82.悩み ①
アテンネスカレッジの食堂・ヘビンオロスは、東京ドーム程の大きさがある。六角形の敷地に建つのは六階建て、六角形の建物で、上階へ行くにつれ小さくなっていく。屋上には六本の柱が立ち、中央には六角錐形をした水晶の屋蓋がついている。全体として白を基調とした建物は、まるで金色のアーマーを装着しているかのように、金のデコレーションが施されていた。
建物の中に入ると、地下一階から地上三階までが吹き抜けになっており、二階と三階は輪状に造られている。低い垣の外の台には植物が植わっており、三階からの眺めは食堂らしく、食卓と椅子がずらりと見えた。中央には18の角を持つ、星のような形の水晶物体が宙に浮かんでおり、それぞれの先端から薄い青色の液体が糸のように、地下一階の池に向かって落ちていく様子が見られる。そのうちの一本の糸は太く、残りは同じ細さになっている。芸術品のようなこの謎の物体は、時間を表す装置だ。
昼休みになり、ヘビンオロスを訪れたのぞみと藍は、四人席のテーブルを取っている。のぞみは腕に包帯を巻いた方の手でレンゲを持ち、ご飯を頬張った。包帯の表面には不思議な文字が光っており、それはヒーラーによって施された魔導士の治療系章紋術だった。
午前中、のぞみは重力倍増環境で三つの教養授業を受けた。実戦格闘演習では約束していたエクティットとのフリーバトルもして、それは手応えがあった。さらにリストで決まっていた他の心苗たちとは、マーヤをはじめ、数人と手合わせをした。『気癒術』を使い、顔と首の痣や腫れは何とか治せたが、午後には義毅の授業が待ち受けている。午前中だけでボロボロになっていたのぞみは、このままでは午後いっぱい持ちこたえられないと判断し、ヒーラー先生の治療を受けた。
蛍との戦闘でさまざまな作戦を繰り出したからなのか、同級生たちはのぞみとの手合わせで、手加減することがなかった。そのせいもあって、のぞみは傷だらけになっていた。
そもそも、のぞみは格闘系の攻撃が弱い。防御も隙だらけで、至近距離での戦いは反応速度で負けてしまう。全ての手合わせで惨敗したが、とくにマーヤとの一戦は酷かった。彼女は源気だけでなく、筋肉もバランスよく鍛えている。のぞみは体質的にランク上の彼女に光弾を投げたが、マーヤはそれを生身で耐えた。逆に、渾身のパンチとキックによる猛攻を受けた挙句、関節技を決められ、体がちぎれるほどの痛みを与えられた。その痛みに耐えきれなかったのぞみは、格闘の授業にもかかわらず、時間切れになるよりも先に降伏してしまった。
「のぞみさん、どうしましたか?さっきからずっと、ぼーっとしてます」
中華のランチセットを食べている藍に、のぞみは苦しげに目線を合わせる。
「何だか、授業で手合わせした方々が、皆さん妙に手荒でした」
「そうですか?」
「可児ちゃんの手合わせは全部見れなかったですが、どうでしたか?私は全部負けちゃいました」
「二勝二敗ですよ。リストで決まっていたドイルさんと手合わせしたけど、あと少しっていうところで彼女の光弾技で場外に押し出されました。悔しいなぁ」
藍はそう言ったが、表情は明るかった。
「ドイルさん、すごいですね」
「彼女は気功拳法に長けています。しかも、『極真天龍門』の、二年の女子弟子の中でも一番目立つ実力者です。どうやら、森島さんと同じで、ヤングエージェントを務めた経験があるらしいですよ」
「ドイルさんとの戦いは見ました。あんな強い方を相手に、よく気圧されませんね?」
「え?だって、自分より強いってわかってる人との戦いって、怯えていても絶対勝てませんよ?何とか技を繰り出さないと、チャンスすらありません。それに、自分の持てる力を全て投げ出すくらいにして挑めば、負けても心残りしなくて済みますから、その後の修行にもっと集中できますよ」
シンプルな考え方だが、のぞみにはとてもできない。のぞみには、ただの練習相手との戦いで真剣になる目的がない。同級生の仲間同士だというのに、本気で打ち合うということがどうしても理解できないせいで、手が緩くなりがちだ。
「すごいですね……。前期の授業もこんなにハードでしたか?」
藍は天井から吊られた大きなデコレーションを眺めながら、「うん」と言った。少し考えるような間があって、それからのぞみに視線を移した。
「相当きつかったですよ。私は実家で剣術を中心に修行してましたから、基礎剣術・剣法はそんなに苦労しなかったけど、格闘は全然ダメでした!」
藍はそう言ったが、今日の授業での手慣れた戦闘姿からは想像がつかない。のぞみは彼女の変化を不思議に思った。
「どうして?」
「多少、アクションスキルを身につければ何とかなるかと思ってたんですが、その程度では通用しませんね」
「でも、今の可児ちゃんは皆と対等に戦ってますよね。たった7ヶ月あまりで、こんなに成長するなんて、一体どんな修行をしてきたんですか?」
「いえ。私は特別な訓練などは受けてないですよ。授業の稽古メニューをしっかりやっただけです。ただ、その鍛錬に耐えていくうちに、知らず知らず、何か染みついていくようにできるようになっていったんです。だから、気付けば手足の動きや反応が良くなっていったという感じですね」
小柄な体格や剣術を得意としているところなど、藍とは共通点があった。のぞみは藍の訓練方法が参考になるのではと期待したが、結局、藍の回答は主観的な努力論でしかなかった。
熟達するまでの時間には個人差がある。才能があれば、最初は素人同然の動きしかできなくても、スキルを要領よく短期間に身につけることもある。天才というのは、鑑定を受けるまでもなく、突然、とあるスキルがすぐに飲み込めたり、発揮できたりするものなのだ。
「そっか……。では、前学期の稽古は、具体的に何をしましたか?」
「前期は主に基礎の型とか、単発の手技、足技かな。シンプルなスキルを何百回、何千回とやりましたよ。ただ、授業のようにではなく自由度を低くして、同じモーションスキルばかり繰り返しやっていたので、少し退屈かもしれません」
のぞみは藍の言葉を想像してみる。
「ロム師範の授業のようなイメージですね?」
藍は頷き、のぞみと目をまっすぐに合わせて答える。
「そうです!そんなイメージです。前学期と比べると今は、応用的な戦闘の実技と、臨戦態勢での訓練を中心にしています。こっちの方が楽しいですね」
楽しげに話す藍から、のぞみは目線を逸らす。お茶に映った自分は悩んだ顔をしている。
「すごいなぁ、可児ちゃん。……どうして皆、授業の手合わせでもあんなに真剣な撃ち合いができるんですか?」
「それは、戦いの感覚に一刻も早く慣れるためではないですか?手合わせのチャンスは全て貴重な経験です。一本一本の勝負を逃さないようにしたいと、皆考えています。それに、自分なりの戦術を見つけられないまま中間テストを終えてしまうと、その後が大変ですよ」
「そうなんですか……」
勝敗、成績、ライバルの戦績、戦術と、同級生たちは常に戦いのことを考えている者ばかりだ。のぞみが憧れている許嫁のあの男も、宗家の門番に武術大会の出場、そして修行という日々を過ごしている。闘士というのは、いつもこのような日常を送っているのだろうか。似ているような気はするが、何かが違う気もしている。
「あんたは遠慮しすぎや」