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傍観者はいない

作者: 湯納

チリンチリン

「いらっしゃいませー」



少しばかり高揚する気持ちを抑え、木製のドアを押し開けた。蝶番の軋む音と共にドア鈴の音が店内に鳴り響く。鼻孔をくすぐる古書の独特な匂いと埃っぽい空気。

奥から歓迎の挨拶が聞こえたが、姿は見えない。


不思議な店だった。

木製の本棚が、アンティークの調度品が、明るすぎない照明が、飾られた絵画が、天井で回るシーリングファンが、全てが店の雰囲気と調和し、穏やかで温かい空間を作り出している。

開放的な広さの店内には、文芸書や評論書のコーナーに始まり、年季の入った古書に洋書、謎の画集に至るまで豊富な数の本が棚にぎっしりと詰まっている。奥には雑貨が陳列され、丸テーブルと椅子も見える事から喫茶店も兼ねているようだった。


偶然にも店の前を通り、ガラス越しに中を窺ったあの時から、既に私は魅入られていたのだろう。

ノスタルジックな雰囲気に浸るようにしてしばらく立ち尽くしていた私は、我に返るとフフッと一人笑ってしまった。傍から見たら阿呆のようではないか。

幸い他に客もいないようで、ゆっくりと周りを気にせず近くの棚から吟味する。


普段本屋では見かけない古書の類や全く知らない言語の本、よく分からない設定集などが並ぶマニアックなコーナーを眺めるのも中々どうして面白い。知らない世界が広がっていく楽しみは、本に触れる醍醐味だ。


やがて、私は一つの本棚の前で足を止めた。

『出会いはそこに』という立札が架かった本棚だ。本との出会いという事だろうか。疑問を浮べながら、並んだ文庫本の背表紙を覗き込む。


シュガーレスシリーズ

『七速銃殺、湯船でシガレットキスを』

『傾斜した彼女は羅針盤の上で踊る』

『ほら。暗雲は目の前に。』

『阿々 冥王星の花火』他


North

『My name is Enemy』

『Under the Y』

『Morning glow』

『POW3sis,INT3bro』他


ブリキガールの嗚咽シリーズ

『ディラックの海魔』

『テロメアの残滓』

『アクバルの夜明け』

『アノマリーの螺旋』他


夏八木・秋音子シリーズ

『神、夢を殺す』

『機械仕掛けの歪人間』

『共感覚チャンネル』

『天神楽嬌声八系』 他


こういった具合に、何やら見ない本ばかりが並んでいた。

元々本屋へ足しげく通うような人間ではなかったが、それにしたって見ず知らずの本のタイトルがここまで並ぶだろうか。この本棚ひとつを全て埋め尽くす量の本を、見れば同一人物がすべて書いているようだ。その著者も、聞いたことがない。


背筋を何かが這っていった。何か面白い発見をしてしまったという興奮を、全身が感じ取って脳へと信号を送ったのだろう。

ここは本当に、不思議で魅力的な場所だ。


目についた一冊の文庫本を手に取る。どれか一冊、読んでみたいと思った。記念という意味もあって、買ってみることに決めた。直感的にタイトルに惹かれて、その本を選んだ。


......?


「ごめんください、どなたかいらっしゃいますか?」


しばらくすると、奥のカウンターから色白の男性が現れた。店主だろうか。眼鏡も相まって理知的な人に見えた。古本屋のご主人というのはなんとなく気難しい人物のイメージがあったが、愛想の良い微笑みからは穏やかそうな印象を受ける。


「どうかなさいましたか」

「はい。値札がないようなので、失礼ながらこちらの本がいくらかお聞きしたいのですが。」

「ふむ...」


渡した本を受け取って表紙を確認すると、店主はにこりと笑って驚くべき事を告げた。


「そちらの本はタダで結構ですよ」

「えっ?」

「あの本棚にあります本はですね、その全てがとある方によって書かれました作品なのですが、その方のご意向でお金は取っていないんですよ」

「そんな事があるのですか...」


にわかには信じられない話だった。

作家が本職ではないのか? 資産家の、いわゆる金持ちの道楽的なものなのか?


