166.両方共『尖兵』
ハイニオス学園の南に臨む広大な平野。中央学園よりも南部にある、ロットカーナル学院の西部に位置するそこは、聖光学園が所有する別荘区だ。
学園の宿泊エリアの一つであるヴィリーアスタットには、フェイトアンファルス連邦国の諸国の貴族や、英雄の子女、または実績の多い心苗などが泊まっている。十数平方ハルもある所有地のため、この大きな屋敷から一番近くの屋敷までは、徒歩で40分以上はかかる。
開放的な視野の荘園地には、一軒の洋館が建っていた。三階建てのその建物には、リビングとキッチン、ダイニングの他に10室ほどの部屋がある。夜になるとその屋敷の半径0.5ハル圏外は真っ暗になり、闇色の海に浮かぶ一隻の船のように、小さな城がぽつんと建って見えた。
この屋敷の玄関を入るとすぐに、来客を接待するための応接間があった。十二人が座れる細長いテーブルと椅子。窓側には一人掛けのハイバックソファーとローテーブルがそれぞれ二脚置かれている。男女二人の心苗は、そこに座っていた。
そのうちの一人は、昨晩レストランでウェイトレスに変装していた女子心苗だ。彼女は落ち着かない様子で、戦闘機元を操っている男子に問いかける。
「ねぇ、ロヴァートさん。ラメルス先生の指示が急に変わったの、おかしいと思わない?」
サイバスチャン・ロヴァートは、女子心苗の方に顔を傾けた。痩身な彼は、グリーンアッシュの髪を剃り上げ、アップバングに整えている。
「どうしてそう思う?Ms.エロランタ」
「だって……。昨日あそこで容疑者たちを捕まえるべきだったでしょう?何度考えたって、私たちここで、彼らに協力してるように見えるわよ」
「特段おかしなことではないよ。彼らは極秘ミッション遂行のため、未来からやってきた。君も聞いたでしょう?」
サイバスチャンの質問に、マイユは無言で頷いた。
「663コード特例権限を実行し、時間、空間、人員構成問わず接触してきたっていうんだから、機関は彼らの行動を最優先に支援する。彼らのマスタープロテタスのエンブレム権限と実行コードだって本物だった。『尖兵』の仲間として、彼らの行動を支援するのは当然の行動でしょう?」
マイユ・エロランタは、急に立場が変わったことに混乱し、戸惑っていた。編み下ろした茶髪をサソリの尾のように左肩から胸元へ下ろし、その先を指でいじっている。
「それは分かってるけど……。でも、一体何のためにわざわざ時空を超えてまでカンザキさんを抹消するの?あの子、優秀な後輩だって聞いたのに……」
「彼らは未来から来た『尖兵』だ。君の知っているMs.カンザキは優等生かもしれないが、未来の彼女はそうではないのかもしれない。もしも異端犯罪者となって、とんでもない脅威に変貌を遂げていたら……?過去に戻って彼女の存在ごと抹消するというのは、一つの選択かもしれない」
「ラメルス先生が彼らの隊長と談話した内容は聞いた?」
サイバスチャンは肩をそびやかし、首を振った。
「いや、詳しくは聞いてない。君の聞いた指示と同じで、私たち四人で順番に彼らの生活面を支援することと、今後、彼らの任務に関する口出しをしないこと、そして、何らか動向があるときはラメルス先生に報告するってことだけだ」
マイユはサイバスチャンの、のぞみの未来に対する憶測も一理あると思っていた。だがその憶測が、任務の趣旨の変更を正当化させていることに、マイユは違和感を覚えている。
「箝口令まで敷くってことは、未来に起きている事件は相当厳しいもののはずよ。なのに、メンバーの追加要請をしないなんて」
疑念を抱くマイユに対し、サイバスチャンは気楽に応えた。
「先生がそう決めたんだから、何らかの理由があるんだろ。私は彼の判断を信じるよ」
「そう……」
マイユはサイバスチャンの返答を聞いても、困り顔のままだった。アーリムの汚職が気がかりで、任務指導員に対する信頼関係が崩れたのだ。冷たい汗が伝っていた。意見の異なるサイバスチャンと揉めることは避けたかったため、反論はしなかった。
その時、玄関扉の開く音がして、二人は無言でアイコンタクトを取る。サイバスチャンが立ちあがり、入り口の扉を見た。
玄関からはレッドワインの癖毛の髪に、白い肌の男が入ってきた。彼はレン・トンクロス。ケビンやカロラと同じ仕様のマントを着ている。
「お帰りなさい、トンクロスさん」
サイバスチャンが声をかけると、男が彼を見た。
「こんばんは、今晩の当番は君たちか?」
「はい。お買い物ですか?」
レンはポケット納屋から瓶入りホールニンス1ダースとつまみを取り出した。
「ああ、ちょっと野暮用でな。これは差し入れだ」
意外な親切に、サイバスチャンはやや恐縮した。
「わざわざすみません」
「いや、しばらく世話になるだろうからな。遠慮なく受け取ってくれ」
「ありがとうございます」
マイユは口をむっとさせて二人のやり取りを見ていた。内情もわからないまま任務内容が変更されているというのに、素直に受け取るのは筋違いだと思っていた。
「トンクロスさん。未来ではカンザキさんに何が起きているんです?任務内容さえわかれば、私たちももう少し協力的になれますが?」
その質問を聞くと、レンは一瞬だけ不機嫌そうな表情になった。
「君たちが知る必要はない」
先程までの良い雰囲気は、マイユの質問で一転、冷え冷えとしたものになった。だが、マイユも引かなかった。
「何故ですか?『尖兵』同士であっても教えられない機密なの?」
「君……エロランタさんだったかな。君たちを困惑させていることは申し訳なく思う。だが、任務内容を知られすぎると、多くの人を無駄に巻きこむ恐れがあるんでな。あまり色々と干渉すると、無関係な未来まで変わってしまうかもしれん。できればリスクは最小限に抑えたい」
マイユは俯いた。
「そうですか……」
「だから言っただろ?考えすぎだ」
サイバスチャンはこれ以上マイユが面倒なことを喋らないよう制止した。そして、気まずい空気を和らげるように取り繕う。
「すみません、彼女、心配性で。いつも細かいことまで気にするんですよ」
レンは目を細め、不機嫌そうな口元にわずかに涼しげな笑みを浮かべる。
「まあ、真実を求めることは間違いではない。『尖兵』としては欠かせない素質かもしれんな。だが、もう一度言う。君たちに支援を頼んだ覚えはない。ラメルス先生からどうしても協力したいと言われ、その気持ちを一応受けたのみだ。彼がすでに君たちに指示を下したはずだが、カンザキ先輩の抹消任務には手を出さないでほしい」
アーリムの汚職については気になったままだったが、マイユの勘は、これ以上、一歩でも踏みこめば命に関わるかもしれないと言っていた。
「分かりました……」
「もう遅い。君たちも無理はせずにな。では、お先に失礼」
会話を打ち切るように挨拶をして踵を返したレンに、サイバスチャンも声をかけた。
「お休みなさい」