16.着替室で起こった事ごと ①
教室へ戻ったのぞみが扉を開こうとすると、ちょうど藍が出てきた。
「神崎さん!もう治りましたか?」
「どなたかが助けてくださったみたいで、もう無事です」
藍は両手を後ろに回し、ニッコリと笑った。
「大事に至らなくて、良かったですね」
ちらりと教室を覗くと、そこには誰もいなかった。のぞみは今が午後の二時間目が始まる前の休み時間であることを確認する。
「皆は?」
「次は基礎拳法演習ですから、門派所属の道着か武操服に着替えないと授業が受けられないんです。格闘・戦闘技のロム・タロドス先生はとても厳しい方ですよ」
藍からは、綾のような警戒心やプライドの高さも、蛍やクリアのような敵がい心も感じられない。のぞみは少し安心して、気安く訊ねた。
「お教えくださって、ありがとうございます。あなたのお名前は?」
「私は藍可児といいます」
藍は微笑みながら、妖精のように去っていった。
女子更衣室は西側3階にある。一学年7クラスの女子心苗が共用で使う更衣室は中に階段があり、二階建てになっている。どちらも似たような間取りになっており、シャワー室と化粧台がたくさん設置されている。開放感のある更衣室内は、温泉の脱衣所のようにロッカーで区分けされており、6人で一つのベンチをシェアするようになっている。
ロッカーには名前を映すディスプレイがある。のぞみが自分のロッカーの前でセンサーに向かって少量の源を出すと、中枢部に保存されている源紋パターンと一致し、鍵が開いた。
横60センチ、高さ2メートルのロッカーは、刀剣をはじめ、打神鞭、十手、トンファーなど、武器を複数収納できる広さがある。ロッカーの上には六つの穴が空いており、扉の裏側にはビリヤードのキューを置くような場所があり、長い武器を収納できる。また、更衣室の天井は、3メートル以上の武器でも置いておけるように、かなり高く取られていた。
のぞみのロッカーの中には、ハンガーが三本、パイプに吊られており、タオルとアクセサリーを収納する黒いケースがあった。のぞみはスカーフリングを外し、制服を脱ごうとした。そのとき、誰かが近付いてくる気配を感じた。
「君、カイムオスのハンマーを受け止めたっていう、噂の転入生だね?」
首だけで振り返ると、金髪の女性が立っている。見ず知らずの心苗から、朝のバトルのことを訊ねられるのはすでに二人目だった。おそらく、風の便りのように、この学院中を噂が駆け巡っているのだろう。のぞみは苦笑しながら答えた。
「はい。あなたは?」
「ジェニファー・ツィキー。地球界のネオーヨーク州出身だ。よろしく、Ms.カンザキ」
キャップの後ろの穴からポニーテールを下ろし、アイスグリーンの瞳にのぞみを映す。所属クラスの色を示す赤色の武操服を着たジェニファーは、すっと右手を差し出した。のぞみもその手を握り返す。
「よろしくお願いします。朝の授業では見かけませんでしたね?」
「ああ。私は第三カレッジの生徒会の、風紀巡察隊員なんだ。今朝は生徒会の所用でね」
生徒会の治安風紀隊員には、一年生の第三期で志願し、テストで認められた者しかなれない。そもそもそういう者は、入学前からすでにある程度の実力や実績を持っている。選び抜かれたエリートであるジェニファーはクラス6位だ。
生徒会メンバーに声をかけられたことに、のぞみは少し臆していた。それは、後ろめたいこともないのに、警察に呼び出されてビクビクしてしまうのと似た反応だった。のぞみは気分を和らげるよう、努めて明るい声を出す。
「二年生で生徒会の風紀メンバーになるなんて、すごいですね」
「そんなことはいい。それよりMs.カンザキ。カイムオスとモリジマの一戦に介入したと耳に聞いたぞ」
なんとか話題を変えようとしたが、やはり朝のバトルの件を蒸し返され、のぞみは素直に頭を下げる。
「謝って済むものではないですが、バトルの邪魔をして、申し訳ないです……」
「いや、君の介入に関係なく、Ms.モリジマはカイムオスに負けていただろう」
「そうでしょうか……?」
「Ms.モリジマは、白星を稼ぐために、いつも成績順位が下位の心苗に挑戦闘競を出していたからな。今回、彼女が負けることは闘競の前に決まっていた。情報収集の時点でな」
「情報戦で負けたっていうことですか?」
ジェニファーの言葉に、のぞみはまだ理解が追いつかず、困惑している。
「平たく言えばそういうことだ。カイムオスはたしかに成績順位が低い。だが、成績順位の低い者が弱いとも限らない。カイムオスはバトルの回数自体が少ないうえ、いつも実力が上位の者と戦い、負けている。弱く見えるカラクリはそういうことだ」
「そういうことでしたか。でも、成績評価の順位は、闘士にとって大切なのではありませんか?」
「そういう側面もあるが、順位を鵜呑みにしてはいけない。一年生で実績と認められるのは挑戦闘競と宣言闘競だけ。恒例闘競と祭典イベント闘競は二年の第二期から解放だから、その他の多くの戦績というのは、なきものとされる」
操士と闘士とでは、評価方法がまったく違う。
のぞみが前学期まで通っていたフミンモントル学院では、創造物がどういう意図で作られたかを重視していた。だから極端な話、作者なき後に評価されるアート作品のようなものまでが評価対象となるため、良し悪しには曖昧な部分も多かった。
対してハイニオス学院では、肉体の戦闘能力の強さと、源による増強といった、戦闘を主軸に置いた評価が重視される。
闘競に作戦、策、順位、ライバル、敵か味方か。常に戦闘を意識しているハイニオスの心苗たちと比べると、のぞみは戦闘に対して少し疎いところがあった。のぞみはぼんやりとした口調と純粋な眼差しでジェニファーに応える。
「なるほど。同じ闘士でも、森島さんとカイムオスさんでは、戦に対する価値観が違ったんですね」
ジェニファーはのぞみの言動を観察して、実に虐められやすそうな心苗だと思った。初対面の人間に対する警戒心を持つ、対峙する時には一定の安全距離を取るといった、初歩的な自衛策すら取っていないからだ。ジェニファーはのぞみを思い、警告を与える。
「そういうことだ。このクラス、いや、この学園に通う限り、ただのお人好しでいるのは危険がつきまとう。とくにハイニオスでは、意にそぐわない者がいればすぐ喧嘩を売る輩も多い。覚えておいたほうがいい」
はじめは風紀メンバーからの声かけに臆していたのぞみだが、ジェニファーの忠告をありがたく思った。
「真心というものを信じたいですが、気をつけるようにします」
「Ms.モリジマはカイムオスとの件で苦汁を舐めたわけだから、多少反省するとは思うが……。ただ、彼女たちはよく下位の者をいじめたがる。注意しておけ」
蛍やクリアのように、多少、力があるからといって調子に乗り、弱い者いじめをする者は少なくない。
つづく