101.戦士として欠けないもの
「……先生!」
振り絞るような叫びに、義毅は振り向く。汚れた武操服を着たのぞみは、残り少ない体力でここまで来た。そんなのぞみに、義毅は咥え煙草をしたままで応じる。
「神崎、戻って来たか」
後を追ってきたメリルだが、のぞみが義毅と二人きりで話す時間を作るため、藍の腕を引っ張った。
「コールちゃん、もっと近くでプログラムを見ようヨン。ハヴィーさんのチャレンジはレアだヨーン!」
「あっ、でも、私は!!」
「いいから、いいから!行きましょうヨン!」
のぞみが気がかりな藍だったが、無理やり引っ張られるようにしてその場を離れた。
一人になったのぞみの顔を見ただけで、義毅にはのぞみの言いたいこと、聞きたいことがわかった。気楽な空気を醸したまま、隣の空席を叩いて示す。
「ま、座れ。ステージがよく見えるぜ」
誘いを受け、のぞみが腰かける。
「はい……」
「飲むか?」
義毅の差し出す瓶の中に、琥珀色の液体が揺れている。学園としては、担任の指導方針を極力尊重するとはいえ、咥え煙草に飲酒では、あまりにマイペース過ぎる。のぞみは呆れた。
「先生これはお酒ですよね?」
「いや、ノンアルコールの麦茶サイダーだぜ」
フェイトアンファルス連邦の法律では、お酒は未成年が触れられないものではなかった。というのも、さまざまな種族の遺伝子を持つハーフも多く、多種多様な体質を持つ者の生きるこの社会では、アルコールを栄養補給品として考えられている種族もあるからだ。さらに、特定の技を習得するための必須アイテムとしても認定されている。そのためアルコール飲料は、学内でも簡単に手に入った。心苗として特別扱いされるのを厭い、のぞみは瓶を受け取らなかった。
「先生、私のことはお気になさらず!」
のぞみは、他の心苗が義毅から飲みものをもらっているのを見たことがあった。だが、友人同士なら理解できるが、教師から気安く何かをもらうことに抵抗があった。
「ハハ、遠慮しなくていいんだぜ。さて、生死の狭間から戻ってきた気持ちはどうだ?」
「よくわかりません……。戦いの果てというのは、このような感覚なんでしょうか?」
激しい戦いに対する恐怖心や、あの緊迫感を二度と味わいたくないことなどを、口にすることはできなかった。ハイニオスに転入するということは、危険な戦闘が起こる可能性を受け入れるということだ。覚悟を決めて転入したのぞみは、教師を前に、簡単に弱音を吐くわけにはいかなかった。
「もしお前が戦士の道を選んだなら、今回のような激しい戦いは必ずまたあるだろう」
狂人男との戦闘を思い出すと、まだドキドキした。のぞみはステージで熱戦を広げる心苗たちを見る。
「そうですね。でも、皆凄いです。さっきあんなことが起こったばかりなのに、怯えるどころか、余計に戦いが激しくなりました」
「お前の戦いに激励されたかもな?」
「私のですか?」
「人の心ってのは妙なものでさあ、感動ってのは、シンプルに人を動かすんだぜ」
のぞみは、自分の決死の戦いが皆に何を与えたか、全く気付いていなかった。
「どうしてですか?」
「あの異様なターゲットを相手に、お前は諦めなかった。それを皆、よく見てたぜ。正直、お前のレベルではとても無理な相手だった。苦戦は当たり前の状況で、お前は自分の持てる力、技を駆使して、最後まで諦めずに戦った。闘士にとって一番重要なことを、お前は皆に見せたんだ。お前の戦いが、皆に共鳴してるぜ」
「でもやっぱり皆、心が強いですね。もし私が傍観者なら、次のチャレンジをする勇気は出なかったかもしれません。どうして皆、こんなに強い心を持っているんでしょうか?」
