17.着替室で起こった事ごと ②
「はい、肝に銘じておきます」
出会い方としては最悪のパターンで蛍たちと知り合い、すでに目をつけられてしまったのぞみは、冷や汗をかく。苦笑して、何も言うことができない。
(もう既に、やられたけどね……)
着替えの終わった心苗たちが更衣室を去っていく。ジェニファーと話していたのぞみは、まだ着替えが済んでいなかった。
「おお、もうこんな時間か。引きとめてすまない。君も早く着替えて。私は先に行っているよ」
「はい。着替えたら、すぐに行きます」
ジェニファーは軽く手を挙げて挨拶し、くるりと踵を返して去っていった。
のぞみはさっと制服を脱ぎ、ケースを開ける。中には宝石のようなボタンと、それよりも小さなバッジ状のものが二つ入っている。着衣機元だ。へその下に貼りつけ、宝石ボタンを押す。すると、服の輪郭を描くように光線が射出した。
数秒後、のぞみは競泳水着のように袖がなく、太ももの真ん中あたりまで丈のあるボディスーツを着ていた。
次に、上着の着衣機元を胸元に付け、両手でボタンを押す。今度は制服のような、二重アーマー式の白Tシャツとブルマが着用される。ブルマの下には、三分丈のボディスーツが覗いている。
そして、黄色の二本線が入った黒帯をしっかりと締め、三つ目のボタンを押す。すると、襟、シャツの紋様、ブルマがそれぞれA組を表す赤色に染まった。
最後にバトルブーツを履いて、武操服への着替えは完了する。
この武操服は、闘士たちそれぞれの実技項目や戦闘実習など、授業の多くの場面を考え抜いて作られた戦闘用ジャージだ。防水、防熱、防寒の効果を持ち、伸縮性とダメージ耐性にも優れている。性能の高さを気に入り、闘競や依頼任務を受けるときに武操服を着るという者も少なくない。
のぞみが着替えを終えるころには、更衣室はがらんとしていた。残っているのは数名のみ。のぞみが自分のロッカーのある区画から出ようと思うと、三人分の気配が出口周辺を塞いでいた。
「ちょっと、そちらの転入生。他人のバトルの邪魔をするなんて、感心しないなぁ~」
女性にしては低めの声が聞こえ、のぞみはそちらを向く。そこには、マーヤと蛍、クリアが、のぞみの行く手を阻む壁のように立っていた。
「あっ、森島さん……」
「懲りないのね、おバカさん」
クリアがせせら笑うように言った。
「もう帰ってこなくてよかったのに」
蛍が両腕を組んで言った。
更衣室に残っていた数名の心苗たちは明らかなイジメの現場に立ち会っていたが、クリアや蛍のような素行の悪い者たちに関わりあいになりたくないからか、まるで彼らが見えていないかのような素振りでそそくさと離れていく。
三人の言動から、非友好的な空気を感じ取ったのぞみは、軽く身を引いて応じる。
「私はA組の心苗ですから。戻ってきますよ」
「せっかく身の程を知らせてあげようと思ったのになぁ。あーあ、苦労が台無し」
やれやれという仕草をしながら、芝居がかった調子でクリアが言った。
「どうしてあんなことができるんですか?」
「何のこと?」
のぞみは両手を胸元に置いて握りしめ、勇気を絞って問いただす。
「私を校舎の裏回廊に捨て置いたのはあなたたちでしょう?」
蛍は否定もせず、薄ら笑いを浮かべて言う。
「よく眠れた?」
マーヤが加勢する。
「あの程度の重力にすら耐えられない心苗なんて、A組には必要ない」
三人からの嘲笑に、のぞみは怒りのあまり、悔し涙を目元に溜める。
「……私は転入学試験に合格しました。面接審査にも通っています」
「はっ。あんな貧弱な源で?笑わせないで。まぐれでトヨ猿に勝ったからって、授業一つまともに受けられないくせに。恥を知りなさい、この魔女」
聞き慣れない単語にのぞみは驚き、小さく復唱する。
「……魔女?」
クリアとマーヤを味方につけ、勢いづいた蛍は、悪童のような笑みをたたえている。
「そうよ、人の心を盗む女は魔女と決まっているわ」
蛍の理屈をのぞみは理解できず、両者の話し合いは平行線をたどる。
「いったい何の話ですか……?」
悲しげな顔をするのぞみに、クリアが追い打ちをかける。
「無自覚であんなことができるの?あんたどこまで鈍感なのよ」
自分の言動を思い起こしてみたが、媚びを売ったり、人の心につけいって誘惑したような覚えはなかった。のぞみは細い声で反論する。
「私、本当にわかりません。何か勘違いしてませんか……?」
「森島さん、ヒタンシリカさん、パレシカさん、そこをどいていただけませんか?」
鈴の鳴るような声に、四人が振り向く。
