152.教室の変化 ①
2年A組の教室の黒板には『自習』と『20Gbt』の文字が大きく書かれている。
朝のホームルームの時間だったが、教室内はいつも以上に人が少ない。四割未満しか集まらない教室には、妙な緊張感が漂っている。やけに静かな理由は、教室の外すぐのところで『尖兵』二人が見張りをしているせいだろうか。普段ならば情報交換のためにやってくる他クラスの心苗たちも、近寄りがたいらしく遠巻きに様子を見ているようだ。
25倍の重力に設定された教室の中でも、のぞみはクラスメイトたちと普通に話している。重力に耐える訓練の結果、源を強く出すことや体を丈夫な状態でキープする術を覚えたのだ。
だが、のぞみの持ってきたランチボックスの中身は、まだ半分以上が残っていた。
「ティソンさんは今日から門派で三週間の閉門修業でしたっけ?」
話し相手の藍は、のぞみの作った柔らかいビスケットをもぐもぐしながら、その歯ごたえと香りに満足そうな表情をしている。
「そうですよ。昨日、お見舞いのあと、言ってました。自分は未熟だからもっと強くなりたいって。しばらくは会えませんね」
のぞみはクラスの隅にいる坊主頭にミルクチョコの肌をした男の背を見る。その背中は、女子心苗に対して下ネタで笑わせようとしたりからかったりする時とは異なり寡黙だ。男は席に座り、両手で顎を支えている。
「ザックさんたちが寂しげに見えるのは、ティソンさんがいないせいでしょうか?……それに、こんなに人の少ないホームルーム、初めてです。……私のせいですか?」
のぞみは腕の縄を見る。今朝、登校してきた時にも、不快な視線が浴びせられた。事件に巻きこまれたり、罪を犯したり、転学院以来、悪目立ちばかりしている自分は周囲から敬遠されているのではないだろうか。のぞみはそう考えると、切なくなった。
「のぞみさん、気にしすぎですよ。クラスの雰囲気は昨日の午後にはもう今と同じようなものでした」
「え?何かあったんですか?」
「ドイルさんやシタンビリトさんたち、一部の上位心苗がクラス全員に闘競の怠慢を指摘したんです。そして、これからはクラス評価の順位を上げるために、毎週、通算10本の闘競をするよう、皆に要求しました」
「そんなことが……。では、その要求に反発した人たちがホームルームのようなクラス行動を避けているんですか?」
のぞみは自分の置かれた状況を考える。対人戦が苦手なうえに、今は罰として操士のスキルを封じられている。このような不利な状況では、できる限り闘競は避けるのが吉だろう。
「うーん。たしかに、一部の方はそうだと思いますが……」
「そいつらはおそらく、中間テストのための自主修業に移行したいんや」
生真面目な声に、のぞみは振り向いた。
「風見さん、おはようございます」
綾の後ろから来た、紫と黄のアフロ系ウルフの男は、声をかけるよりも先に、サンドイッチを手に取ってもしゃもしゃと食べはじめた。
「神崎の作るものはいつも美味いなぁ~」
ヘラヘラと笑いながら食べる男にも、のぞみは微笑みかける。
「不破さん、良かったらもっと食べてください」
「いいのか?俺様は朝飯を食べてないんだ、サンキューだぜ!」
ホームルームに来る人数の少なさからして、ランチボックスの中身はまだたくさんあるだろう。のぞみはそのボックスを、そのまま修二に渡した。
「はい、遠慮なくどうぞ食べてください」
修二は喜んで受け取り、パンもおかずも独占状態で食べはじめた。
「風見さん、自主修業を申請する人が増えているんですか?」
「昨日の戦術実践課題で新たな課題を見出したんやろな。中間テストのために皆すでに動きはじめてる。皆が急にやる気を出した理由には、あんたも関わってるんやで」
「私がですか?」
「あんたらのチーム、ルビス先生の追加依頼まで成し遂げたうえに、五人全員でクリアしたやろ。あんたの活躍は予想以上やったって、ツィキーさんが評価したんや」
口の中いっぱいにパンを詰めながら、修二も頷いた。
「あいつが人前で下位者を評価するなんて初めてだぜ~」
「ツィキーさんが、ですか……?」
チームを厳しく率いていた彼女が、課題終了後に自分を評価したことに、のぞみは純粋に驚いていた。
「そ、それは過大評価です!チーム全員でクリアできたのは私だけじゃなく、皆が一人ひとり、重要な役割を果たして頑張ったからです!」
「神崎さん、あなたがそう望み、その気持ちがチームを一つにしたのでしょう?」
風のハーモニーのように心地よい声が響き渡る。ティフニーがのぞみに微笑みかけた。
「万年問題児やったティソンが真面目に閉門修業を受けるなんてな」
「ああ、ティソンは気配が変わったなぁ~。目付きも一変したぜ」
まるで他人事のようなヘラヘラとした態度に、綾がチクリと刺す。
「あんたもティソンみたいにガッチリ修業したらどうや?」
「へへ~ん、俺様はちゃんと闘競やってるぜ~!昨日も白星三つ、手に入れたぜ」
鼻高々な様子で修二は笑った。
「レベルの低い星やろ?宝具を創れとか、ええかげん妄想してんと、しっかり目標考えた方がええで?」
「どんな~?」
「そんなもん、自分の脳みそで考えな意味ないやろ」
綾は呆れて頭を抱えた。
「具体的に言ってくれなきゃわからないぜ」
「ほな、まずは品位を磨きや。賢人になるように努力したらどや?」
修二は鼻くそ掃除でもするように、綾のアドバイスを一つ一つ否定する。
「ん?ちょっと待てよ。品位と強さは関係ないし、賢人は戦場なんて望んでないだろ?俺様に不要なものばっかり押しつけて、もしや弱化させたいのか?」
綾は腕組みをして、閻魔様のように厳しく指摘する。
「あんたみたいな品性の心苗がA組の3位やと、クラス全体の印象評価が悪なるねん」
「何度も言わせるな、強さと品位には絶対的な関係がないぜ」
「だから、それがあんたがフェラーさんに勝たれへん理由やで」
綾に厳しく言われても、修二は飄々としている。
「へっ。二年生になって一ヶ月も経つのに、一度も顔を出してない一位なんて話にならないぜ。そもそも俺様はクラス評価も個人順位も信じてない。目の前の相手を倒すかどうかがすべてだからな。一人ずつ、目の前の強者に勝っていくのが俺様の道だぜ。だからこそ俺様は、俺様に相応しい宝具が欲しいんだ。それは強者を倒すために必要な力だからな」
「おや、私の噂話ですか?」