109.新たな風が吹き起こる教室 ②
しかし、そんなのぞみの気持ちもわかっているティフニーは、温かい微笑を寄せる。
「そうですか。気が向いたらいつでもお聞かせくださいね」
「ありがとうございます。心強いですね……」
そう応じたものの、のぞみの眉は憂いを帯び、何とも頼りない笑みだった。
「ハヴィーさん、何でもかんでもエロネズミボウズに頼ろうとするような奴なんて、ほっとけばいいのよ。自分で解決できず、すぐに担任に聞くなんて、乳臭い赤ん坊と一緒じゃない?」
クリアの意見を聞いて、マーヤも加担するように鼻で笑う。
「本当だよ。魔獣は相手にできても、人が相手じゃろくに戦えず白旗を振るだけなんて、女々しいマヌケだよね」
蛍は何も言わなかったが、見下したような目付きで始終、のぞみを睨んでいる。
のぞみは苦汁を飲む思いだったが、二人の指摘に対し、返す言葉もなかった。のぞみの隣で藍が怒色を示し、擁護するようにクリアたちを見つめる。
しかし、藍には反論の言葉は出ない。その様子を見て、ティフニーが柔らかく微笑んだ。
「ヒタンシリカさんとパレシカさんが言ったことも尊重されるべきです。ですが、ここに通う心苗にはそれぞれのペースがあります。二人は十分にお強いですが、だからといって、自分たちの信条を基準にして、すべての心苗に当てはめて評価するというのは、少しやりすぎではないかしら?」
聡明なティフニーの弁舌を聞いて、頭の回転が鋭いとはいえないマーヤは言葉を見つけられず、ただムッとした顔で睨みつける。
「ふん、自分は清潔だと言わんばかりね。弱虫を庇うヒーローごっこには付き合ってられないわ。反吐が出そうよ?」
高慢なクリアの挑発を聞いても、ティフニーの心は風のない湖面のように落ち着きはらっていた。暴れる小猿の悪戯にも寛大に接する神仏のように、慈愛に満ちた視線を彼女たちに注ぐ。そして、どんな炎も鎮圧させるような、淑やかで癒やされる声を発した。
「不本意ですが、そう思われたなら、私にも責がありますね。ただ、このクラスの一員であるカンザキさんにも、彼女なりの生き方があります。あなたたちが尊重されているように、彼女の思いも尊重されるべきだとは思わないかしら?」
「ふん、同じ二年生なのに説教なんて、あんた何様なのよ?!すべてが整えば、すぐにでもあんたをクラス3位の座から引き落としてやるから!」
クリアはそう言ったが、ティフニーはクラス評価の順位争いになど、毛ほども興味がない。
「あら、ヒタンシリカさん……感情が暴風のように乱れているのね。それは強い想いが揺れている証拠ですね。順位が欲しいのであれば、私はいつでもお譲りいたします」
「はぁ?!あんた、評価の方法もわからないの?」
ティフニーの回答に、クリアは冷や汗が流れるのを感じた。
クラス評価の順位は、すべての闘競の回数と勝敗や、受けたミッションの件数とその完成度で決まる。しかし、二年生になったばかりの心苗であれば、その上位者のほとんどが実技戦闘スキルの訓練を受けている者になるだろう。なかでも経験者たちはミッション依頼を受けて実績を作る。するとその分、順位はすぐに上がっていく仕組みになっている。
さらに、バトルの成績は通算で判断されるため、一度勝ったからといって、上位者と順位が入れ替わるかどうかはわからない。もちろん、下位の者が上位の者に挑み勝利を収めれば、人望や名声には繋がり、印象評価は変化する。
「ええ、承知の上で言いました。あなたたちが実績を積みあげていけば、いつかきっと、私の順位など簡単に追い越すでしょう。その時、あなたがたの望みと努力は報われます」
教会の神職者が真心から祝福を授けるような言葉も、クリアたちには偽善と諦観にしか思えない。クリアは寒気でもするように首を触り、不快げな顔をした。
「黙りなさいよ偽善者!」
彼女たちの様子を、離れた席から見ていた少女たちがいた。ルルと話しているその心苗は、ルミナスとアニター。ルミナスは、羽のついた耳と薄い碧色の長髪をしている。髪は、先から15センチほどのところで水晶の輪でまとめられていた。
「ヒタンシリカさん、今日はいつもより気が荒いね」
か細い声のルミナスに対し、赤髪をツインテールにしたアニターが応える。
「この前の宣言闘競で、PEポイントを賭けてた男子たちに全勝したらしいから、調子が良いのかな?」
ルルは机に座って会話に参加していた。
「アニター、それ、どこから聞いたの?」
「『天女門』の道場だよ。彼女、闘競に勝つたびに自慢げに言ってるもの」
ルミナスもアニターを見る。首を動かすと、薄い碧色の頭髪が揺れ、釣られて耳際の水晶飾りも揺れた。