横槍を入れてきた少女の姿を見て、クリアはあからさまにぶすっとした表情になる。
「なんだ、藍じゃない」
「ずいぶんな言い方ですね、ヒタンシリカさん」
クリアは藍を気圧すように源を出す。
「お黙り!藍には関係ないでしょう?これ以上、口を挟むんならあんたにも容赦しないわよ」
藍は三人より、年齢も実力も下だった。それでも、ぎゅっと拳を握る。
「こんなことしていたら、いつかきっと報いが跳ね返ってきますよ」
「けっ、弱者は黙りな」
三人の中でもっとも藍に近かったマーヤが手を出す。背が高く、体型にも恵まれたマーヤが片手を張り出した。手から飛びだした光弾は避ける間もなく藍に当たる。
「きゃぁっ!!」
打ち飛ばされた藍は床に転ぶ。マーヤは高慢な表情で言い捨てる。
「私たちに楯突いた罰だよ」
あまりの酷い仕打ちを目の当たりにし、のぞみはベンチに飛びあがり、室内を区分けする低い壁を三秒と経たずに移動すると、藍の様子を窺う。
「この女、いつの間に?!」
瞬間移動のようなのぞみの動きに、クリアは少したじろいだ。
一方的な暴力に、のぞみは反発する。
「やめてください!どうしてこんなことばかりできるんですか?」
「この程度の攻撃、闘士にとってはなんでもないよ」
一発では足りないとでも言うように、マーヤは指を鳴らす。
それを聞いてのぞみは眉間をしかめ、怒りを露わにする。
「気に入らないなら、私を殴れば良かったじゃないですか」
意識ははっきりしている藍は、体を起こす。
のぞみは迷惑をかけたことが辛く、藍に寄り添うようにして訊ねる。
「藍さん、大丈夫ですか?」
マーヤの一撃を受けた藍だが、大したことはないとでも言うように手を振る。
「神崎さん、このくらい、平気ですよ」
「どうしてわざわざ来てくれたんですか?」
のぞみが戸惑ったように訊ねると、藍は少し誇らしげに微笑んで言った。
「藍家の家訓に従っただけです」
それを聞いて、のぞみは眉を八の字にする。転入学するという決断で、自分が苦労を負うのはいい。でも、他人にまで辛い思いをさせるのは気がかりだった。
「ありがとうございます。でも、あとは私に任せて、先に行ってください」
「でも……」
心配げな藍を安心させるように、のぞみが言った。
「基礎拳法演習の授業で会いましょう」
「……わかりました。でも、無理は禁物です」
のぞみが頷いたのを確認すると、藍は立ち上がる。そして、三人を鋭く一瞥してから、更衣室をあとにした。
マーヤが言う。
「邪魔者がいなくなってせいせいしたね」
クリアも調子を取り戻したように続ける。
「弱い奴ほどヒーローごっこが好きなのよね」
蛍は憎々しげに呟いた。
「あームカつく、あいつ潰してやろうかな」
藍の一件は、のぞみを不愉快な気持ちにさせた。
今朝、ホプキンス寮長先生が予言したのはきっとこのことだろう。
予想外なトラブル、酷い目に遭わされ、挑発を受ける。寮長先生は、「挑発に付き合わないようにすると安泰」と言っていた。
のぞみは逡巡した。同じクラスの心苗とは、毎日顔を合わせる。オンズ先生にも言われたとおり、人間関係のケアは早いうちにしておくに越したことはないだろう。
幾度にもわたる不愉快な感情を棚に上げ、のぞみは蛍に頭を下げる。
「森島さん、すみません。今朝のバトルのこと、改めて謝ります」
「言ったでしょう?その安っぽい謝罪、無意味だって」
「森島さん、どうしてそんなに怒っているんですか?あのバトル、あなたにとって何か、特別な意味でもあったんですか?」
「なっ……」
蛍は奇襲をかけるようなのぞみの言葉に声を失う。あまりにも澄んだ瞳が、まっすぐな眼差しで自分を射るように見ている。その真剣さに、思わずゾッとした。
言葉に詰まった蛍に代わり、クリアが対抗する。
「そんなこと、あんたには関係ないでしょ?」
意地になったのぞみは首を左右に振り、さらに熱を持った眼差しで言葉の槍を突きつける。
「そうはいきません。森島さんがそんなにも辛く当たるのには理由があるはずです。バトルの邪魔をした時点で、私は関係者ですから、知る権利があります!」
正拳突きのように激しいのぞみの質問は、これまで表面張力で保っていただけの蛍の怒りに最後の一撃を与えた。一度溢れだすと止まらない苦しみを吐き出すように、蛍は叫ぶ。
「……そうよ。もしそのバトルに勝てば、不破君に告白できたのよ!あんたはそのチャンスを奪ったのよ!」
なぜ魔女などと言われたのか、のぞみはようやく辻褄があった。そして同時に、自分の犯した罪の重さを理解し、重苦しい表情になった。
