51.実戦格闘演習、戸惑い心 ②
声かけに応じたのぞみに、ティフニーは優しげな笑みを見せた。
「調子はどうですか?昨日の実技授業は落ち着いてらしたのに、先ほどの打ち合いでは集中力が弱まったようでしたが?」
ティフニーは寄り添うように、のぞみの隣に腰かけた。
「まあ、ちょっと……」
「昨日の試し斬りは素晴らしかったですが、先程の練習では動きが鈍っていたように思いましたよ?」
のぞみはようやく教室での教養項目の授業に耐えられるようになっていたが、それでも何とか、という程度だった。クラスの成績評価で3位を保持するティフニーは、それだけの強さを持っていながら、威嚇するような烈しさや圧力を感じさせない。それどころか、A組の中でも下層に位置するのぞみにも優しく声をかけてくれた。
「ハヴィテュティーさんは、私のことをよく見抜いていますね」
「リーレイズ部族の民は、耳だけでなく「センビン」で、身の回りの生きものの精神状態、身体状態の細かな変化を感じ取る能力に長けています。それに、クラスメイトのケアをするのも、学級委員長の義務だと思っていますから。格闘に慣れないことも原因でしょうけど、カンザキさん、何か悩みがあるんでしょう?」
今朝のホームルームのとき、藍やメリルですら気が付かなかったことを訊ねられ、のぞみは感心した。ティフニーは、人類よりも遙かに高い感知能力を持つミーラティス人だ。その能力を生かし、いつも周りの心苗たちに気を配り、相談を受けている。のぞみは、そんなティフニーなら、自分の知りたい情報も知っているかもしれないと期待を込めて訊いた。
「実は、この間、更衣室で森島さんたちからイジメを受けていたという情報が、フミンモントルで広がっているんですが。一体誰がそんなことをしたのか、心当たりが浮かばないんです」
「そのお話ですか。カンザキさんが噂を立てたわけではないんですね」
「もちろんです!あの頃は、早く門派を決めなければと、あちこちの試験を受けて回っていて。森島さんとの宣言闘競はその後で考えようと思っていたので。一体、誰がこんなこと……」
言いながら、のぞみはさらに悶々とし、眉根を寄せる。
ティフニーは、「センビン」と呼ばれる触角を使って、のぞみの心拍数や呼吸から心の状態を感じ取り、その心に嘘がないことを確かめた。
垂れた花のようにしぼんだ表情をしているのぞみに、ティフニーは柔らかい口調で応える。
「おそらく、ミーラティス人の血筋にあたる子が、『念話』でフミンモントルの友人に伝えてしまったんではないでしょうか。地球界ではテレパシーと呼ばれるようですが、この能力はハーフの者でも使えると思います」
ティフニーの意見を聞いても、のぞみの気持ちは晴れなかった。
ミーラティス人が『念話』で伝えた可能性はもちろんある。意識下にあるものを遠くにいる誰かに拡散するときに便利なのもわかる。誰か一人に伝えたのか、複数人に対して伝えたのかはわからないが、その情報を流したミーラティス人が誰か、のぞみが見つけるのは難しいだろう。自らがその系統のスキルを習得するか、もしくはダイラウヌス機関の念話キャッチャーシステムを使うしかないが、このシステムの利用権限は普通、心苗には与えられない。
「もし、ハヴィテュティーさんの言うとおりなら、噂を広げた人を探し出すのは無理ですね……」
溜め息をつき、首を垂れて長考しているのぞみを見ていると、ティフニーは、噂よりも集中するべきことがあるのにと、いじらしくなった。
「宣言闘競、もうすぐですね。カンザキさんは、宣言闘競は初めてですよね?」
気怠げに目線を上げ、のぞみは「はい」と応じる。
「そもそも、どうしてモリジマさんに宣言闘競を申し出たんでしょうか?カンザキさんは、戦いが得意ではありませんよね?」
ティフニーはこれまで、のぞみに話しかけることはしなかったが、授業の様子をずっと見守っていた。
労るような優しい言葉に包まれ、のぞみは少し緊張を和らげる。
「更衣室での一件があったとき、私を庇ってくれた藍さんが、彼女たちから攻撃を受けました。私が森島さんとの関係にけじめをつけなければ、藍さんと同じように、誰かが傷ついてしまうかもしれません」
のぞみがその時、どんな気持ちで蛍に宣言闘競を申し出たのか、ティフニーは気になっていた。恵まれた感触力を使って、のぞみの心に触れるように訊ねる。
「モリジマさんのことはどう思っていますか?」
「森島さんの挑戦闘競に勝手に介入してしまったことは、申し訳なかったです。森島さんにとってあのバトルは、告白のチャンスでもあったと聞いて、何度謝っても許されないのは当然のことだと思いました。だから、最初は宣言闘競で負けても構わないと思っていました。でも……」
ティフニーは、のぞみの考え方に好感を持った。
「でも?」と落ち着いた口調で続きを促す。
「森島さんが厚意から舞鶴さんに基礎訓練を教え、そのせいで島谷さんとバトルをして敗北し、同胞たちのなかで居場所を失ったと知りました。私とのバトルで、森島さんがヤングエージェントだった過去の誇りを思い出してくれれば、このバトルにも意味があると思います」
実力もないのに他人を救いたいなどと言っているのぞみは、闘士として考えれば笑われて終わりだ。だが、その心の強さを理解したティフニーは笑みを浮かべる。
「素敵なお考えではありませんか。でもカンザキさん、対人の戦闘は苦手でしょう?どうしてそこまで考えられるんですか?」
ティフニーが他の同胞からもらった経験から、地球界の者たちにはのぞみと似た考えを持つ者が多数いることを知っていた。それでも、ミーラティス人と違って『念話』を使えない地球人の、それも、まだまだ若いのぞみが、自分を傷つける者に対してどうしてそこまで深く考えられるのか不思議だった。
「母がよく言っていたんです。悪さをする人にも、理由があるんだって。その人を許せず、歩み寄ることができないなら、お互いに理解できる日は絶対に来ないんだと教えてもらいました。たしかに森島さんたちに向き合うのは怖かったです。でも、幼い頃から許嫁の相手が育つのを見守っていたので、それで影響を受けたのかも……」
のぞみは幼かりし頃の思い出をまぶたの裏に投影する。
「彼は、辛い生い立ちでした。両親がおらず、祖父母に厳しく育てられ、赤ん坊の頃から修行を受けていましたから。でもそんな日々を乗り越えて、今や武術大会で三連覇を果たした武術帝王ですからね」
キラキラと輝く瞳を見て、ティフニーは慈しむように微笑む。
「カンザキさんは、その方から大きな勇気をもらって育ったんですね。それでは、バトルではどのように戦うか、考えているんでしょうか?」
ティフニーには他の心苗たちのように、好戦的な源気を感じない。癒やされ、包まれるような安心感を覚えるのは珍しいことだった。のぞみは聖光学園に入学してから今まで、自分の話をするのはヘルミナ先生か、ミナリに対してくらいだった。だが、今は少し、自分の話をしてもいいのかも、と思うことができる。
「森島さんは強い方なので、通用するかどうかわかりません。でも、今まで体得したすべてを注いで、彼女に挑むつもりです」
「闘士として戦わねばと、固くなる必要はありません。一撃必殺的な技でなければ、宣言闘競ではどんな技を使うことも認められていますから。カンザキさんのように誠実な気持ちで向き合われるなら、勝敗にこだわらず、胸を張ってください」
「はい、わかりました」
ティフニーから励まされ、のぞみは心が癒やされるような感じがした。
つづく