15.彼女はヴィタータイプ
のぞみが目蓋を開くと、白い天井が見えた。いつの間にかベッドに寝かされていて、薄い布団を掛けられている。まだ少し体の中にだるさが残っていたが、のぞみはなんとか背を起こした。そばに置かれた机の上に、名前を知らない花の一輪挿しが置かれている。清潔感のある個室には窓もない。壁も天井も白く塗りつぶされており、宙にのぞみの身体情報が投影されていた。
自動扉を開く音が聞こえ、一人の女性が姿を現す。
女性は白衣に銀色のベルトを締め、白のマントを羽織っている。銀のミディアムショートの髪の毛が美しいその姿を見て、のぞみは入学院手続きの資料を思い出す。そこにはカレッジの教諭はもちろん、学院所属の医療センター・ハストアル治療室のヒーラー長も記載されていた。
「オンズ先生……ですか?」
女性はクールな笑みを浮かべる。
「目が覚めたのね、Ms.カンザキ」
「先生、私……搬送されたんですね」
まだ少し気だるさを感じる頭を触りながら、のぞみはオンズに応対する。
オンズは投影されたデータに目を通している。
「あなた、入学院手続きを読まなかったのかしら?」
「読みました。でも、異常に気付いたときにはもう遅くて……。まさか教室に重力調節システムが付いてるなんて……」
データを読み終えたオンズは、のぞみの方に向き直り、わずかに顔をしかめて言う。
「まったく……、応急処置がなければあなた、今頃ミンチよ。親切なクラスメイトに感謝しなさい」
「クラスの誰かが助けてくれたってことですか……?」
「そうよ、自分の源をあなたに注いでね」
「そうでしたか……」
のぞみは自分が思ったよりも危機的な状況であったこと、そして、誰かはわからないが、自分を助けてくれたクラスメイトがいることを知り、ありがたく思った。
「Ms.カンザキ。あなたもう二年生でしょう?セントフェラストにいる限り、源気を使わなければ生きていけない。もっと気をつけないと、本当に死んでしまうわよ」
心苗の個人ロッカーの鍵の開閉、教室や寮のセキュリティーゲートの出入りには源のスキャンが必須だ。個人所有のマスタープロテタスカードも、所有者の源を入れなければ機能しない。この学園にいる限り、源が使えないというのは日常に支障を来すことになる。
「認識が甘かったです……。源を使ってはいたんですが、あの重力には耐えきれませんでした」
「そうね。10倍重力は、元々が操士のあなたにとって、体の限界を超えているんでしょう」
新学期初めの授業で倒れてしまったせいで、のぞみの転入には無理があったと誰もが思うだろう。しかし、のぞみは自分が望んで選んだことを、そう簡単に諦めるわけにはいかなかった。今さら帰る場所もない。のぞみはオンズに訊ねる。
「オンズ先生、私、どうしたらいいでしょう」
オンズは甘えを許さない口調で答える。
「耐えるしかないわね。全力で源を出してようやく足並みが揃う程度でしょう」
「でも、限界突破するような状態を長時間キープするのは、体に悪影響がありませんか?」
「そうね、スタミナ、体力ともに激しく消耗するでしょうね。でも、食事と睡眠を意識的に多く摂れば問題ないはずよ」
「そうですか……」
のぞみはまだ不安の残る面持ちで頭を垂れる。
「あとは、源の基礎訓練をしっかりやることね。あなたはまだ若いから、まだまだ伸びるわよ。今のうちに人一倍、努力して、源の強化訓練をしなさい。そうすれば、いずれ結果はついてくるわ」
「わかりました……」
オンズのアドバイスを聞いて、のぞみは小さな手をグッと握る。
わかっていたことだ。操士の素質を多く持つ自分がハイニオスへ転入することは、これまでとは桁違いの苦しみを伴う。転入を決めた時点で覚悟は決まっていたはずだ。のぞみは、どんな壁が聳えたっていても乗り越えるしかないのだと、自分を奮い立たせた。人知れず、決意した瞬間だった。
オンズはのぞみの顔つきに覚悟が表れたのを見てとると、加えて言う。
「それよりもあなた、ほかにも問題があるようね」
「ほかにも、ですか?」
思い当たることのないのぞみは首を傾げる。
「人間関係よ。あなた、校舎裏の廊下に置き去りにされていたのよ」
のぞみは驚き、目をしばたたかせる。
「えっ?どういうことでしょうか?」
「あまり人通りのないところを選んで放置されたのね。あなた、何か恨みを買うようなことをした覚えは?」