「強くなる理由も目的もそれぞれだが、闘士の心苗の修行ってのはシンプルだ。どこから来たとか、何をやりたいとかは関係ない。『戦い』に真正面から向き合って、研鑽を重ね、常に目の前にある枠を破ってかないと、先に進めないのさ」
義毅の言葉を反芻しながら、遠いところにいる誰かを思い出したように目が柔らかくなる。
「何だかわかる気がします……」
「神崎、お前に戦闘の概念を教えたのは誰だ?家元の人じゃないだろう?」
「幼い頃からずっと憧れている人がいます。彼の修行する姿を見守っているうち、無意識に少しずつ、身についたのかもしれません。そんなに気張って戦わなくていいのよと、母によく言われました」
「そうか」
義毅は真剣な表情でのぞみの話を聞いていた。
許嫁・光野遼介が、幼い頃から過酷な身体修行を受ける姿、深い山で獣と戦う姿、次元の狭間で、数え切れない数の異様な生き物を相手に訓練をする姿を『天眼』で見てきた。遼介は七歳の時にはもう、宗家の門番を務め、数多くの挑戦者や暗殺者と戦っていた。それらはすべて、彼がたった一人で受けてきた試練だ。酷い怪我を負いながらも、宗家の与えた試練に対し、諦めず乗り越えつづけてきた彼の姿をもう一度思い出す。のぞみは今日、一歩だけ遼介に近付いた気がした。そう思ったら、のぞみは座ってなどいられなかった。
「先生。私、二度目のチャレンジを受けたいです」
意気込みを見せるのぞみに対し、義毅は紫煙をくゆらせている。
「いや。お前は今日は休んでた方がいい」
「どうしてですか?皆があんなに一生懸命、頑張っているのに?」
「考えろ、神崎。さっきのが何だったかすら判明していない以上、俺はお前を行かせられないぜ。もしそれで同じことが起こった場合、今のお前の容体じゃ、今度は本気で死ぬだけだ。お前はもう、罰ゲームを受けるために体力を回復させてろ。あいつらの戦いを見てるだけでも色々と学べるはずだ」
のぞみは、このチャレンジプログラムを受けたことで学んだものを思う。そして、深く頷いた。
「そうですね、分かりました」
「後は俺に任せろ」とでも言うような義毅の顔に、のぞみは少し、安堵した。
「ハヴィの戦いを見れる機会は滅多にない。彼女の戦いが正確な答えというわけじゃないが、良い模範にはなるぜ」
義毅に促され、のぞみはステージにティフニーの姿を探し、そして、女神の剣舞に目を奪われた。落ち着いた様子の彼女は、片手でツーハンドソードをかざし、美しい足さばきで移動する。白っぽい蒼光の刃は一定の速度を保ち、疾風のように流れていく。一つ一つの斬撃を一連に繰り出し、滝のように淀みがない。しっかりと力を込めて、剣は斬り払われていく。
彼女の源気が球体の空間を完全に支配しており、魔獣の攻撃がティフニーに届くことはなかった。ティフニーは魔獣の動きに合わせるのではなく、自分の動きで魔獣を誘導している。そして、絶妙な間合いに引き出された魔獣は一瞬で討ち倒された。
怒りも雑念も、何も感じさせないティフニーは、ステージで無双する無垢な花のように舞い踊る。斬り払いながらも、その魔獣を慈しむような剣筋は、慰霊歌のようですらあった。
武道も剣術もあらゆるスキルも、血なまぐさい暴力としてではなく、聖なる美術品のように昇華させているティフニーの戦い方に、のぞみはしばらく、声を出すことすらできなかった。
チャレンジプログラムの時間が終わった。第25ラウンドまでクリアした修二と綾に対し、ティフニーは自分のペースを守りつつ、第23ラウンドの途中で時間切れを迎えた。
8人全員がチャレンジに成功したことに、どよめきが広がった。その後、二度目のチャレンジをする心苗たちが6回ローテーションしたが、のぞみの遭遇した狂人男や空間の歪みの現象は現れなかった。