40.親子通信 ①
夜になった。のぞみはシャビンアスタルト寮・28番ハウスの自分の部屋で、机に向かっていた。まるで星雲のように、枠もなく宙に展開した映像を見ながら、のぞみは相手に向かって話している。
「誕生日おめでとう!のぞみ」
立体映像の話し相手は着物を着て、髪の毛に熨斗飾りを付けている。のぞみの姉のようにも見えるこの女性は神崎天衣。のぞみの母であり、ウィルターである。
誕生日というのは祝われれば無条件に嬉しいものだが、のぞみは眉をひそめ、不愉快そうに応えている。
「も~、母さんってば!二ヶ月ごとに誕生日のお祝いをするのはやめてください」
アトランス界と地球界では時間感覚が異なるため、地球界のイベントがたびたび起こることに、のぞみはまだ慣れることができない。
「「何歳の誕生日」って言っているわけではないでしょう?どうしてそんなに気にするのかしら?」
そもそもアトランス界には、年月日という概念こそあるものの、細かい時間システムの定義が存在していない。最初に作られたのは「秒」という概念だったが、それは心苗の育成のため、闘競システムの記録用に設けられたものだ。日常生活や勤務時間の計算のためではない。
その昔、時間の概念がなかった頃の闘競というのは、打ち合う二人のうち、どちらかが倒れてはじめて決着が着くものだった。
しかし、アズオンツュマン帝国が健在であった、キリポロトス20世の御代。ヘィヌエクティ王女が婿養子を決めるため、自ら設けた大会の決戦がきっかけとなった。
その試合で相手同士となった、闘士のルディン・パールトス・スティンコルダと、魔導士のラー・ハムヘーム・クルトヌンスの二人のバトルは、昼夜問わず100日以上続くこととなった。それは、バトルに果てがなかったためだ。
バトルは皇帝による要請で引き分けとなったが、もはや二人は体力も源気も限界を超え、すべてを昇華してしまい帰らぬ人となった。有望な人材がこのような戦で失われたことに、当時の人民はもちろん、貴族、王族までもが闘競の非を指摘した。
このような非業の死を経て、バトルの時間はカールンスにより制限されることとなった。カールンスとは七角錐の形をした原始的な時計である。容器に水を入れ、上から下へと溜まり、満水になると試合終了となる。この、容器に滴が落ちる時間を「一秒」として、初めて時間が定義された。バトルでは終了まで両者がステージに立っていたときは引き分けとなるというルールも追加された。
そして、今から二百年前、地球界の住民が多数、アトランス界を訪れた。この人々は地球界での時間を定義するために、相対的にアトランス界の時間を参考にし、「時」や「分」という概念も定義した。
地球界では時間という概念が浸透したが、現在のアトランス界では参考程度にしか捉えられていない。時間を確実に守ったり、年齢を気にしたりする人もあまりいない。そもそも、誕生日を祝うという概念すら持っていない種族もいる。しかし、のぞみは地球界での概念が抜けきらず、やはり年齢や誕生日というものにはある程度、敏感であった。
「だって、地球界ではもうすぐ20歳だけど、この顔を見てください。まだ私は16歳ですし、どう受け止めればいいかわかりません、頭がおかしくなりそうです」
「のぞみ。ウィルターにとっては年齢なんて些細なことよ?」
「そう言うんなら、わざわざ二ヶ月ごとにお誕生日のお祝いをしないでください」
「だって、可愛い娘の成長を見逃すわけにはいかないもの。あ、そういえば、新しい学院生活はどう?お友だちはできた?」
天衣が投げかけた話題に、のぞみはつい顔を曇らせる。
「母さん……。同級生の皆は、とても自分の強さをアピールしたがります。それに、少し暴力的な方が多くて、私はどうすればいいかわかりません」
元々、のぞみの転入学には反対だった天衣は、娘の悩みを聞いて少し呆れた顔になる。
