145.狙われるのぞみと、守る者たち
6時間後、目を覚ましたのぞみはカプセルの中にいた。白銀色をしたカプセルは滑らかな金属製で、表面全体には羽の生えた蛹の紋様が刻んである。のぞみは揺り籠のように柔らかなマットレスに身を沈めており、落ち着いた気持ちだった。
戦術実習授業で課題をクリアしたあと、蜘蛛の形をした異形のものに襲われたのぞみは、まだ記憶が混乱していた。カプセルから起きあがると、左右を見渡した。
清潔感のある真っ白な部屋には、のぞみの入っているカプセルが横倒しに置かれているだけで、ほかには何もない。左側にある楕円状の長い窓からは、ハイニオス学院のキャンパスが見えていた。見上げると、曇った空を、先の見えない厚い雲が覆っている。その雲は、深い橙色に染まっていた。のぞみはどんよりと重い夕空を見ていると、息苦しいような気持ちになる。木々の枝が、風に強く揺れている。
「もう空が暗い。私、ずいぶん眠ってたんだ……」
その時、病室の入り口の自動扉が開き、銀髪をミディアムショートにした女性が入ってきた。女性は白衣に銀色のベルトを締め、白いマントを着ている。
「目が覚めたのね、Ms.カンザキ」
のぞみは女性の方へと目線を向ける。
「オンズ先生…私はどうなったんですか?」
「あなたは課題終了後、何者かに襲われたの。そして救出されたあと、ハイニオスセンター「マキュールス」に運びこまれたのよ」
「……そうでしたか……」
マキュールスは、ハイニオス学院に設置されている医療センターだ。位置的には第九カレッジにあるが、ほかのどのカレッジからでもほとんど同じ距離になるよう考慮されている。ここは心苗が重大な傷病を負ったときだけでなく、命を狙われた場合の保護治療にも使われている。A級のセキュリティが敷かれているのはそのためだ。
安全な場所に運ばれたとわかり、のぞみは安堵した。
「調子はどう?」
オンズの質問に、のぞみは曖昧な記憶を探っていく。しかし、途中まで考えると頭がズンと痛み、息を吐くと脳内はぼんやりと真っ白になった。
「う……。頭が痛くて、少し眩暈がします」
「そう……。その頭痛はおそらく、あなたを襲った相手によって注入された擬似体の毒の副作用ね。対応血素の治療措置はすでに終わっているから、しばらくすればあなた自身の代謝によって症状が緩和されるはずよ」
血素治療とは、毒の化合物を分析し、それに対応する解毒剤を体内に注入する治療法だ。毒は吸い取られ、無毒化した水分のみが残る。
話しながらオンズは、カプセルの横に浮かぶディスプレイで、のぞみの生体状況を調べている。宙に投影されたのぞみの立体像には、のぞみの身長、体重、スリーサイズ、人種、血液型、遺伝子情報や源気の数値、源紋の情報が示されており、その周辺には見たこともないような文字が浮かんでいた。
グールルル、とのぞみの腹の虫が大きく鳴った。それを聞くとオンズは涼しく笑った。
「さっき目覚めたところなのに、もう栄養を摂取したいの?その様子なら大丈夫そうね」
オンズはマスタープロテタスでスケジュール表を見る。そこには、自分が受け持つ心苗のリストと、その容体が記されている。
「あなたはヴィタータイプだったから体調が回復したけど、それでも無茶な修行は禁止よ。今日はゆっくり休んでなさい。さて、私はほかの子を見に行くわ」
「分かりました」
オンズが病室からいなくなると、交代で入ってきたのは藍、ヌティオス、クラークの3人だった。
「のぞみさん、体調はどうですか?」
「大丈夫ですよ、可児ちゃん」
「カンザキ、無事で良かったぞ」
ヌティオスが嬉しそうに笑った。クラークはのぞみに一歩、近付いて気楽に言う。
「あの状態からたった一日で治るなんてな。さすがはヴィター系だぜ」
「……皆さん、この時間帯は門派の修行時間じゃないですか?」
「ああ、共通授業が終わったら、見舞いに来てから門派の修行に行こうって決めたんだぜ」