「そういうことでしたか……。ごめんなさい。悪気がなかったとはいえ、許しがたいことですね」
のぞみはそのまま続ける。
「あの、私と、宣言闘競しませんか」
教室の重力にすら体がついていかない華奢なのぞみからの申し出に、三人はとっさに反応できなかった。蛍は数瞬ののち、ショックを隠すように強気な声で応える。
「はぁっ?わけわかんないんだけど?」
「ここは闘士の学院ですから、闘士のやり方でケジメをつけましょう。森島さんたちは、そうでもしないと私を認めないでしょう?私も、今の自分の実力を試したいんです。宣言闘競、受けていただけませんか?」
宣言闘競は、個人的な小競り合いをはじめ、個人・組織問わず、意見が割れたときなどに行うことが多い。ほかにも、復讐や敵討ちといった怨恨に関係する衝突や、少人数、及び集団同士の諍いで死傷者が出ることを防ぐためにも行われる、学園の条例法で認められた争いの解決法だ。
バトルは心苗が生徒会に申込書を提出し、双方が敗者への条件を申し立てる。そして、双方の代表者が闘競管理部の指定したステージでバトルを行う。各々にとっての議題はバトルの勝敗のみにより解決されるため、それ以降は追求を放棄することが求められる。
長い時間をかけて作りあげられたこのシステムは、学園の民事訴訟の件数を大幅に減らすことに成功した。戦闘での強さがすべてと考える闘士にとって、宣言闘競は理にかなった調停方法だったのだ。
蛍は蔑むように笑い、のぞみに食ってかかる。
「この私に宣言闘競を申し込むなんて、身の程知らずもいいとこね。いいわ。あんたのその根拠のない自信、二度と立ち上がれなくなるくらい滅茶苦茶に叩き潰してあげる」
「では、いつやりましょうか?」
「そうね」と蛍は少し考えてから言う。
「来週の二日目でどうかしら」
「一週間後ですね。森島さんの条件はなんですか?」
アトランス界の暦では、一週間は8日となっている。
蛍は、自分の思いついた敗者の条件に、つい笑みがこぼれた。
「ふふ、そうね、『私はマヌケです』って書いた札を首からかけて、ハストアルの一階の回廊を掃除してもらおうかしら」
「わかりました。ではもし私が勝ったら、私の試作料理を一品、食べてください。この条件はいかがですか?」
宣言闘競では、申込書にバトルを行う理由と、勝者が敗者に与える条件などを書きこみ、生徒会が判定を下す。しかし、正当な理由と条件でしか承認が貰えない。たとえば、実績のまったくない一般の心苗同士の申し出で、小さな喧嘩に過酷な条件を付与するなど、立場や対価が見合わない場合には生徒会によって却下されることもあった。
二人はともに一般の心苗で、喧嘩の理由も大義があるとはいえないため、この程度の条件を与えあうのが妥当だろう。
「はぁ?なんであんたの作った料理なんて食べなきゃいけないのよ」
突き放すように言う蛍の腕を引っ張ったクリアは、のぞみに背を向けるようにして耳元に囁いた。
「蛍、あいつの料理、ゲロマズなのかもよ。それか、毒でも盛る気なのかも」
「たしかに、試作ってとこが怪しいもんね」
マーヤもおぞましそうに加えて言う。
「トヨ猿の謎ジュースよりヤバいかもね」
以前、蛍はクラス内のバトルで負け、何を混ぜたか知らせてもらえないまま、謎ジュースと呼ばれる液体を飲まされ、気絶した。衝撃的な味覚と、えもいわれぬ後味を思い出し、蛍の顔面は蒼白になる。
「あれだけは二度とごめんよ……」
本人たちは囁いているつもりだろうが、内容が丸聞こえだったのぞみは、からりとした笑みを浮かべて話に割りこむ。
「森島さん、毒なんて入れませんからご心配なく。私の住んでいるシャビンアスタルト寮の食堂ビュッフェの多くは、私の作ったレシピなんです。試作とは言いましたけど、味には自信がありますよ」
すぐにわかる嘘をついて、と疑うクリアが自分のマスタープロテタスカードを使って調べる。すると、学園の寮食堂ランキングでトップ評価を獲っているのはシャビンアスタルトだとわかった。
蛍には、のぞみの条件が理解不能だった。勝てないと思ってやけっぱちになっているわけでもないらしい。むしろ、のぞみは勝つ自信があるからこそ、このような条件を出しているのだというような、不思議と余裕のある言動をする。蛍は弱みを見せまいと、気を張るように言い放った。
「ふん、その条件、受けて立つわ。ま、勝つのは私だから、どんな条件だってかまやしないわ」
「私も負けないように、全力で挑みますね」
のぞみはさらに真剣な面持ちになる。バトルの申し込みは成立した。
つづく