「たしかに若い闘士の心苗は、操士とか、他の人たちと比べるとスタミナ過剰な傾向があるかもしれないわね。基礎修行の時期は力のコントロールのためにルールで制限されることも多いから、どうしても抑圧されてしまうの。それで、感情を抑えられない、思い通りにならないとすぐに乱暴するっていう子もいるかもしれないわ。……のぞみ、暗い顔して。まさか誰かに虐められているの?」
「それは……」
のぞみは蛍たちに虐められたことや、宣言闘競を申し出たことについて聞かせた。天衣は誕生日を祝っていたときの歓喜の表情を押さえこみ、真面目な顔つきに変わる。
「そうだったのね。……まずは、彼女たちに感謝しなさい。その人たちがいたからこそ、あなたの心は磨かれるきっかけをもらえたのよ。だからきちんと向き合わないといけないわ。友だちでもライバルでも、心苗同士である以上、時には烈しくバトルすることも必要。火花が燃え散ったあとに、必ず何かを勝ち取るものだから」
のぞみは初めから、このバトルを機に、蛍たちと和解したかった。だからこそ、勝利条件は「秘密の試作料理を食べてもらうこと」としたのだ。
友だちになりたいというのぞみの思いとは裏腹に、蛍は自分を憎んでいるようだ。すでに関係は最悪という状況で、たった一回のバトルで友だちになれるとは、いくらのぞみでも現実的ではないと考えていた。
「何とかなるといいけど、ちょっと難しいかもしれません……」
「のぞみ。あなたがセントフェラストに入学したとき、母さんが言ったこと、覚えてる?」
「はい……」
「セントフェラストには、各々の思いを持った者たちが集まる。それぞれの過去が、それぞれの経験が、個性を創り出している。だから、自分と異なるからといってすぐに悪者と認識するのは良くないことよ。そう言ったわよね?」
のぞみは渋々と言った様子で頷く。
「力の強さだけを求めるのにも、きっと何か理由があるの。彼らがあなたにしたことを許しなさい。そうすればいつかきっと理解できるわ」
生家で大切に育てられたのぞみは、あまりにも見識が少ない。だからこそ、人に対して偏見の色眼鏡をかけるようなことはしないし、クラスメイトたちに対しても好奇心や謙遜の気持ちで接している。だからこそフミンモントル学院ではミナリやクラスメイトたちと仲良しになれたし、シェアハウスでもハウスメイトたちからの愛を受け取っている。
しかし、ハイニオスでは、それだけでは通用しない。
のぞみは目を伏せ、考えてから、そっとその視線を映像の母に移す。
「母さん、あの。その宣言闘競で、うちの剣術を使いたいんですが……」
言葉尻が細くなるのぞみに、天衣が厳しい目付きになって応える。
「どうして?そのバトル、あなたにとってそんなに重要なの?」
「それが、剣術の授業を担当している先生に声をかけられたんです。もしも公式の闘競で勝ったなら、門派への入門を特別に認めると」
「そうなのね、それはどこの門派かしら?」
「忍び系統の『朧影流』という流派です」
「あら。あの坊や、先生になったの?」
「坊や?お母さんはイーコロ先生のこと、知ってるんですか?」
のぞみは、天衣がイーコロと既知の仲であるだけでなく、「坊や」と呼ぶような関係であることに驚く。
天衣は昔を思い起こすように中空を見つめて話しはじめた。
「ええ。まだ私がマージスターに勤めていた頃、三年生の彼は『スカウト』の資格を取ってすぐにダイラウヌス機関の任務を受けたのよ。たしかにあの頃から、アトランス界出身のわりには地球界の忍びに妙に夢中だったわね。心苗を卒業した後、『朧影流』の流派を創ったと聞いたけど、まさか彼があなたの剣術指導の先生になるとは、思ってもみなかったわ」
ダイラウヌス機関は、アトランス界フェイトアンファルス連邦国が設けた治安情報管理機関である。49ヶ国間で起こった犯罪事件、テロ、闇組織の捜査、連邦国や種族の平和関係を脅かす事件、あるいはそれらに関わる事相の解決のため、日夜、暗躍している。
