73.綾と蛍
アテンネスカレッジ、ハストアル棟の女子更衣室。ヒーラーの治療を受けた蛍は、シャワールームに入っていた。いつもより熱いシャワーを浴びながら、のぞみとの闘競を思い起こす。
(とことんまで人を助けたいという素直な思いがあるというのは、素敵なことではありませんか。私はそんな森島さんが羨ましいです……こんなにも強い森島さんが、どうしてそう簡単に諦めるんですか?……闘士というのは、そう簡単に諦めるものなんでしょうか?……)
蛍の頭の中で、のぞみの言葉が強烈な印象とともにくるくると回る。泡で肩を洗いながらも、闘競でのできごとがフラッシュバックし、蛍は苦しんでいた。
「そんなこと言ったって、今さらもう、前のようには戻れないわよ……」
初音とのトラブルから真人との戦いに発展し、敗北した蛍は、心地の良い居場所を失った。強くなければ、人を助けたいという気持ちも無意味となる。恋心やプライドもズタボロにされた時に手を伸ばしてくれたのは、強さを一途に求めていたクリアたちだった。救いの手を差し出してくれたクリアたちを裏切ることもしたくない。中途半端な自分も嫌だったが、気が弱くなるとクリアたちに捨てられるかもしれない。また居場所を失うのではという焦りや不安も蛍を襲っていた。
「私は誰にも負けたくない!」
勢いよくシャワーのスイッチを押すと、お湯が止まった。シャワールームを出て制服に着替え、ロッカーの扉を閉じる。
更衣室から出ると、ある声に呼び止められた。
「あんた、えらい無様な戦いやったな」
更衣室の入り口を臨む壁にもたれた少女を見て、蛍はたじろいだ。
「風見綾。どうしてあんたが?」
「笑いに来ただけに決まってるやろ」
「何よ!?私はあの女に勝ったのよ!あんただって、その目で見たでしょ?」
「ゴリ押しでな。あんたはシンプルなスピード戦法やったけど、闘競場の地の利を生かして作戦を練ったところは神崎の方が上手かった。あんな行儀の悪い勝ち方で、アテンネスカレッジ2年A組を名乗るのは恥ずかしいと思えへんのか?」
綾の批判を聞き、蛍は拳を握りしめながら叫ぶ。
「ふん、闘競は勝った者がすべてよ。勝ったんだから、それでいいじゃない!」
「まだわからへんのか?神崎はあんたに手加減してた。あんたが勝てたのは、神崎が甘やかしてくれたおかげや。そんな相手を潰して、あんた楽しいんか?」
蛍と真人たちのいざこざを、綾はもちろん知っていた。そのために蛍が居場所をうしなったことも、もちろん理解している。それでも、自分に情けをかけてくれたクラスメイトの顔に泥を塗るような勝ち方も、日頃のいじめについても、綾は認められなかった。
「何よあんた!シタンビリトといい、ハヴィテュティーといい、何であんた、あのハリボテ使いを庇うのよ?!」
蛍の物言いを聞き、綾は軽く目を閉じる。そして、次に開いた目は鋭く、厳しさが滲んでいた。
「ハリボテ使い?あんた、操士に対してそれはアカンやろ。ここには地球界と違って色んな人種もおる。そうやって自分と違うものを色メガネかけて見て、排除するような考え方してると、いつかしっぺ返し食らうことになるで」
「一時的にクラス上位にいるからって、説教?調子に乗らないでよ!」
「あんたが何をしてもええけど、あんたのせいでA組の印象が悪なるのは許さへん」
「はぁ?何よそれ。勝手に責任を丸投げしないでよ」
綾の批判的な物言いに不機嫌になった蛍は、その場から離れようとした。
「あんた、ヒタンシリカと同じ壺に浸かって、汚いマネも悪口も全部学んだようやな?」
蛍の背中に、綾の言葉が矢のように当たった。
いつから自分は「逃げる」ようになってしまったのだろう。のぞみとの試合に勝利したはずの蛍だが、綾の言葉に言い返すこともできず、心の中も何かすっきりとしないまま、その場を立ち去った。