恋愛相談所
大好物のどら焼きを一口齧り、それを豆乳で流し込む。
程よい甘さが口の中に広がり、再びどら焼きを齧ろうとした時、来訪者を知らせるカウベルが響き渡った。
「あの……すみません」
来訪者、もとい本日最初の客は女の子。
なんとも気弱そうな女子高生。恐らく文科系で、昼休みも教室の隅で読書をしているタイプだ。
「どうぞ」
営業スマイルを浮かべつつ、私は冷蔵庫からどら焼きをもう一つ取る。
「何か飲む?」
「え? ぁ、だ、大丈夫です……」
「サービスだから。コーヒーにココアに緑茶に……あと豆乳。どれがいい?」
「じゃあ……豆乳で……」
意外だ。今どきの高校生は豆乳を嫌っているとばかり思っていた。
まあ、こんな子も居るのだろうと思いつつ、冷蔵庫から冷えた豆乳をグラスへと注ぎ込む。
そのまま、どら焼きと一緒にテーブルの向かい側へ置いた。
「座って。じゃあまずは料金の説明から……」
私がビジネスの話をしようと思ったその時、女子高生は震えながらサイフから一万円札を取り出した。
まるでカツアゲしている気分だ。
「あの……おつりは要りません、これでお願いしますっ」
「ぁ、いや……そういう訳には……。成功報酬で五千円貰えればそれで……」
「いいんです! お願いします!」
女子高生にとって一万円は大金だ。いや、私にとっても大金だが。
彼女が何故その大金を躊躇う事なく出してくるのかが気になり、私は先に相談内容を聞く事にした。
「とりあえず座って。えーっと……じゃあ自己紹介から始めようか」
なんだか今日の客は面白そうだ、と思いつつタバコに火を付ける。
これは私の持論だが、こういう焦っている客の前でタバコを吸えば大体落ち着いてくれる。
勿論私が煙草を吸いたいだけなのだが。
「私は園田と言います。はい、これ名刺」
どら焼きの隣りに名刺を置き、次はお前の番だ、と目線で圧力をかける。
女子高生は名刺を受け取りつつ、丁寧にサイフへと仕舞った。
「えっと……私は香田 遥……加賀丘高校の三年生です……」
加賀丘高校と言えば、この辺りでは名門中の名門だ。
そういえば制服も中々洒落たデザインをしている。
「香田さんね。どら焼きは好き?」
「えっ? ぁ、はい、甘い物は大体好きです……」
食べて? という再び目線で無言の圧力をかける。
香田女子は遠慮がちにどら焼きのパッケージを破り、一口齧る。
そしてそのまま豆乳で流し込んだ。
「んっ……」
「美味しい? 秋といえばどら焼きよね」
まあ、私は年中食べているが。
香田女子は再び豆乳を飲みつつ、なんとなく肩の力が抜けたように小さな溜息。
そして私と目を合わせつつ、相談内容を話しだした。
「実は……後輩から、その……告白されて……」
「へー……モテるんだね」
年下から告白されるとは。
確かに香田女子は、物静かで清楚なお姉さん的な雰囲気を放っている
「でも……返事はまだしていません。どうしたらいいのか分からなくて……」
成程。学生さんにはよくある相談内容だ。
しかし一万円を躊躇わず出す程の事か? と疑問に思う。
「で?」
「……え、えっと……その……」
やはり他に何かあるようだ。
香田女子はモゾモゾと自分の膝を擦りつつ、何やら壁に掛けられた時計をチラッチラ見ている。
時間が気になるのだろうか。現在時刻は午後五時半。高校生が家に帰るにはまだ早い。いや、私の高校生活は荒れていた為、自宅に帰る頃には日付が変わっていたが。
「実は……その後輩、私の妹が好きな子なんです……」
「……あぁ」
成程、と納得してしまう。
香田女子はなんとも面倒な事に巻き込まれてしまったようだ。
「だから、出来れば穏便に……御断りしたいんですけど、でも……」
「断ったら断ったで……妹さんと喧嘩になる?」
そう、女子とは地球上で一番面倒な生き物だ。
勿論男も面倒だ。つまり人間は全部面倒だ。だがそこがいい。
「はい、妹は私の二つ下の一年なんですが……その、年頃の子なので気難しいというか……」