「ええ。本というのは数多に、そして無造作に並べてあります。その中から一冊、タイトルに惹かれたにせよ、あらすじで興味を持ったにせよ、直感的に選んだにせよ。あなたはその本を手に取った。これは運命的な出会いだと、そうは思いませんか?」


私は店主のこの説明を、黙って聞いていた。


「偶然ではありません。必然的に、あなたの望んだ結果として、その出会いは生まれたのです。それは書き手に取っても喜ばしい出会いであり、大切にしたいものであると、著者の方はおっしゃっておりました。それ故、どんなお客様でもその出会いを手放す事のないよう、無償で譲るよう言われております。」

「なるほど...」

「貴方様がその本と出会った時から、その本は貴方様のものでございます。運命の出会いの物語はきっと、この店に入った時から始まっていたのですよ。いいえ、それはもっと前から始まっていたのかもしれません。」

「はぁ。」


合点がいくようで、釈然としない話だ。この出会いを大切にしたいという気持ちは分かるのだが...。

そうはいってもタダとはこの歳にもなるとあまり気持ちの良いものではない。タダほど怖いものはなし。


それでも、この本は欲しいと思った。


「わかりました。それではこの一冊を私にくださいませんか」

「ええ、ええ。かまいませんとも。」

「こちらは本のお代ではなく、素敵な時間と出会いを提供してくださったお店へのお礼という事で置いていきます。」


断られたら面倒なので、返事を聞くまでもなくその店を後にした。考えてみれば、本を気に入ってまた通う事にでもなれば問題の先送りにしかなっていないのだが。


「さて。読んでみるか」


近くにあった喫茶店に入り、窓際の席で腰を下ろして一杯のコーヒーをお供に本を取り出す。

紙ページは少し劣化し新品同様の綺麗さとは言い難いものの、丁寧に扱われていたのだろう、本自体は綺麗なままだ。


タイトルは『傍観者はいない』。

何かメッセージめいたものを感じてしまう7文字に、目が奪われる。メッセージ、つまりこれは、私に向けた言葉なのではないか。

不思議な感覚に囚われ、ざわめく心を落ち着かせるべくコーヒーを喉に流し込んだ。


タイトルの傍観者とは、一体何を指すのだろう。先ほどの店主の説明が脳内で反芻し、何か答えを得られそうでいて、靄に紛れ消えていく。そのもどかしさに舌打ちしたい気分になりつつ、窓の外を歩いていく人々を眺める。

もし、もし仮にあの説明のように、自分がこの本と出会い、読むことが必然であったなら。出版された本を話題性や書店の見出しから選び、拾うようにして手に取っていたこれまでの私。登場人物たちが織り成す物語を"傍観"する読者であった私。しかしそうではないと言う。運命の出会いとやらを果たした私に対するメッセージだとしたら。

傍観者はいない。これが呼びかけならば、傍観者はいない以上、私もまた傍観者ではない。私は物語を"傍観"する読者ではない...


それなら、私は一体...?

物語の......。


いや、考えすぎだろう。

不思議なお店ではあったが、こういったオカルトじみた物は信じない性質だ。信じないからこそ、そういったテーマの創作を愉しめるのだ。

いつになく、本を前に緊張していた事に気付き、フフッと自嘲気味に笑う。


気を取り直し、ページをめくってみる。何となくで選んだものの、どんな内容なのかあらすじにすら目を通していなかった。まさしく直感で選んだのだなと思いながら、並んだ目次を目で追う。

なるほど。どうやらこれは短編集であるらしい。そのタイトルは...。『Answer』に『シャヤクロの塔』、『妙だ』か。本のタイトルとは違ってシンプルなものが多いが、読んでみるまでは面白いかどうかは分からない。どれ、読んでみるとするか。



淡々と紡がれる文章を、その人物は時に笑い、時に眉をひそめながらも読み続けていた。

そんな、昼下がりの日常。


チリンチリン。

風鈴堂に、また客がやってきた。

さて、この客はどんな本を選ぶだろうか?


湯納は作中の作品を書くつもりが一切無い事をお伝えしておきます。期待された方、いましたらお詫び申し上げます。

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