50.実戦格闘演習、戸惑い心 ①
サッカー場のように広い露天闘技場で、実技項目授業が行われていた。この闘技場は、イベント大会の決勝トーナメントでよく使われている。観覧席の壁や柱のあちこちに石像が施され、荘厳な雰囲気を醸していた。
「うあっ!!きつい……」
のぞみは両手で防御の構えをし、相手の攻撃を受け止めた。息は荒く、腕には痣ができている。顔も腫れ、見るからにダメージを受けた者の様相だ。
「カンザキさん、まだ続けますか?」
弾む息を整え、崩れた姿勢を構え直す。のぞみの目には意思が宿っている。
「はい、お願いします!」
相手はミーラティス人ハーフの小柄で飾り気のない少女だった。髪の毛を左側のサイドテールにし、短く鋭い耳を持つその少女は、黄色い武操服からE組の心苗だとわかる。二人は25枚の石板の間を取り、格闘訓練を行っている。のぞみたちの他に、15組のペアが訓練をしていた。
のぞみが今、受けている格闘実演演習では、任務時の戦闘や恒例闘競など、実戦の感覚を身につけるための訓練を受ける。フリーバトルにも近いが、本気の戦いを意識した訓練のため、ケガやダメージに耐えきれず意識を失ったり、大怪我で緊急搬送される心苗もいる。
今日は最初の授業のため、本気の戦いという意識を持つのが難しい者が多いらしい。中間テストの実力試験でもないのだからと、決め技を使う者は少なかった。
のぞみにとって格闘技は、まだ学びはじめたばかりだ。実戦に近い訓練には苦手意識もある。相手の心苗の技量やパワーはティータモットと比べられるはずもないが、手足や体の反応が良く、のぞみの攻撃はいつも躱されてしまう。彼女はサイドチェンジするとすぐ、手のひらから光弾を撃ち出した。
足の動きが悪いのぞみはなかなか攻撃を避けられない。源気を出し、防御で受け身を取る。光弾は源気の集まった塊だ。のぞみが全身に源を纏い受け身を取っても、多少はダメージを受けることになる。今ののぞみの鍛錬度合いでは、耐久戦などもってのほかだ。見るからに体が怠そうだった。
運が良かったのは、のぞみの相手が好戦的なタイプではなかったことだ。のぞみの戦意の低さ、攻撃の弱さ、鈍い反応を見て、少女は手を緩める。
「これ以上続けると、体が持たないと思いますよ」
のぞみは攻撃するタイミングを計れずにいた。蛍との宣言闘競も近付いている。少しでも早く肉弾戦の感覚に慣れたい一心で、のぞみは体の痛みや怠さを耐えていた。
スピードだけなら蛍の方が倍は速い。この少女のテンポについていけないなら、三日後の戦いではボコボコにされて終わるだろう。
ステージの向こうから、蛍がこちらを見つめている。口端にわずかに笑みを浮かべ、のぞみの訓練をずっと見ていた。実戦力を調べることとプレッシャーをかけること、その両方に蛍は成功していた。
自分の実力が試されていることに気付いていたのぞみは、呼吸を整える。噂が気になって集中できないこともあったが、のぞみは対人での戦闘に慣れていないため、どこまで本気を出していいのか困惑してもいた。そのため、なるべく源を抑えて訓練していたが、このままでは蛍に気圧されてしまう。のぞみは少しだけ源気を強め、少女に向き合う。
「いえ、時間が終わるまでは続けてください!」
(カンザキさん、ずっと実力を抑えている……。モリジマさんがずっと見ているせいかしら?それとも何か別の……?少し協力してみましょうか)
少女はのぞみの源気の上昇に気付いた。彼女はもちろん、のぞみと蛍の闘競について知っている。更衣室で三人がのぞみを囲み、悪態をついているところを目撃したその少女にとって、他クラスではあっても、自分より弱い心苗をいじめているクリアたち三人の印象は悪かった。少女はのぞみに笑いかける。
「カンザキさん、遠慮はいりません!その程度の動きではモリジマさんに勝てません。今は私に集中してください」
笑顔の奥にある真剣な眼差しから、のぞみは少女の言葉の意味を汲みとった。のぞみは手を上げて告げる。
「わかりました!ではこちらから行きます!」
光弾を投げ、それと同時にのぞみは動きはじめる。少女は光弾を片手で打ち払う。その間にのぞみはまっすぐ突くように少女の足先へと迫り、両手を何度も打ち出した。
突然スピードを上げたのぞみの攻撃に、少女は逃げ場を失う。驚いた表情になり、間に合わせようと腕で攻撃を受け止める。
少女は一旦、後ろに退くとすぐに跳び上がり、バク転してのぞみの背後に回る。のぞみは攻撃を止めることなく、振り向きざまに回転蹴りを繰り出した。少女は蹴りを躱すと同時にその足を両手で掴み、のぞみを投げ飛ばす。
目を回しながらも、のぞみは倒れないように足に源気を集めて蹴り出し、崩れた体の重心を取り戻す。足先が地面につくと、無駄のない動きで回転し、目だけで少女の居場所を探った。
生家の剣術で体得した足さばきを応用したのぞみの動きは、付け焼き刃ではできないものだ。衝撃を回避し、のぞみが改めて戦闘態勢の構えを取ったとき、笛の音が鋭く響いた。
「タイムアウト!全員、手を止めなさい」
指示を出したのはルビス・ラティ・ムルフォンシター。女性教諭だ。180センチを超える身長に短いエルフの耳を持ち、白金色に近いストレートの金髪を高い位置でポニーテールにしている。肌の色は薄い青色で、その首には特別な素材の糸で結った縄がかけられている。縄の先には二つの水晶玉が揺れていた。ルビスの指示に応じ、16組の心苗たちは即座に動きを止めた。
「重体の者がいないなら、次の組に交代しなさい」
ようやく体があたたまってきたところで、打ち合いの訓練は終わってしまった。のぞみが息を整えていると、相手の少女が声をかけてきた。
「カンザキさん、バトルに集中してから急に手足の使い方が良くなりましたね」
「えっ、そうなんですか?」
「時間が決まっていたので残念でしたが、もし続けていたら面白くなりそうでした」
のぞみは少女にまったくダメージを与えられずに終わった。
「はい……」
「カンザキさんの拳を受け止める感覚、悪くなかったですよ」
にっこりと微笑む少女の感想の意味がわからず、のぞみは困惑した。
「それは……どういう意味でしょうか?」
「チャンスがあればまた、お手合わせ願います」
「はい、ぜひよろしくお願いします」
のぞみの問いかけには答えず、少女は楽しげにステージを離れ、去っていく。その姿をのぞみはしばらくぼんやりと見ていた。
「Ms.カンザキ。具合でも悪いの?」
厳しげに見えたルビスの母性を感じさせるような口調に、のぞみは慌てて返事をする。
「いえ、何でもありません、すぐにステージから降ります」
麗しい教諭に目を付けられ、のぞみは顔を薄く赤らめ、急いでステージから離れた。
ステージから降りたのぞみは、少し離れた場所にある芝生に腰を下ろす。『気癒術』で腫れや痣を癒やし、ケガの処置をしながら、次のステージに上がった藍の訓練の様子を見ていた。
「カンザキさん」
のぞみが顔を上げると、風にたなびく金色のロングヘアーが見えた。その髪の間からは、長く鋭い耳が覗いている。サファイアのように麗らかな瞳、ネコの眉毛のような黄色い触覚。
「ハヴィテュティーさん!」
返事をしたのぞみに、ティフニーは優しげな笑みを見せた。
つづく