157.楓のアドバイス
バトル終了後、準備運動でもしたあとのように爽やかな表情で、楓は感想を告げた。
「筋は悪くないべ、ただ、闘志がまるでない。技に魂が入ってないんだべ。のぞみちゃんはやっぱり、誰かからしっかり指導を受けた方がいいべ」
それはのぞみも痛感していたが、現実には高い壁があった。
「門派に入りたいんですが、入門試験で落ちてしまって、なかなか決まらないんです」
「別に、正式に門派に入ることにこだわらなくたっていいべ?気の合う先輩とか師範を探して、一対一で教えてもらう方が、のぞみちゃんには合うかもしれないべ」
「そういう修行法もあるんですね?速形さんは弟子を受け付けていますか?」
性急な弟子入り話に、楓は人差し指で頬を掻き、苦笑した。
「私は本格の門派にも入ってないし、拳法もほとんど独学だから、良くないべ。それに、ミッション依頼の仲間もいるから、指導を放置して依頼にでかけるような人が師匠じゃダメだべ?」
「そうなんですか……」
「大丈夫、私より相応しい人が、きっと他にいるべ」
「……では誰に弟子入りを頼めばいいんでしょうか?」
「のぞみちゃんは、家庭教師みたいに一からしっかり指導してくれる人を探した方がいいべ。色々とケアも必要だべな」
楓の意見に、のぞみは少し項垂れた。
「そんな条件に合う方、見つかるんでしょうか……」
「ハヴィテュティーさんに頼むのはどうだヨン?」
「メリル姉さん!?」
後ろから抱きしめられ、のぞみは驚いた。少し呼吸を整えてからメリルに向き直る。
「ハヴィテュティーさんですか……?」
「上位心苗と比べると闘競回数は少ないけど、ハヴィーさんは全戦不敗だヨン!」
「ハヴィテュティーさんは、ああ見えてかなりの強者ですよ」
メリルと一緒に来た藍も話に加わる。
二人とも、先ほどのバトルで武操服を汚していたが、メリルはもちろん、藍もまだスタミナたっぷりという様子だ。
「そうですヨン、基本的には受け身の戦闘スタイルなのに、いつも一撃必殺で勝つんだヨン。戦闘スキルもたくさん知ってるはずだけど、戦いに消極的だから、本当の実力は誰にもわからないヨン。聞き上手で気が長いハヴィテュティーさんなら、ノゾミちゃんの良い先生になるかもしれないヨン!」
「ハヴィテュティーさんはどの門派の弟子なんでしょうか?」
「三大名門の一つ、『獣王門』に所属していますよ」
「え?地球界がルーツの門派に所属してるんですか?」
ティフニーが地球界由来の門派に入っていることは、のぞみにとってポイントが高かった。
「師範代資格があるって聞いたべ。たしかにのぞみちゃんに合うかもしれないなぁ。ただ彼女は心苗たちの心のケアを先生から依頼されたり、忙しいことも多そうだべ」
「風見さんはどうでしょうか?」
のぞみの提案を聞くと、楓は即座に肩をそびやかした。
「綾ちゃんはダメだなぁ。彼女は戦闘センスは良いけど、自主修業に専念したいタイプだから、他人に教えるのには不向きだべ」
「風見さんは門派に入ってないですしね。独学で剣術を覚えてスキルも上手ですが、自主修業の申請に、風見さんを指導役割として記入しても認められないでしょう」
「自主修業でも指導役割が必要なんですか?」
「んだ。技量や修業による成果を監督できる人がいねばダメだべ。普通は所属クラスの担任がなるんだども、それ以外なら、師範資格とか、研究生、英雄クラスの高いレベルのスキルを持ってる人でなければ認められないべ?」
楓が師範役を辞退する理由はそのあたりにもあるのだろう。せっかく良い修行法を教わったのに、相応しい人物を探すだけでも時間がかかりそうだ。のぞみは難色を示した。
「申請許可を取るのもそう簡単なことではないですね」
「んだな。でも、とりあえずハヴィーさんに言ってみたらどうだべ?彼女は心苗からの相談もよく聞いてくれるからなぁ」
藍はあちこち見回し、ティフニーの姿を探す。
「……ハヴィテュティーさん、今日の基礎拳法授業、出てないんですかね?」
「あー、どこかの先生からの依頼で、心苗の心のケアに出向いてるんだべ」
