最初 -サイゴ-4
優しく包み込むようにホール内は暗くなっていく。
静寂のなか、頭に浮かんだのは、先程の健の様子。
まんざらでもなさそうだった。
でも悩んでいるのも確かだ。
告白したきた人と健は元々仲の良い友達だったのだろう。
友達としては間違いなく好き。でも恋愛対象としてはどうだろう。
健が悩むとすればそれくらいしか考えられない。健は、自分の気持ちがはっきりしてさえいれば真っ直ぐ伝えると思うから。
と、喫茶店で健が下手くそにはぐらかしつづけたことを推察したところで、良いアドバイスなど一つも浮かばなかった。
なんせ恋愛経験ゼロだ。誰かと付き合ったことがあるとかないとかいう話ではなく、本当の意味で。
流華を守るという目的を果たすのに、それは邪魔でしかなかったから。
結局、そんな私の存在が、流華をあそこまで追い詰めてしまったのだけど。
横目で隣を見ると、健の目は悩みをすっかり忘れたかのようにステージへ釘付けになっていた。
幕が開く。ゆっくりと。
だから目を閉じた。真っ暗なステージでも、私の目にははっきりと見えてしまうから。
先程よりも濃い暗闇の中で、ふと思う。
告白されたことを相談するわけでないのなら、健が私を呼んだ理由は一体なんなのだろう。
そういう気分だった? 流石にそれはない。健と私。お互いの状況的に。
何かしらの理由はある筈。前日の夜に突然約束を取り付けるに値する理由が。そして健のことだ。答えは単純明快。深く考える必要はないと思う。
友達から告白されて、返事をしていない状況で、私と会う理由ーーーー
駅を出てからの帰路も会話は殆どなかった。成り立たなかったという方が正しいかもしれない。
劇が終わってからの先輩はいつにも増して口数が少なく、そしてどこか拒絶するような色が濃く出ていた。
何か失礼なことをしてしまっただろうか。流華先輩のことに触れたのがよくなかった? でもあの場では特に変わった様子はなかったと思う。
別れ道に着く。ここで先輩と別れるのは随分久し振りだった。
「じゃあ、俺はあっちなんで……。今日はいきなりすいませんでした。付き合ってくれてありがとうございます」
先輩は俺から僅かに視線を逸らしたまま答えなかった。
胸が軋む。
「健は」
こちらを見ないまま先輩は口を開く。
「私のことが、好きなの?」
拒絶を纏いながらの問い。どう答えたらどう返ってくるか、手に取るように分かった。
「それは、その……、恋愛的な意味でってこと……っすよね」
先輩は否定も肯定もせずに黙っていた。する必要がないというように。
俺も答えは分かっていた。ただの時間稼ぎ。
時間稼ぎ?
そんなことをして何の意味がある。先輩の求める答えすら分かっているこの状況で。
「私にとって、健は弟みたいな感じで、そういう対象じゃない」
分かっていた。俺自身の気持ちがどうであれ、先輩にその気がないことは。
それでもその言葉は、事実は喉につっかえて、なかなか呑み込むことができなかった。
「あ、安心してください。俺もそんな気は全然なくて……、先輩のことはそりゃあ好きっすけど、それは尊敬とか憧れとか、そういう感情で……」
それだけじゃあなかったのだと、言いながらーーーーいや、口にすることで、初めて気付いた。
頭の中に浮かんでいた言い訳が霧散していく。
「最初は、ホントに、それだけだったんです」
弱々しく揺れる瞳がこちらに向く。
その強さ、正しさ、優しさに憧れて、金魚の糞のように付きまとって、そして、強いだけでは、正しいだけでは、優しいだけではどうにもならない現実を知った。
「今は、それと同じくらい、先輩を守りたいと思っている自分がいます」
そんなことを言われたのは初めてだった。
「それが、先輩が言うように恋愛感情からくるものなのかは、まだちょっと俺には分からないですけど……」
嘘は吐いていない、と思う。
だからこそ困惑する。
好きだと言われたことは少なからずあっても、守りたいなんて言ってくる人は、開花する前だっていなかったから。
健のそれがどういう感情によるものなのかは、勿論私にだって分からない。
でも経験上、それは生半可な気持ちで考えられることではなく、そして、
「多分……、こんな言い方しか思い付かなくってあれですけど、形はどうだっていいんだと思います。今まで通り先輩後輩でも、友達でも、彼氏彼女でも。何か困った時とか弱ってる時に頼ってもらえるのなら」
それほどに強い感情をぶつけられたことはなくてーーーーいや、あったのかもしれない。私が共感できるようなものではなかったから気付けなかっただけで。
でも今は理解ってしまった。もしかしたら、健以上に。
強い想い。
それをなんと呼ぶべきかさえ。
俯きながら額に手を当てると、平熱とは程遠い体温が伝わってきた。
「先輩、大丈夫っすか?」
少し慌てたような声。手が伸びてくる気配に、思わず一歩退いた。
「か、帰る」
「えっ」
「帰るっ」
手で顔を隠したまま踵を返す。
健に呼び止められたり追いかけてこられたらどうしようかと思ったけど、その心配は無用だったらしく、少しだけほっとした。
流華の部屋の掃除をするつもりだったことを思い出したのは、マンションの自室に戻ってから十分ほど後のことだった。うつ伏せに寝ていたベッドから重たい身体を引き剥がして立ち上がる。外着から適当な服に着替え、鍵を持って部屋を出た。
日が暮れてきたとはいえ、日中の熱をまだまだ残している五月の風では私の顔の火照りを冷ますには役者不足で、こんなに身体が熱っぽいのはいつぶりだろう、なんて考えながら隣の部屋の鍵を開ける。
外と比べると少しだけ生暖かい空気を感じた途端、顔の火照りはあっという間に冷めていった。
冷たい静寂に触れたためか。
あるいは現実に戻ったためか。
もしくはその両方か。
玄関に入り、後ろ手でドアをそっと閉める。その僅かな音すらも、静かな室内には大きく響いた。
それと同じ音で目を覚ます。
身体の重さを感じることなく起床したのは久し振りだった。
室内は暗い。まだぼんやりしていて眠る前の記憶は曖昧だが思い出すまでもないだろう。どうせまた、学校から帰って来てすぐベッドに横になっていたのだ。
灯りを点けてからスマホで時間を確認する。
七月五日。午後九時。こんな時間に、隣の部屋から扉の開閉音。
流華が帰ってきた? それはないと思う。学校での様子に変わったところは見られなかった。勿論、何かしら用事があったり物を取りに来たということもありうるけど、どちらかというと泥棒の可能性の方が高い気がする。流華がここに住んでいないということはこの辺りじゃもう知れ渡っているしーーーーと考えながら足早に隣の部屋へ向かう。
様子見がてら一度だけチャイムを鳴らしてみた。返答もなければ物音なども聞こえてこない。
手に持っていた鍵を鍵穴に差し込もうとした手をふと止める。もしかしたら、と思いドアノブを掴むと、抵抗なく回った。
ドアを少しだけ開けて中を覗く。玄関には流華の靴が乱雑に脱ぎ捨てられていて、少しほっとした。
靴を揃えてから廊下を進む。リビングに入ると、ソファでうつ伏せになっている流華を見つけた。
「泥棒かと思った」
冗談っぽく言う。
これが最期の会話になるなんて、想像もしないまま。