地球界でいえばかつて存在した米国のFBIやCIA機関とよく似た機能を持つが、この組織はフェイトアンファルス連邦国が形成されるよりも前から存在した。そして、連邦国が結成された後は、連邦議会で認められ、どの国にも属さず、独立捜査権の行使をすべての国に対して持っている。
また、ダイラウヌス機関は、地球界のローデントロプス機関と同じ立場である。
マージスターは二つの機関により承認され、事件の捜査権や武力行使権を与えられている。マージスターに選ばれるのは、源気を使いこなすエリートであり、全員が聖光学園を卒業したOB、OGたちだ。彼らは任務遂行のために、種族境線を自由に行き来する許諾権を持ち、世界と繋がるためのテーラゲートも使うことができる。天衣はかつて、優秀なマージスターであった。
天衣の言葉を聞き、のぞみは少し期待するような笑みを浮かべる。
「それなら!……」
のぞみが言い切るよりも前に、天衣が声を発する。
「いけません。掟は守るためにあるのよ」
取り付く島もない天衣の応対に、のぞみはムッとして言う。
「軽く技を使うだけでもいけませんか?」
「あなたはまだ技のコントロールがうまくできないでしょう?そもそも、最初に剣術を教えたときの約束を破るつもり?」
「約束は忘れるはずがありません!でも、剣術を使えなければ勝ち目がないです」
「負けたっていいじゃない。負けたからって何かが減るような勝負条件じゃないでしょう?それに、バトルを申し出る前には、負けたときのことも考えておかなきゃいけません。自分で言い出したことなんだから、自分で責任を取りなさい」
理屈ではわかっていても、のぞみは天衣の言葉をどうしても素直に受け取ることができなかった。説教を聞くしかないのぞみは、不機嫌な表情を緩めない。
「たとえ闘競に負けて、弟子入りのチャンスを逃したとしても、損とは思わないわよ」
得意な剣術を使えないとなると、打つ手のないのぞみは、厳しい母の言葉に目尻を潤わせる。
「でも……。母さんはハイニオス学院のことを知らないでしょう?あの学院では、実力でしか認められません。今の私は同級生との間に大きな実力差があります。自主訓練といってもどうすればいいかわからないし、門派が決まらないと、皆にどんどん離されていってしまう……」
娘の不安な胸中を聞き、天衣はつぼみが開くような笑みを浮かべる。
「たしかにあなたは門派に入った方が、闘士としての修練方法を早く身につけられるかもしれないわね。でもね、のぞみ。大切なときだからこそ、焦っちゃいけないのよ。盲目的に門派を決めて、後から合わないことに気がついてもどうしようもないっていうこともあるわ」
「だったら私、どうすればいいんですか?このままじゃ、教室に入ることすらできなくなっちゃう……」
「母さんから見ていると、のぞみは必修項目をきちんと受けて、心苗としての基礎訓練を人より少し多めにするだけでも十分と思うわ。さっさと卒業しなさいなんて言わないし、周りのレベルについていけないなら無理する必要もないんじゃないかしら」
天衣は、焦りのあまり視野が狭くなっているのぞみを励ますように言葉をつづける。
「皆、それぞれの過去があって、それぞれの理由があって、今、セントフェラストにいるの。来た道が違えば、進んでいく道も違うものよ。だから、のぞみはのぞみの信じる道を行きなさい。自分のペースで進めば十分よ」
「でも、留年したら恥ずかしいです」
「留年はそんなに恥ずかしいことじゃないわよ。技をもっと磨きたいとか、学園生活が恋しくて離れたくないとか、ホミの相手を探したいとか、いろんな理由で留年する心苗はけっこういるでしょう?」
ハイニオスでは、同級生のレベルについていけない場合、留年を選ぶことができる。来年度、昇級してきた後輩たちとクラスメイトになるということだ。レベルが足りない、力が足りない、さらに磨きたい。自分の成長に合わせて学院生活を送るために、あえて留年を選ぶ者もそれなりにいた。
「そうですか……」
つづく