いや、君も十分年頃の子だぞ、という言葉を豆乳と共に飲みこむ。
「妹さんも同じ高校?」
「はい、その後輩の男の子は妹と同じ部活に所属していて……その、柔道部に……」
意外だ。
香田女子のイメージからして文科系だと思ったが。
いや待て、香田女子もスポーツ系かもしれない。
「ちなみに香田さんは? 何部?」
「え、えっと、レスリング部です」
成程。私の目は節穴だったようだ。
人は見かけにはよらない。本日の教訓にしよう。
「そ、それで? 香田さんは御断りしたいんだよね。でも妹さんの機嫌を損ねるかもしれないと……」
「はい、それで……その……どうしたらいいんでしょうか」
どうしたらいいと言われても、私は妹さんの事も、その告ってきた後輩の事も知らない。
だがそれを推理しつつ相談に乗るのが私の仕事だ。
先程、私の目は節穴だと証明されたばかりだが。
「妹さん云々の前に……香田さんは、その後輩の事どう思ってるの?」
「え? ど、どうって……」
「つまり、お付き合いしたいと思う?」
俯いてしまう香田女子。
成程。やはりこの子も年頃の子だ。
「好きなんでしょ。その後輩の子」
「……べ、別に……私は……」
あぁ、なんて可愛いんだろうか。
このシチュエーションに出会う為に、私はこの仕事を始めたと言っても過言では無い。
我ながら不謹慎極まりない。香田女子は今、胸が焼けそうなくらい熱いだろうに。
「妹とその後輩。どっちを取るかで悩んでるわけだ」
「……はい……」
小さく頷く香田女子。私は煙草を消しつつ、再び新しい煙草へと火を付ける。
さて、どうした物か。
この問題は幽霊の存在を証明するより難しい。彼女にとっては、地球が滅びるよりも重要な問題だろう。
だが大抵の場合、答えは既に出ている。
「香田さん、その後輩の事を好きになった切っ掛けは?」
「きっかけ……」
再び時計を横目で確認する香田女子。
時の流れは早い、もうすでに六時を回ろうとしている。
「きっかけは……分かりません。いつの間にか……彼を目で追うようになってて……」
「成程、好みのタイプだった?」
「好みかどうかと言われたら……あまり……」
そうだ。人間の好みなどアテにならない。
自分はこういう子が好きだ、と言っておきながら、正反対の子を好きになってしまうなどザラにある。
「でも……いつのまにか……」
「彼の事しか考えれなくなっちゃったと」
小さく頷く香田女子。
確かにこれは万札を出すレベルだ。香田女子は本気で後輩にホレている。そしてその後輩に告られたのだ。妹の事が無ければ、嬉しさのあまりプロレスラーをマットに沈めてしまうだろう。
「香田さん、さっきから時計気にしてるけど……待たせてるんじゃない? 後輩君」
「えっ? え、えっと……はい……」
彼女は背中を押してほしいだけだ。
だが私も無責任に背中を押すわけには行かない。
こんな言い方をしてしまっては何だが、たかが男一人の為に妹と決別するような事になってしまえば一大事だ。だからと言って彼女に、自分の気持ちを殺して妹に譲れ、などと言える筈も無い。
「香田さん。お金は要らないわ。私は力になれそうにないから。でも一言だけ……アドバイス」
「はい……」
私は豆乳を一口飲み、喉の調子を整える。
「妹さんを大事にしてあげて。どう受け取るかは貴方次第」
「……はい……」
香田女子の緊張が私にも伝わってくる。
どうやら心は決まったらしい。
その後、香田女子を見送った後、私は再びどら焼きを齧り豆乳で流し込む。
先程と味が違う。
ほのかな甘みが口全体へと広がっていった。
――さて、後日談。
あの後、香田女子と後輩君は付き合う事になったらしい。
そして今、私の目の前には……
「じ、実は……姉と付き合ってる彼の事が……私も好きで……でも姉の事も私は大好きで……で、でも、でも……」
あぁ、今日のどら焼きはどんな味がするんだろうか。
相談者に伝えよう。
私の甘い甘い……失恋の経験を。