136.彼女の思いの強さ
「あの……ツィキーさん。お願いがありまして。あそこを見てください」
全員がのぞみの指差す方を見た。ステージの底にある川の磯場で、魔獣たちに囲まれ、一人戦う初音の姿が見える。
「舞鶴さんですか?」
最初に声を上げたのは藍だ。
「はい。先ほどからそこで、たった一人で魔獣の群れと戦っていますが……」
のぞみの言葉に、ヌティオスは「ん~?」と納得いかない様子だ。
「マイヅルは、ゴブロスの群れを相手に一人で戦ってるのか?」
ゴブロスというのが、初音が戦っている魔獣だ。平均で2メートルを超える体長、緑の皮ふと軟体動物のように鎖骨まで垂れた鼻が特徴的である。悪魔のような鋭い耳と、角を生やしており、凶暴で、意地の悪い人間型の魔獣だ。
「チームと逸れたのか?」
クラークの推測に、藍は細い首を横に振り、雛眉筋を吊り上げる。
「いえ、彼女は一人でもダンジョンを攻略しようというほど、肝が据わっているようには思えません……」
「皆さん」
のぞみは意を決したように声を上げた。
「私は、舞鶴さんを助けたいです」
藍はのぞみの気持ちを尊重したいが、現実的ではないと思った。
「のぞみさん、それは無茶です!距離もありますし、地形の高低差も激しいです。共通ルートということでしょうが、マップには開放されていない情報もあります。行ったが最後、戻れなくなったらどうするんですか?」
「私は舞鶴さんを助けたら、盾に乗ってすぐに戻ってきます」
「それは……可能かもしれませんが……」
藍にはのぞみが初音を助けたい気持ちも理解できる。だが、魔竜ベルティアートとの戦いを前にして、のぞみがチームから離れるというのは不安だった。
しかし、自身も助けられたクラークには、のぞみの思いの強さがより深く理解できた。クラークは目を閉じ、ふっと笑う。
「ランさん。行かせてやろうぜ?ここにいたって大人しく隠れてるだけで用もねぇし、暇なだけだろ?」
クラークは気前よく続けた。
「カンザキさんが外れた分の穴は俺が埋める。だから安心して行ってこいよ。それで戻ってこい、必ずだ。でなけりゃ、俺が寂しくなるぜ」
「ティソンさん……」
クラークにはいつもの格好付けもあったが、男としての気概を見せた。ジェニファーは無言で長考し、それからのぞみを見た。
「いいだろう。君に3分間与える。それ以上待たせたなら、置いていく」
「わかりました!ありがとうございますツィキーさん」
のぞみが初音の元へ向かおうとした瞬間、洞窟内にゴゴゴゴ、と地鳴りが怒った。魔竜の気配が急上昇している。ベルティアートが下敷きになった石山の下に、巨大な章紋が光った。『地震術』を使ったのだろう、ベルティアートを生き埋めにした石山は崩れ、咆哮が響き渡る。
「お目覚めのようだな」
のぞみは小走りになり爪先で床を軽く蹴った。半壊した窓から飛び降りると、割れ目に向かい飛んでいく。
しかし、石山から飛びあがったベルティアートがのぞみを狙っていた。
魔竜はまた右の爪先に『章紋術』を綴っている。吸い寄せられた石に真紅の章紋が通されると、石は燃えたぎる溶岩弾に変わり、音速で撃ちこまれる。
のぞみは追撃に気づき、体を右へ左へと反転させながら、溶岩弾を巧みな動きで躱していった。そして裂け目を通ると、数発の溶岩弾は天然の壁に接触し爆発した。
間一髪、爆煙にまみれながらも裂け目を抜け出たのぞみは、洞窟の底部である川まで飛んでいく。
岩壁の裂け目は溶岩弾のダメージを受けて広がり、落石も続いていた。
魔竜にのぞみの邪魔をさせないよう、藍、クラーク、ヌティオスは光弾を連発している。
被弾したベルティアートは大きく吠え、飛び回りながら藍たちに襲いかかった。エネルギーブレスが吐き出されると、彼らは緊急回避した。