のぞみは自分に頷きかけるように何度か首を振る。ほかに、弟子入りを頼みたい心当たりもない。
「あとで声をかけてみます」
「私が教えてあげてもいいけど?」
生意気な声に四人が振り向くと、ドヤ顔の蛍とクリア、マーヤが立っていた。彼女たちはのぞみと楓のフリーバトルに注目していたのだ。
「最近は調子が良さそうじゃない、弱虫」
「森島さん……」
急に蛍に呼びかけられ、のぞみは心臓が止まったかと思うほど驚いた。無意識に体が後ろへ引かれ、声も出ない。
「あなたたちは関係ありません。そんな話を持ちかけるなんて、何か企みがあるんでしょう?」
のぞみを守るように前へ出た藍を、蛍が睨んだ。
「もちろん、この女を笑いに来ただけよ?」
蛍は視線を楓に移す。
「速形さん。闘士としての自覚もないような奴に付き合っても、時間の無駄ですよ?」
嫌みったらしい蛍の指摘にも、楓は「んだべ?」と軽く笑うだけだった。
「モリジマさん、あなたにはノゾミちゃんに物を教える資格なんてないヨン!」
蛍はメリルの言葉など歯牙にもかけず、のぞみの手首についた縄を見て、せせら笑った。
「あんたのレベルでハヴィテュティーさんから教えを受けるなんて勿体ないでしょ?そのわがままなお嬢様気質、いいかげん根本治療しないと、良い師範に教わったところで馬の耳に念仏だわ」
藍もメリルと同じく、強気にのぞみのことを擁護する。
「森島さん、その言い方は酷いです!」
のぞみは黙っていた。冷たい汗が背を伝い、苦々しげな表情で蛍を見ている。その表情を見ただけで、蛍は苛立った。
「何よその目、何とか言いなさいよ!!」
ダンジョン課題を全員生存でクリアしただけでなく、ジェニファーからは高い評価を受けた。上位評価の同級生からも注目されているくせに、闘士としての気概も誇りもなく、弱気な所作を軽々しく見せる。蛍はそんなのぞみが心底気に入らなかった。
大声で恐喝され、のぞみはさらに項垂れる。しばらく暗い表情で黙っていたが、何を思ったか、作り笑いを浮かべると、か細い声で言う。
「あの……私、あっちのバトルを観戦したいので……!」
のぞみは怯えた小動物のように身を引き、六人の視線を遠ざけるように走り逃げた。
「ハハ、さすが弱虫、逃げ足は速いな」
マーヤの皮肉を聞き、クリアも甲高い声で嫌みを言う。
「せっかく蛍ちゃんが直々に教えてあげるっていうのに、何?あの態度。失礼にも程があるわ!」
凶事が続くのぞみをまたイジメに来たことに、藍は腹を立てていた。
「失礼なのはどっちですか?森島さんが一方的に押しつけただけじゃないですか?」
違和感だらけののぞみの言動に、楓は「くっ」と歯噛みし、拳を握りしめる。
メリルも手を腰に当てて言い返した。
「モリジマさん!これまで何度もノゾミちゃんをイジめてきたんだから、今さらそんなこと言ってもドン引きするだけだヨン!ノゾミちゃんはお人好しの優しい子だから、いつもは見逃せる争いも、耐えられないときが必ずあるヨン!」
「ふん、くだらない」
蛍は鼻の穴を膨らませて大きく息を出した。藍たちに背を向けても、気持ちは煙の立ちこめる密室のようにもやもやとしている。
調子の良いときには堂々としており、イジメられても穏やかに受け流す。それが蛍にとってののぞみだった。だが今、のぞみの表情から笑顔が失われていることが、蛍はやけに気がかりだった。
その時、気を整えた楓が軽い雰囲気で蛍に話しかけた。
「蛍ちゃん。初音ちゃんのこともだども、のぞみちゃんのこと、もっと自分の気持ちに素直に従った方がいいべ?」
その頃のぞみは広場の敷地内にある建物に避難していた。のぞみの源に反応して、施設の台から水が流れてくる。
のぞみは荒い息を吐き、両手で水をすくって顔を洗った。何とか気を落ち着けると、一人、思考の海に沈む。蛍を避けることは、五人の命を救うことにつながるはず。そう考えたのぞみは強く決心した。
(やっぱり、しばらくは森島さんを避けることにしよう……)
穏やかに流れる水に、のぞみの曇り顔が映っている。
蛍はそれから何度も声をかけてきたが、のぞみはいつも適当な言い訳をして、速やかにその場を離れた。