107.調査要請 ②
太く低い男声が轟いた。データベースを照合中のサーイトが、円形ステージの中央で仁王立ちしている巨躯に気付き、体を硬直させて叫ぶ。
「グラーズン部長!」
190センチの巨体は、ロータ・グラーズンだった。赤っぽい深褐色の肌に、わずか1ミリの坊主頭、黒目と白目がクッキリとした大きな目。熊のような風貌のこの男は、右肩と襟に、支部局長を表すバッチを付けている。黒地のスーツに金の紋様と金属パーツ、胸元にはダイラウヌス機関のエンブレムが光り、彼に威厳を与えていた。
その圧倒的な存在感にもおののかず、義毅はするりと腕を解くと、グラーズンの前に踏み寄る。
「俺が頼んだんだ」
「英雄トヨトミか。こんな時間に自ら来るとは、尋常じゃないな。何が起こった?」
メッキーがグラーズンのそばにやってくる。
「授業中、彼の教え子が攻撃を受けました」
「うむ。イーブイタ君、経過を報告しろ」
「はい、ではご覧ください」
イーブイタが操作すると、ステージの上に大きな情報ボードが投影された。
「授業中、ベラタールス上空に空間の歪み現象を確認。フェイトアンファルス連邦全域を調査しましたが、源紋パターンの一致する者は見つかっておりません」
次にサーイトが、データベースでの照合結果を投影する。
「グラーズン局長。指名手配、前科記録のデータベースを照合しましたが、その中にも一致する者はありません。引き続き、ローデントロプス機関に依頼してよろしいでしょうか?」
「いや、そこまでだ。事件として立案するには証拠が少なすぎる。偶然のトラブルという可能性も否定できん。具体的な証拠がないことには、無駄骨を折るだけかもしれんぞ」
「そうですが、万一、何かしらの事件の兆候であれば……」
「タラース副部長。この程度の技は、ミーラティス人の子どもでもできる。海外の人間が修行中に起こしたミスかもしれんぞ。もしくは並列する別の世界の誰かが偶然引き起こしただけかもしれん。想像だけの捜査はいくらでもできるんだ。十分な証拠のない非効率な捜査は、俺が認めん」
石のように固く、譲らないグラーズンを、メッキーは尊重した。
グラーズンは英雄の名を持つ義毅に、寛大に接する。
「その教え子というのは誰だ?」
「神崎のぞみだぜ」
「あら、今期からハイニオスに転入した子じゃない?」
「ほう。少し前に宣言闘競で敗北した心苗か。彼女はたしか、地球界の名家の出身だったかね?」
これまでの話を咀嚼するように、グラーズンはしばらく考えた。
「そうだ」
「彼女の母親はかつて『源将尖兵』として、我が機関で活躍したが、英雄の名を受けなかった。我らは彼女に借りた恩がたくさんある」
狙われたのが神崎天衣( かんざきあい)の娘と知り、メッキーも新たな視点を持つ。
「部長。名家の出身でもありますが、英雄の名を受けなかったとはいえ、世に大きな功績を残した者の子というのは標的になりやすくもあります。もしや、あの組織の残党が、魔の手を忍ばせているとは考えられませんか?」
もちろん、実績や評価は親と子で全く異なる。しかし、名門の血を継ぐ子や、かつて親が恨みを買ったことのある子というのは、闇の結社などから狙われやすい。とくに千年戦争を終結させた英雄たちの栄光は、その他の実績とは比べることができない。
「ふむ……。その可能性も否定できないが、情報が少なすぎる。取り急ぎ、在籍の三年の『尖兵』に、彼女の見守りを手配しよう」
グラーズンは、人情の部分も含めて判断する。
「それは私の仕事ですね?」
若い男の声に三人が振り返る。そこに立っていた細身の男に、メッキーが声をかけた。
「ソ君。いつからいたんですか?」
「局長が戻る前に既にいました」
「ったく、相変わらずのステルススキルだな」
メッキーは蘇に向き合った。
「声をかけてくださればいいのに」
「おや。私は源を消す技が得意ではありますが、先ほどの空気を読めないほど馬鹿でもありません」
細い目に細い眉。左右の髪の毛をさっぱりと剃りあげたベリーショートの黒髪と、陶器のような白肌のコントラストが鮮やかなこの男の名は蘇漢傑だ。彼はハイニオス学院所属の『尖兵』を管理する、四人の副部長のうちのもう一人である。
4センチも立てた襟のスーツの真ん中には、金属のボタンが着いており、墨のように黒いスーツに紋様が光る。柔らかそうなズボンとスーツは、布自体が光を反射しており、文明の発達した異星人が、謎の技術で作ったカンフー道着のようだった。
「あら、とんでもない誤解ですわ?ねぇ、トヨトミ先生?」
口の形は笑っていたが、その口調には怒りが滲んでいる。
「そ、そうですね……」
メッキーの圧力に負け、義毅は冷や汗を掻いた。
グラーズンは「ゴホン」と乾いた咳をして、不愉快げに言う。
「お前ら、勤務中にこの聖なる場を汚すような真似をした折りには出ていってもらうからな」
「はっ」
メッキーも蘇も気を取り直し、グラーズンに応じた。
「さて、ソ副部長。では先刻の話は聞いておったな?」
「はい。その心苗の日常の見守りですね」
「そうだ、フリーで良い。『尖兵』二名を見張りとして付けろ。本人への接触はせずだ」
「了解しました。ただちに適切な人物を手配いたします」
蘇が手を挙げると、宙に二つの情報ボードが現れる。一方にはのぞみの個人情報とスケジュール、もう一方には男女複数の『尖兵』リストが現れた。
「それにしても、本件に加えて、転入学から一週間でクラスメイトに宣言闘競を申し出るなど、今後も注意が必要そうな心苗ですね」
蘇はのぞみに関する情報を読みながら、複数の人物にチェックを入れていく。『尖兵』の指名は機関が行うが、ミッションを受けるかどうかは本人の意思次第となる。そのため、候補には複数を選ぶ必要があった。
「さて、英雄トヨトミ、お前に依頼したいことがある」
「何だ?」
グラーズンが、上空から情報ボードを呼び出す。画面には、黄金色の細かな紋様が刻まれた、あるアイテムが映っている。
「この『火霊の松明』を、元の所有人に送ってもらえないかね?」
「『火霊の松明』っていえば、この間盗まれたっていうA1級のアイテムじゃねぇか?」
「そうだ。取り戻しに向かった『源将尖兵』二名は重傷で、しばらく集中治療を受けている」
義毅は、記憶していたアイテムの情報をそらんじた。
「神の炎を呼び出し、ウイルスから都市、死霊や魂まで、目に見える、見えざるに関わらず燃やし尽くすというアイテムか」
「そうだ、取り戻すことはできたが、相手を殲滅できたわけではなくてな。元所有者であるラーウンス卿へと届けたいが、まだ追っ手がいる」
「それはまた厄介なアイテムだな」
蘇は涼しい口調で義毅を揶揄した。
「どうせあとは夜遊びくらいしかすることがないんでしょう?」
「仕方ないな、さっさと送ってくるぜ」
蘇の指摘に反論もせず、義毅は頭を掻きながら依頼を受けた。
通常、十分な証拠がない限り、グラーズンは動かない。日常の見張りの手配をするのは特例だろう。借りた恩を返すため、義毅はイーブイタから詳細を聞くと、手榴弾ほどのサイズの黄金の携帯ランプをポケット納屋に入れ、イールトノンを後にした。
義毅は自分の『飛行艇』に乗って、夜の空へと飛び去った。