涼しい顔で訊ねる。
「君はどなたですか?」
綾が質問に答えるよりも早く、ローランドのお付きらしい女子心苗の一人が囁く。
「ローランド様。彼女はアテンネスカレッジ2年A組所属、風見綾です。現在クラス内で7位、A組の『四華聖』第三席にあたります」
「ありがとう。Ms.カゼミ。僕は現状を見て、事実を述べているだけです。介入するつもりなどありませんよ。実際、今のアテンネスカレッジの治安は悪いでしょう?」
綾も、その質問には反論の余地がなかった。
ローランドはのぞみに向き直る。
「Ms.カンザキ。もしもアテンネスカレッジが嫌になれば、君の意志により、ロキンヘルウヌスへ転籍する志願書を出すこともできますよ」
「転校したばかりの心苗でも、自由にカレッジの移籍が認められるんですか?」
のぞみの質問に、ローランドは微笑む。
「君がそうしたいのであれば、いつでも歓迎です」
「稽古中、仲間同士だからと手加減してしまうような半端者の私では、どこで修行しても同じではないでしょうか……?」
「いいえ、君は操士の戦い方で、素晴らしい才能を披露してくれました。もし君がロキンヘルウヌスへ転籍するのであれば、キャンパスでの安全は保証され、その才能を活かすこともできます。適切な場所に身を置き、才能を十分に伸ばすことさえできれば、君はすぐに、誰よりも輝く星になれますよ」
「そうですか……」
生徒会の要員であるローランドからそこまでの評価をもらえると思っていなかったのぞみは、心がドキドキと高鳴るのを感じた。だが、そんなにうまくいくとは思えない。のぞみはすぐに返事をすることはなく、俯いて黙考しはじめる。
そんなのぞみの様子を見て、修二が大声を出した。
「神崎さん!そんな甘い言葉に惑わされるんじゃないぜ!こいつは神崎さんの力を自分のために使うだけだ!」
「え?」と、のぞみは顔を上げて修二を見て、それからローランドに視線を移す。
「どういうことでしょうか?」
ローランドは相変わらず、涼しい笑みを浮かべている。
「ふっ。すべては君の考え次第ですよ、Ms.カンザキ。僕に言えることは、自分に合う環境を選ぶべきだということだけです。仕事の依頼を受けるためにも、早く君の才能を認める頼もしい仲間が見つかるといいですね」
「はい……」
修二、綾、そしてローランド。三者三様のアドバイスは、サウナと水風呂を行き来するようにのぞみを混乱させた。
のぞみの悩み顔が深まっていくのを見て、ローランドは手を胸元に添え、切ない口調で進言する。
「あぁ、Ms.カンザキ。いじめに遭ったせいで意志が縮こまっているようですね。なんて可哀想な。心苗間でのいじめや闇討ちの問題を見過ごしているとは、チャロスさんも気を抜きすぎている。やはり、会長に一度、アテンネスカレッジの粛清を提案するべきですね」
「お前にその権限があるのか?!」と修二が訝しそうに言った。
綾がマスタープロテタスに書かれている校則を思い出しながら、修二の問いに答えを出す。
「ちゃう。生徒会会長に議案を提出する権限は、隊長にしかないはずや」
「そのとおりです。しかし、治安風紀隊の番隊長であるチャロスさんが怠慢をしていると、小さな問題でもいつか他のカレッジや……、いえ、セントフェラスト全体を巻きこんだものになるかもしれません」
ローランドの話があまりに壮大で、のぞみは自分のいじめがこんなにも大きな問題になっていることに驚きながら聞いていた。
「何にせよ、このカレッジには地球界出身の心苗が多い。人間同士の弱者をいじめる構図は、自分の存在をアピールしたいというような、歪んだ価値観から生まれます。この問題はアトランス界全体にも悪い影響を与える可能性がある」
ハイニオスにある九つのカレッジには、いずれも地球界出身の心苗が通っているが、アテンネスカレッジにはとくに多かった。
ローランド本人はさらりと言ってのけたが、副隊長でありながら、他カレッジの隊長に指摘したり、地球界出身の心苗に偏見も持った意見を言い放題する様子に、周りで食事をしていたアテンネスカレッジの心苗たちが反応した。
「何ですって?」
「Mr.チャロス番隊長の悪口を言うなんて、酷いです!」
「治安風紀隊副隊長だからって、許されることじゃありません!」
「きれい事ばかり並べるような奴は自分のカレッジに帰れ!」
野次が激しくなってきても、ローランドへの信頼が厚いためか、お付きの女子心苗たちはまったく動揺していない。
いきなり怒りを見せたアテンネスの心苗たちの言動に対し、ローランドは軽くため息をつき、肩をすくめると、やれやれとでも言うように笑った。
「実に見苦しいですね。君たちがそこまで怒るのは、図星だったからこそ、恥ずかしくてたまらないせいではないですか?弱者がいじめられているとき、現場で黙殺する者は、暴力に加担したも同じです。正義のない者には、ウィルターの資格などありませんよ」
「目をつけられても自力で対応できず、他人に頼るような、そんな軟弱な闘士もいるんですか?」
周囲で食事をしていた男子心苗の一人がそう言った。三年生のその心苗は、制服のベルトに三本の線が入っている。
ローランドは、その三年男子の方を向き、あしらうように応じた。
「それとこれとは関係ありません。人間にはもちろん、力の差というものはあります。ですが、相手が自分よりも遙かに弱いとわかっているのに、何度も暴力を振るうのはおかしなことです。そもそも、人間同士の殺し合いを促進するような真似は、フェイトアンファルスでは許されない概念ですよ」
タヌーモンス人、ミーラティス人、ハルオーズ人。三大種族が共存するこのアトランス界では、昔から種族間戦争がよく起こった。中でも人間であるタヌーモンス人と、獣人のハルオーズ人はそりが合わない。
ハルオーズ人の居住地はアトランス界のあちこちの大陸に幅広く点在しており、部族は数千にも及ぶ。それでも、タヌーモンス人やミーラティス人と比べると、文明のレベルでは遙かに及ばなかった。それに、ハルオーズ人でも統一性が弱く、内戦も起こる。いくつかの勢力の強い部族が支配する時期もあるが、長く維持できない。無数の部族間で分裂が起こり、『千年戦争』のような慢性的な戦争もままあった。
20年前に終戦し、今は平穏な時期であるが、タヌーモンス人にとっては人口維持が大きな問題だ。人間同士の戦争により、互いを弱体化させるようでは、種族勢力を抑制し、均衡を保つうえでの障害となる。そのことは、連邦の法律にも条例で明記されていた。
クリアたちのようないじめ問題で法律上、目をつけられることになるのは、ほとんどが地球界から来た者たちだ。そもそも「いじめ」という風習を理解できないフェイトアンファルスの心苗たちは、この問題に関わることがほぼない。ローランドのような保守派の者たちは、地球界から来た心苗たちによって悪習まで入りこむと、アトランス界全体に悪影響を及ぼすとして、拒否感を持つ者も少なくなかった。
「ローランド。当カレッジのことで心配をかけてすまないが、言いたい放題はほどほどにしてくれないか?」




