43.一人じゃない朝 ①
翌朝。
「あら。ルーンクツが現れましたね。野原を覆う厚い氷も少しずつ溶けていくでしょう」
いつもより早く目覚めたミュラが、前庭の転送ゲートのある台へとやってきた。毎朝の日課のように、天気予報の真似をしている。
雪の降りそうな低い雲の代わりに、おぼろげな雲が現れていた。高い空には宝石を散りばめたような結晶の塊がいくつも浮かんでいる。この塊こそが、アトランス界に起こる奇妙な自然現象―ルーンクツだ。
自然の命が冬の長い眠りから覚め、蘇っていく証として、それは起こる。大自然に宿る膨大な源気が凝縮しているからだとか、思念体の集合したものだとか諸説あるものの、どちらにせよルーンクツは、自然と共生するアトランス人にとって源気を観測する一つの方法として親しまれてきた。
空の向こうから運送用の小型飛行艇『テュルス』が飛んでくる。マスタープロテタスを使ってそれぞれの店に注文した荷物が届いたのだ。
「いつもありがとうございますね」
荷物確認が終わると、飛行艇の音声通知が響いた。
<宣言闘競の許可通知書をこのシェアハウスの方に渡す必要があります>
今日のテュルスはいつもと様子が違い、声を発した。その声は若い男のもののようだ。
タヌーモンス人の錬金工学の技術を用いた『核』は機元を作動させる。作動するためのプログラムの役割を果たしているのが機元妖精で、亡くなった者の体に残る思念体を『核』に合成する。ここに使用者の源気を注入することで、機元端や機元を動かすことができる。
地球界の擬人人形知能とも似ているが、コンピューターのCPUの数値を演算し、機械に人の真似をさせるのと違い、生きものと同じように自己意思を持っている。
「誰宛ての通知書でしょうか?」とミュラが問いかける。
<Ms.カンザキのものです>
「あら、来ましたね。本人を呼んできますわ」
数分ののち、後ろの庭と繋がる木のゲートを、コックコートを着たロロタスが押した。その後ろに、シャベルを持ったのぞみがついてきている。今日はのぞみが庭掃除の当番だった。
「ミュラさん、お呼びになりましたか?」
「のぞみちゃん宛てに宣言闘競の許可通知書が届きましたよ」
「やっと来ましたか!」
<Ms.カンザキ。宣言闘競の許可通知書を届けに来ましたが、受け取りますか?>
「はい。受け取ります!」
許可通知書を届けに来た飛行艇を見ていると、遂にという感慨が湧いてきて、のぞみは真剣な表情になった。飛行艇から触手が伸び、手渡されたものは3号バッテリーほどのサイズのものだった。六角柱ガラスでできたその通知書には、「Ms.カンザキ」と苗字が入っている。
「神崎のぞみ、宣言闘競通知書を受け取りました」
<それでは、ご武運をお祈りいたします>
「お疲れ様でした!」
飛行艇が飛び立つと上昇気流が起き、のぞみの髪の毛が無造作に揺れる。小さくとも重みのある手の中の通知書に、気が引き締まる思いで飛行艇を見送った。
食卓にはハウスメイトたちが集まっていた。朝食中からそわそわしていたのぞみは、ご飯を食べ終わるといてもたってもいられず、通知書を開いた。上部のスイッチを押すと本体が長く伸び、巻物を紐解くように展開していく。そして宙に、宣言闘競についての情報が投影された。
ミュラは席に座ったままだったが、他のハウスメイトたちはこぞって近付き、通知書の中身を興味深く読む。
最初に声を発したのはイリアスだった。
「のぞみちゃん、宣言闘競を受けたの!?」
「いえ。こちらから申し出ました」
落ち着いて答えるのぞみとは裏腹に、イリアスは目を白黒させて叫ぶ。
「ウソでしょ!のぞみちゃん、ハイニオスに入って急に好戦的になっちゃったの?!」
「イリアスちゃん、違いますよ」
「じゃあなんで自分から申し出たの?申し出た人の方が余計に注目されちゃうでしょ?」
「しょうがなかったんです。最初に森島さんの闘競を邪魔した悪者は私ですから。彼女との問題にケジメを付けるにはこの方法しかなかったですし、いつまでも目を付けられたままなのも困ります」
手をアゴに添え、ガリスは思案顔で言う。
「たしかに宣言闘競すれば、勝っても負けても、それ以前の怨恨は一切放棄でます。カンザキさんの目的はそこにあるんですね?」
争いが苦手でバトルにも詳しくないミナリはずっと悩んだような表情をして、おとなしく聞き手に徹している。
「でも、のぞみちゃんは色々とひどい目に遭ったわけでしょ?そんな相手からは離れるのが一番安全じゃないの?」
その疑問はのぞみの胸にもあった。イリアスの純粋な投げかけに、ミナリも頷いている。
「それは、姑息な方法だと私は思います。ハイニオスでは組手の練習をはじめ、闘競の頻度も高いです。あのクラスでずっといじめに怯えながら過ごしていても、何も変わらないじゃないですか。それに、同じ心苗同士、できれば彼女たちを「敵」として扱いたくありません」
「のぞみちゃん」
逃げるのでなく、同じ心苗として向き合おうとしているのぞみに、イリアスは心打たれた。
驚くハウスメイトたちの傍らで、ミュラは落ち着いてお茶を飲んでいる。すぐに「力」でトラブルを解決しようとする考え方には賛同できなかったが、今回の件についてはある程度、やむを得ないと感じてもいた。
「いたずらをされた相手にバトルを申し出る勇気は素晴らしいわ。宣言闘競が最善とは思わないけど、闘士に対しては一番シンプルな手段なのかもしれないわね」
ミュラは言葉を切り、考えるようにお茶を一口飲んだ。