「へえ、とんでもないビッグマウスだね?『天女門』の先輩たちは何も言わないの?」
「先輩たちに言われても変わらないかな。技はきちんと身につけてるから、突っ込みどころもないし。かまってちゃんとは思われてるけど、それも彼女の性格だから尊重しましょうっていうことになって。同じクラスだからって、私がとばっちりを食らってビシバシしごかれちゃった」
アニターは思い出して、泣くような演技をした。
「良いじゃないか。道場で師範や先輩たちがより厳しさを要求するっていうのは、見所があるって思われてる証拠だよね。厳しさは成長に繋がるよ」
アニターは、道場でなかなか技の要領を得ない自分にも、目をかけてくれた先輩たちのことを思い出した。
「……耳が痛いなぁ」
「ルミナスは?」
「えっ?私?えっと、厳しさの定義がよくわからないけど、ふ、普通かなぁ?でも何とか、師匠の要求には応えられてると思う!うんうん!」
流派の稽古を思い出すと、ルミナスはそれまでの愛玩動物のようなぼうっとした様子から、急に生真面目な顔に変わった。そして、自分を励ますように両手を胸の前で握りしめる。
「ルミナスはこの前、Ms.カンザキと挑戦闘競したよね。感想は?」
ルミナスは首を傾ける。先日のバトルの記憶はすでに曖昧なものになっていた。難問を解くような表情になり、言葉を探す。
「う~ん、魔獣と戦ってた時は、技にイメージがあったように感じたんだけど、人を相手にすると、情熱も気配も弱腰で、まったく伝わらなかったかな?」
アニターも、のぞみとの手合わせを思い出し、前のめりになって話す。
「人に対してあの剣術を使わないのは本人の自由だけど、あれじゃ、半分も実力を出せないよね?ヒタンシリカさんに挑発されたせいで、最近は操士の技も使わないし。苦手なら無理せずバトルを辞退すればいいのに。全力で挑んでこない相手とじゃ、手合わせの意味もないし、こっちが損した感じ」
積極的にバトルを求めるタイプではないルミナスは、のぞみの現状を心配している。
「できる限り無意味な戦いを避けたいとか、ターゲットへのこだわりがあることとか、バトルに消極的な気持ちはわかるけど、このままハイニオスに通いつづけて、本当に大丈夫かな?」
「まあ、今日の戦術実行論の実戦演習で、もっと彼女のことがわかるんじゃない?」
「ああ、チーム戦術作戦ね?たしかに彼女のスキルって、チーム戦では心強いかも」
二人の話を聞いたルルは、鋭い目付きでのぞみを見た。喧嘩っ早いクリアの燃えるような気と、そよ風の吹く森林のようなティフニーとの間でオロオロしているのぞみを見ていると、ルルはムッとした表情になる。
「ヒタンシリカさん、しばらく見ないうちに、ずいぶん大口になったんだべ?」
微妙な雰囲気を打ち消す柔和な口調を聞き、クリアはその女性を見てあっと口を開けた。
「あ、あんた、戻ってきたの?!」
「あの子が何をしても、きかん坊のあんたが指摘する資格なんてないべ」
170センチの高身長に、ミディアムストレートの艶のある黒髪。前髪は左分けにし、右の耳にはオリハルコン製のピアスを付けている。煌めくような大きな目にセクシーな唇。竜の合皮で作った黒地に赤の紋様の入った道着。同じ素材のミニスカートとロングブーツを穿いたその女性は、大人びていた。
藍は自然と胸を張る。
「楓さん!それに、ラーマさんも。お帰りなさい!」
「やぁ、可児ちゃん、ただいま」
楓は最初に藍を見て、それから興味深げにのぞみに視線を移した。
「ヒタンシリカさん、少し頭を冷やしてちょうだい」
「ちっ、Ms.ミンスコーナか」
楓とともに来たのは、ラーマ・ミンスコーナ。赤っぽい褐色の肌をしており、眉間には宝石が付いている。黒髪を高いポニーテールにし、すねまで伸ばしていた。年齢のわからないチャーミングな顔立ちのラーマが源気を出さなくても、視線を合わせるだけでクリアは身を引いた。
ラーマがティフニーに頭を下げる。
「ハヴィテュティーさん、地球界の同士が面倒な真似をしてしまい、すみません」
「いいえ、ミンスコーナさん。あなたが彼女の代わりに謝る必要はありません。地球界の人々は個性的で感情が激しいことも承知しています。彼女たちにも自己主張をする権利がありますから、私は彼女の意志も尊重したいと思います」
ミーラティス人の巫であるティフニーに対しての暴言を、そしてそんな悪行ですら寛容に受け入れてくれることに対し、ラーマは申し訳なく思った。
「勘違いさせて申し訳ないが、こんな衝動的な言動を取る者には、本来、再教育の必要があると思います」
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