太いレーザーソードで一太刀したように、ゲートの窓玄関の左右に焼け跡が残った。屋根も倒壊し、彼らが身を隠せる場所は数本の柱とのぞみの残した金の盾一枚のみだ。藍は盾の後ろに隠れ、爆煙に咳きこむ。
「コホコホ……。こんなの、もう一発受けたらおしまいですよ……」
体の大きなヌティオスに至っては、もはや隠れる場所はなかった。
「リ、リーダーはどうなった?!」
ジェニファーは左手に盾を翳し、頭を守っていた。右手の釵は剣になり、ベルティアートを斬った。鋭い剣気が首に当たり、ベルティアートは首を反らせて呻くような叫びを上げる。
ジェニファーの翳す盾を警戒するように、ベルティアートは一旦退き、右足のファイアボルトを乱射して威嚇している。ジェニファーは走りながら避け、正面に飛んできた火球は盾の側面で払い散らした。
「こいつ、ダミーのわりには知力が高いな!」
ジェニファーは飛び石を使ってベルティアートを追った。身を引く魔竜に釣られてジェニファーがゲートを離れると、今度はベルティアートが高く飛びあがった。まるでジェニファーへの関心を失ったかのように、ゲートを攻めはじめる。石壁に沿って跳び進むと、屋根を翅で切り刻んだ。その下には藍たちがいる。
頭上からの落石を、クラークはのぞみの残した金の盾の角度を上げて食いとめる。背を丸めて防御している藍が叫んだ。
「これはどういう状況ですか?!」
「クッソ……攻撃パターンの読みづらさといい、レベチすぎるだろ……」
「このまま隠れているだけで、私たちには何もできないんですか?」
「奴がどんな方法で攻めてくるかすら予測できねぇ。……よし、この盾に源気を注入しようぜ。それでこの盾の硬度を強化する」
闘士は自らの源気を物体に注ぐことで、その物を一時的に物質強化することができる。それは、闘士が実体のある武器で戦うための手法だ。藍はもちろんそれを知っていたが、だからこそ悩んだ。
「……ですが、やりすぎれば盾が割れてしまいます……。そうしたらもう私たちには隠れる場所がありません!」
「カンザキさんが創ったものを信じろ」
「そ、そうですね……」
親友の創るものが、信じられないはずがない。藍は実体のある物を強化する方法を思い出した。
「源を丁寧に注入しましょう!丈夫になります!」
「オレもやりてぇ!!」
ヌティオスも手を伸ばし、3人は金の盾に源気を注入する。
**
一方、磯場では、ゴブロスの群れが初音を攻撃していた。各々、手に持っている金棒、刀、斧、鈍器などを何度も振りかざす。
長時間にわたり防戦を強いられている初音は、棍棒を避けるととっさに太刀を斬り返す。ゴブロスの腕はバシャーッと斬られたが、源気もスタミナもほとんどない初音の戦意は弱く、その腕を見事に斬り捨てるだけの力はない。
すぐに別方向から金棒の打撃が来る。刀を翳して受け止めたが、そのまま押し倒され、尻もちをつく。息も上がっていた。
「……ど、どうしよう……私、ここで死ぬの?……こんな、異世界に来て、こんなこと、望んでないのに……」
涙目になりながらも初音は立ち上がる。すぐにゴブロスたちが集まり、嫌らしい面相で初音をじっとりと見た。そして、1体のゴブロスが金棒を上げる。初音は観念したように目を閉じた。
(誰か……助けて……)
次の瞬間、金と銀の閃光が走った。初音がその眩しい光にうっすらと目を開くと、5体のゴブロスから首が落ち、どさっと後ろに倒れるのが見えた。
初音は目尻に涙を溜めながらも、目の前に立つ女性の、艶々とした栗色の髪の毛を見る。目線の先に、金と銀の刀も見えた。
ゴブロスたちも急な横槍が入り、戸惑っているらしい。
「大丈夫ですか?舞鶴さん!加勢に来ましたよ!」
のぞみは油断することなく、ゴブロスの動きに気を配りながらも初音に呼びかけた。