「ところで、私たち操士は闘士と相性がよくないけど、のぞみちゃんに勝算はあるのかしら?」
「生家で習得した剣術を使えれば勝算がありましたが、そういうわけにもいかないので。操士としてのスキルを多用するつもりですが、森島さんはスピードや瞬発力に優れているので、どこまで効果があるか……。勝算はないわけではないですが、最終的には全力で打ち合うということになりそうです」
「三日後の午後の五時間目か。場所はハイニオス学院の闘技場ですか?ちょっと遠いけど、僕は応援に行きますよ」
「ガリス君、遠いのにわざわざありがとうございます」
イリアスが励ますような笑顔になった。
「のぞみちゃん、遠慮しないでよ!宣言闘競は全学園の人が知ってるんだし、大事なのぞみちゃんのためなんだから、応援するのは当然でしょ?知り合いにも声をかけて、皆で行くんだから!」
宣言闘競は許可が下りたものから学園全体に公表される。闘士だけでなく誰でも観戦でき、恒例闘競やイベント闘競のように、週間闘競スケジュールとして記載されることになっている。
イリアスはバトルについて具体的なアドバイスはできなくても、応援する者の数で相手をひるませようと考えていた。
「イリアスちゃん」
のぞみは、皆がバトルのことを、自分事のように真剣に考えてくれるのが嬉しかった。
ミュラは皆の出した結論に従うように言う。
「生徒会の急用がなければ、私も見に行きます」
「ミュラさん」
ミナリはのぞみが闘競に出るのがいやだった。だが、ハイニオスでいじめられていることを知り心配していたものの、遠水は近火を救わずの自分には他の案もない。一度受けた宣言闘競を断るのはルール違反だと知っていたミナリは、もはやのぞみの選択を信じ、少しでも支えるということしかできなかった。
「のぞみちゃん、ファイトニャー」
ハウスメイト一人ひとりと目を合わせ、のぞみは目元を潤わせる。胸のあたりがポカポカと温かかった。
「ミナリちゃん、皆、ありがとう」
闘競のステージに立つのは一人でも、その後ろで多くの友に支えられていることを、のぞみは強く実感した。
イリアスが楊をじろじろと見た。
「そういえば、今日のヨウ君、なんだか妙じゃない?」
「そうかニャー?」
「何だよイリアス?」
イリアスは違和感を言葉にする。
「いつものヨウ君なら、バトルの話題ってもっと熱くなるでしょ?」
ガリスが「たしかに」と言って頷いた。
「ヨウ君、妙に落ち着いてますね。カンザキさんの前に出るといつももっと積極的なのに」
楊は両手を組み、視線を泳がせる。
「そうか?俺は、普通だぜ」
「ましてやカンザキさんの大事なバトルのことなのに、何の助言もしないなんて」
それを聞くと、イリアスがビシッとガリスの顔に指を差した。
「それ!どうも変よ!」
昨晩、言いたいことはすべて言った。だから、もう楊がのぞみに言うことはなかった。
「そうかぁ~?」
楊はこの話題が何とか終わるようにと空とぼけた返事をする。しかし、ミュラがいたずらっ子のような笑顔を浮かべた。
「昨日の夜のうちに、お話が済んだんじゃないかしら?」
「昨日の夜?!あ!もしかして、夜中に部屋を出て行ったあと……?」
早めに床についていたガリスは、楊が出かけていく音を聞いたことを思い出した。
イリアスはガリスの証言を聞くと、片手で頬杖をつき、ニヤニヤした顔になる。
「ふ~~~~ん?ヨウ君、ついに牙を出したのかしら?」
「イリアス!俺は神崎さんの訓練を見てただけだぜ!」
「本当かなぁ~~?あ~や~し~い~」
「やめろ!」
思いがけない話の流れに、のぞみも顔を赤くして両手を振った。
「イ、イリアスちゃん!本当に何もありませんよ!」
「それにしてもヨウ君、たまには良いアドバイスが言えるのね」
ミュラは心地の良い歌を頭の中で反芻するように、うっとりとした表情になった。
楊は驚き、ミュラを見る。まさかあの時、ミュラが近くで見聞きしていたとは思わなかった。拾った野良犬が親にバレたような顔になる。
「ん?」
のぞみも昨晩のことを回想しながら、違和感に気付いた。
「あ!そうか、ミュラさんの耳は……」
「ええ。私の耳はミーラティス人譲りですから。数千メートル先の声も明瞭に聞き取れます」
ミーラティス人の中でも種族によって身体能力に差はある。中でもミュラが血を継ぐ種族では、人間の数千倍もの聴力を持っていた。耳をわずかに動かしながら、ミュラは昨晩の話に参加するようにアドバイスを送る。
「のぞみちゃん。せっかく森島さんのこと、そこまで考えぬいているんだから、直接そのことを伝えてみたらどうかしら?」
「……きっと、森島さんは怒り出してしまいます」
「それでいいじゃない。森島さんだって、バトルに勝つために、のぞみちゃんに何度もプレッシャーをかけてきてるんでしょう?今度はのぞみちゃんの番よ。相手のペースに飲まれてばかりだと、のぞみちゃんと森島さんは、心の対話ができなくなると思うわ」
「そうでしょうか?」
のぞみと同様、ミュラの耳のことをすっかり忘れていた楊は、ばつの悪い顔のまま拳で口を塞ぎ、「オッホン」と喉で声を出した。盗み聞きされていたとはいえ、ミュラの提案には賛同できる。
「俺もミュラさんの意見に同意するぜ。プレッシャーに気圧されてしまったら、打ち合うよりも前に、すでに負けちまう」
二人の言葉を聞いて、のぞみはしばらく思案する。そして、蛍に抗戦するための妙案を思い出した。
つづく