彼らにとって重要なはずの修行を後にしてまで見舞いに来てくれたことに、のぞみは感動した。
「ま。ツィキーの野郎とも約束したけど来なかったな。薄情な奴だぜ」
「ツィキーさんはメビウス隊のメンバーですから、所用もおありでしょう。私は皆さんが来てくださって嬉しいですよ。……ところで、課題はどうなりましたか?」
その質問に、クラークがまず大枠を話した。
「三班、18チームがあって、課題をクリアしたのは10チーム。A組は6チームしか成功しなかったぜ」
「さらにその中で、全員生存でクリアしたのは、私たちのチームとハヴィテュティーさんとドイルさんがE組の人と組んだチームの、2チームだけでしたよ」
のぞみはそんなことよりも、ホプキンスの予言が気になっていた。蛍を含めた5人の命が失われる。のぞみはダンジョンに入る前からそのことが気がかりだった。
「森島さんのチームはどうなりました?死傷者は出ていませんか?」
藍はのぞみの深刻な様子を不思議がりながらも、蛍たちの結果を思い出す。
「彼女のチームもクリアでしたね。不破さん、モクトツさん、森島さんの3人が最後まで残っていました。特段、大きな負傷をした人もいなかったと思いますよ?」
その知らせを聞いて、のぞみはほっとした。
「そうですか、それはよかったです……」
クラークものぞみの様子が気になった。
「えらく森島のチームを気にするんだな。何かあるのか?」
「信頼する先生の予言で、森島さんを含む5人の命が危ないと聞いていたので……」
「そういえばそんなこと言ってたな。でもあのチームには不破がいるからな、カンザキさんが心配することは何もねぇよ」
「森島さんたちのチームよりも私たちの方が高評価をいただいたんですよ!」
「評価よりも、その後だよな……。マジで油断しちまった……」
クラークは切なげにのぞみを見る。自分に不足があったことを、クラークは痛感していた。
「カンザキさん、急に襲われたとはいえ、守れなくてすまん。チームの後方応援要塞とまで言ってもらったのに、最後に限って緊急事態に対応できないなんてな。修行が足りなかったぜ。課題がクリアできても事件に対応できないんじゃ、最悪だな」
藍もクラーク同様、無力感に打ちひしがれていた。
「私も……。課題をクリアして、気を抜いてしまいました。親友が敵に襲われているというのに、スタミナを消耗しすぎて、すぐに戦うことができなかった……」
チームのアタッカーの主力であったヌティオスも、情けなさそうに上の右手で頭を掻く。困ったような笑いが漏れた。
「オレも、あいつらの糸に動きを封じられたぞ……。あの時は先輩が加勢に来てくれたから、運が良かっただけだな……」
お見舞いのはずが反省会のような空気になり、顔を曇らせる3人を見て、のぞみは元気そうに振舞った。
「そ、そんなこと気にしないでください!私はさらわれずに済みましたし、課題だって、皆で力を合わせてクリアできました!だから、落ちこむことなんてありません。私もまだまだ未熟なので、これからもっと修行を頑張ります。それで、いいんじゃないでしょうか?」
恐怖がなかったわけではない。それでものぞみは、自分が狙われているということを一旦、心の奥へと追いやった。そして、3人に笑顔を向け、激励した。
藍たちはのぞみの様子を見ていると、少し無力感が和らいだ。
「のぞみさん……」
「Ms.カンザキ、君は正しいよ。自分の足りないところ、弱点。それがわかれば、新たな課題として精進できる。悔しさを糧にね。それこそが、戦術実践実習の目的だ」
「ルビス先生」
のぞみは病室に入ってきたルビスに呼びかけた。
クラークは、ルビスとともにやってきた男を見て目を丸くしている。
「ネズミボウズじゃねぇか」
「お前らも来てたのか」
いつものへらへらした態度と違い、険しさを滲ませている義毅の顔から、藍とクラークは目を逸らした。