【三題噺】お題:こたつ、みかん、ねこ
もうすぐ都内で雪が降り始めるでしょう、とニュース番組のアナウンサーが言うのを、少女は特に関心も無く、ただぼぅっと聞いていた。
こたつの中でぬくぬくと、なんとも言えないような幸福感を味わいながら、チャンネルを回し、やがて退屈そうにため息をついてテレビを消す。
「…鈴、みかん食べる?」
コタツの上には、まだ皮のついたままの大ぶりなみかんが、六つばかり転がっていた。それを指差し、少女は隣で丸まっていた猫に問う。
名前を呼ばれたと分かった鈴は、優雅に少女の膝の上に飛び乗り、目をパチパチさせて少女を眺めた。
少女が小さな手でみかんを一つ掴み取り、爪の中を黄色く彩りながら皮をむいていくのも、じっと見つめていた。
「はい。」
白いところまでほとんど取り払った一粒の綺麗なみかん。
差し出されたそれを食べることを、鈴はツンと顔を背けることで拒否する。
何度も「ん。」と口に持っていっても食べない猫に、少女は再びため息を吐いて、仕方なく自分の口にみかんを放り込んだ。
「…あのね、彩、もうすぐ小学四年生になるでしょ?四年生は校外学習でサイクリングに行くんだって。だけど彩は自転車持ってないでしょ?だから、自転車買って欲しいんだぁ。今度おねだりしよう。その時は、鈴も彩と一緒にお願いしてね?お父さんは、鈴が可愛く「にゃあ」って言うと、すぐにでれーってなるから。」
勿論、猫は答えない。
少女は話す間にも神経質にみかんの白い部分を取っていて、完成した二つ部目を口に放り込む。
「そうそう、前に同じクラスだった花菜ちゃんもね、猫を飼ってるんだって。なんて言ったっけなぁ……すこ、すかっ……なんとかティッシュっていう種類なんだって。寝るときも一緒のお布団で寝るんだって。いいなぁ。彩も、鈴とずぅっと一緒がいい。」
猫はツンと顔を背ける。
ケチ、と少女がふてくされるのにも動じない。
少女は三粒目を口に含む。
「…鈴は、彩がお義母さんに いいふうに思われてないの、知ってるでしょ?この前もお義母さんに突き飛ばされて、手首をひねっちゃった。でも、お父さんに言うと、お父さんはお義母さんのこと大好きだから、きっと悲しくなっちゃうよね。彩もお父さんのこと大好きだから、お父さんには言わなかったよ。彩、偉いでしょ?……でも、それで、手首が痛くてずきっていって、彩、自転車で転んじゃったんだよね……」
あれは、痛かったなぁ……
哀しそうに、少女は四粒目をつまむ。
けれど、思い出したように笑顔になって、それから心底楽しそうに言った。
「だからね、彩、お義母さんに、みかんプレゼントすることにしたの!お義母さんはみかんが大好きでしょ?いくら私からっていっても、絶対食べてくれるはず。」
手にした五粒目をうっとりと見つめて、不意に少女は視線をずらした。
そして少し不機嫌そうに、
「見て、鈴。あの写真。飾ってくれるのは嬉しいけど、もう少し可愛いの、なかったのかなぁ。」
と、自分の写真を指差し言った。
そこへ、
「ただいまぁ。」
と間延びした低い声が、少女の耳に届く。
「お父さんだ…!」
少女は目を輝かせ、五粒目の綺麗なみかんを机上へ置くと、庭へと続く窓を開き、雪の降る外へ薄着のまま飛び出した。
少女が消えた瞬間に、彼女の父親が部屋の襖を開く。
「うーさむ……おいおい、なんで窓開けっ放しにしてるんだよ…これから大雪だってのに。」
窓の閉まる音を聞きつけてか、少女の義母も部屋に入って来る。
「あ、春文さん、おかえりなさい。」
「ただいま。玲奈、窓開けっ放しだったぞ?困るよ、鈴が逃げでもしたら……」
「え?うそ。閉めたはずなんだけど…ごめんなさい。」
「いや、いい。今度から気を付けてくれ。」
「……ご飯の用意、出来てます。今日の夕飯は、春文さんの好きな物ばかりにしたわ。」
「ありがとう。今日が……何の日か、覚えててくれたんだな。」
「ええ、勿論…。本当に、小さかったのに、あの子……」
沈痛な面持ちで俯向く二人の真の感情は、果たして同じなのか。
「さ、悲しい時は、美味しいものたくさん食べて、ね?」
「ああ……本当にありがとう。愛してるよ、玲奈。」
「私もよ、春文さん。」
微笑む夫が食卓に向かい、妻は足元の猫に手を伸ばす。
素早く逃げ出しコタツの机上に乗る猫を視線で追いかけ、一粒だけ綺麗に残されたみかんと、皮のついたままの五つのみかんに目がいった。
「おかしいわね、五つしかなかったはずなんだけど……」
首を傾げながらも、彼女は綺麗な一粒のみかんを口に放り込み、微笑んで……見方によってはほくそ笑んで、咀嚼しながら夫の背中を追った。
翌日、少女の義母は、自転車の事故で亡くなった。
猫は悲しむ夫の横で、じっと、机上から消えた綺麗なみかんを見つめていた。