「では、オンズ先生が見つけてくださったんですか?」
「いいえ、女の子が一人で運んできてくれたわ」
それはそうと、とオンズは呆れ顔で続ける。
「闘士を育てるこの学院に通う心苗たちは、ほかの学院の子たちよりも感情が激しいのよ。激情をコントロールできずに喧嘩をして、大怪我を負ってここに運ばれてくる子も多いわ」
「そうなんですか……」
「あなたの事情はわからないけど、体のケアと同じくらい、人間関係のケアも大事よ。転入生なら尚のこと、後々、面倒なことにならないようにね」
「はい……」
のぞみはこの件に関しては、おおよそ誰の仕業か心当たりがあった。
<20:70>
「もうこんな時間なんですか?」
投影された時間を見て、のぞみが言った。
「ちょうど午後の一時間目が終わったところよ。Ms.カンザキ、もう少し休んでいってもいいのよ?」
のぞみは首を横に振り、右足からベッドを降りようとする。
「いえ、クラスに戻ります!クラスのみんなとの差がよくわかりましたから、寝ているわけにはいきません!」
オンズは手に持った機元装置から、のぞみの身体データを読み取る。
そして、のぞみの慌てっぷりを見ながら、口元に笑みを浮かべた。
「うん、良い顔ね。データも異常なし。さ、行きなさい」
「はい、ありがとうございます」
ベッドを降りるとのぞみは自動扉を開き、オンズに一礼してから個室を出て行った。
ちょうどそのとき、外から一人の女性が入ってきた。オンズと似た髪型と服装で、頭には犬のような折れ耳がある。その女性はのぞみが慌てたように個室を出て行くのをちらりと見て、驚いたような、心配げな表情で、個室に残されたオンズに声をかける。
「ヒーラー長、あの心苗、もうクラスに戻ってよいのですか?」
「ええ、リム。あの子はもう大丈夫よ。体調も安定範囲まで回復したわ。体調さえ許容範囲にあれば、なるべくは心苗たちの意志を尊重したいものね」
ここ、ハストアル治療室でヒーラーを務めるリム・ロースタは、のぞみの転入学に悲観的な意見を述べる。
「彼女、応急処置のおかげでなんとか命を失わずに済んだだけでしょう。操士がハイニオスに転入するというのは、やはり無茶なのでは?」
「彼女自身がこの煉獄を選んだ以上、私たちヒーラーにできることは、見守ることだけよ」
「あの体で、この環境に耐えられるでしょうか」
「大丈夫じゃない?あの子、ホーリプラックシステムは使わず、半日で自己回復させたの。自癒力は期待できるわ」
オンズはリムのように一般論に流されず、あくまでデータと本人の問診に基づいてのぞみを分析する。
「なるほど、『ヴィター』タイプということでしょうか」
「そうね、回復の速さからして、『ヴィター』でしょうね。あの子、操士としても珍しい体質だと思うわ」
先天遺伝、後天の体質変異や、外的要因の鍛錬を問わず、闘士は身体の素質によって、四つのタイプに分けることができる。身体は丈夫でも、怪我をしたときの自癒力は普通程度の『ビースト』タイプ。身体が丈夫で自癒力にも恵まれた『バーサーカー』タイプ。丈夫さや自癒力は普通だが、身体のある部位や臓器の機能の強化を常態化させられる『ブースター』タイプ。そして、のぞみのように丈夫ではないが自癒力の高い『ヴィター』タイプ。
「ねぇリム」
オンズはふっと笑みを浮かべて言う。
「生きものって不思議ね。大まかな属性分けはできても、遺伝子情報による個体差っていうのは、唯一無二だものね」
リムはオンズの微笑みの理由がわからないまま答える。
「そうですね、誰一人として源紋のパターンが同じ者はいないわけですから」
源はエネルギーを波状パターン化させ、情報として記録できる。これを源紋と呼ぶ。源紋は、種族問わずあり、双子であっても異なる。個体差がもっとも出やすいことから、タヌーモンス人の社会ではもちろん、聖光学園ではセキュリティーチェックの身分証明に、源をパスワードとして使っている。
ヒーラーとして、学園で20年以上のキャリアを持つオンズは、さらに言う。
「それだけじゃないわ。身体、個性、背景、魂。それぞれ、何か一つでも違えば、もう同じ人ではないのよ。リム、あなたまだ臨床の経験が少ないでしょう。ケアをするときは、心苗一人ひとりに合った対応を考えないといけないわ」
「はい、精進いたします、ヒーラー長」
そのとき、次の患者の来訪を告げるアラームが鳴り、二人はすぐさま出迎える準備にとりかかった。
つづく