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今宵、あなたに逢いにゆく。  作者: リラ
最終章
6/6

今宵、あなたに逢いにゆく。

「僕を求めてくれるこの優しい手を離すのは名残惜しくてならないけれど……茉莉花。また、あとで」


 そう言って馨は先にここを出た。それは何よりお互いのために。

 私を変える時に私の香りに酔って血を奪い過ぎないよう、先に他の人の血を貰って欲求を最小限にしておくと言って、夕陽に染まる外へ静かに出て行った。

 待ち合わせは深夜一時、いつもの公園。馨に初めて出会った思い出の場所。

 馨が家を出たあと、置き手紙に良さそうな紙を探して机の上に置いてから取り敢えず先にシャワーを浴びた。おかげすっきりした頭で、次に手紙を書いた。

 ほとんど悩むことなく、ただ思った事を書き綴った。




『 お父さんへ。


私が家を出てしまった事で迷惑をかけてしまったら、本当にごめんなさい。

お父さんが周りの目を気にする気持ち、ちゃんと分かってたよ。

私もそうだったから。周りの目が気になって仕方なかったし、自分のこの状態を誰かに知られたくなかったし、怖かった。


お母さんが今の状態になってから、もう随分経つよね。

いつか、昔の優しかったお母さんが戻るんじゃないかと考えて待ちながら、今まで頑張って耐えてきたけど……きっともう、ダメだと思う。

お母さんは心が壊れてしまったんだよ。このままずっと、今の状態のお母さんの傍にいたら……私も壊れてしまうかもしれない。

それがお母さんから離れたいがための言い訳だって思われても、仕方がないかもしれない。


それでも、ごめんなさい。私をこの家から出る事を、許して下さい。

そしてどうか、私の事は気にしないで。

忘れてくれても構いません。


無理はしないで、お仕事がんばってください。


茉莉花 』




 手紙はお父さんの部屋の机に置いておいた。ちゃんと見てくれますように……。

 お父さんの部屋を出て自室に戻り、窓際に腰掛けて待ち合わせの時間をじっと待つ。

 名残惜しいものは、ここには何もない。懐かしむべき思い出もない。

 お母さんには、昔のお母さんに戻ってほしかった。ただ、それだけ。

 なんて薄情なやつなんだろうとまるで他人事のように思ったけど、元のお母さんは戻らないし、今更もう……どうしようもない。

 外はいつの間にか夕陽が沈み、夜の帳が降りていて。

 今日は月がすごく明るい。眩しいくらいだ。澄んだ夜空が輝く星々を美しく見せている。

 馨の好きそうな空だ。それだけでなんだか嬉しくなって、自然にふっと笑みが零れた。

 ……早く、馨に会いたい。



* * *



 今夜の月は、明るくて綺麗だ。眺めていると目を細めてしまうほど眩しい。

 空も澄みきっていて、星が瞬いている。

 今日という素晴らしい夜を祝福してくれているのかもしれない。


 茉莉花の血の香りにあてられて喉を掻き切りたくなるような激しく凶暴なまでの渇きを感じていたけれど、喉を潤して大分落ち着いた。

 彼女の前では出来る限り平静を装ってきたけど……遂に、痛い失態を曝してしまった。

 赤に染まった、欲望に支配された瞳で茉莉花を見てしまう僕なんかを、嫌わないで変わらず真っ直ぐに見つめてくれる彼女は……優しすぎて、いっそ胸が苦しくなる。

 それでも今夜、茉莉花を変える決心は変わらない。彼女も同意してくれたんだ。その幸せな事実を存分に噛みしめる。

 ──そう。あとは約束通り、茉莉花が公園へ来てくれるのを待つだけ。

 待ち合わせをしようと決めてから、拘束力など微塵もない口約束だけをして彼女の家を出た時点で、これは一種の賭けだと思った。

 こんな事は考えたくないけど、時間になっても茉莉花が来なければ……もう、それまでだ。彼女の気持ちはそこまでのものだったんだと、諦めるしかない。

 最悪の結末だ。

 一瞬にして僕の中を駆け巡り爪痕を深く抉るように残す、彼女という存在。絶望という言葉が頭の中を支配して、昏い想いを膨らませた狂暴な感情に支配される自分。

 怒りはない。彼女が僕を受け入れることができない理由は、血を啜るバケモノというだけで充分なんだから。

 彼女に非などないから。


「ねぇ、茉莉花。優しいと言ってくれた僕の本性を知ってもなお、きみは僕を好きでいてくれるかな…?」


 優しくするのは、きみにだけ。きみに伝えた通り、揺るぎない事実。茉莉花。きみが好きだから。愛おしくてたまらないから。

 だからこそ……最悪の結末を迎えた果てに、僕は本当に彼女を諦められるのだろうか?

 いや、きっと彼女を迎えにいくだろうな。拒絶されたとしても。

 拒絶されたところで、僕には人をコントロールできる力がある。僕を拒絶した彼女の意思も身体も押さえつけて、なにがなんでも手に入れようとするだろう。

 狂気的な考えに至ったところで、遠の昔に心臓は止まったはずなのに胸が苦しくなった。茉莉花の幸せを一番に願いたいのに、それでは彼女が幸せになるとは思えない。少なくとも僕だけは幸せでいられるけど。

 歪み狂った想いは、ただひたすらに僕の我儘の形。


 けれど、そんな悲惨な結果を考える傍らで、僕は幸せな結末も思い描く。

 ──いや、結末じゃない。これから歩むだろう未来を、想像する。

 夜空に向かって手を伸ばし、煌めく星を掴もうとした。

 茉莉花も見ているかな。この広大な澄み渡る夜空を。今夜の空は、きみとあの公園で初めて顔を合わせた時と同じくらい、綺麗だ。

 ううん。今日は特別、どんな日よりも綺麗に見えるかもしれない。

 早く、早く、茉莉花に会いたい。会って、この腕で抱きしめたい。

 そしたらきみは僕の冷たい肌に怯える事なく、そっと息をついて安心してくれるから。

 身体が変化したら……沢山、苦しい事やつらい事がある。けれど、僕は敢えてその全てをきみに教えなかった。

 それはひとえに、茉莉花を永久に僕の傍におくため……なんて。こんな事を考えてしまうなんて、僕は狂っているのかな。


「あっはは……こんなことを考えてるなんて知られたら、さすがに嫌われちゃうかな


 でもね、茉莉花を想う心は、誰よりも無垢で純粋なんだ。

 その証拠に、きみの事を想うだけで……心がぬくもりに満たされる。強い意志を持つ、温かくて柔らかいきみを大切に想うこの心には、偽りなど微塵もない。

 それでもやっぱり、これが歪んだ考えだとしても。出来うる限り、僕の全てを尽くして必ずきみを守るから。

 僕から離れないで。ずっとずっと、傍にいて。

 茉莉花が望むなら、僕はなんでもするよ。




* * *




 時計が深夜一時を示す十五分前に、家を出た。駆け足になる自分に笑う。これじゃあ早く着きすぎてしまう。

 はやる気持ちを抑えきれない。

 それはひとえに、彼に会いたいから。

 お母さんは……とうとう帰って来なかった。いつもなら一日中には戻ってくるのに。

 私と同じように、お母さんも家を出たのかもしれない。

 最後に会いたかったという思いは、ない。心残りも、後悔も。

 一度も後ろを振り返ることなく、私の足は、意思は、真っ直ぐに公園へ向かって進んでいる。

 寝静まった住宅街に、虫達が夏特有の音を奏でている。

 ゆったりと歩みを進めながら耳を傾け、誰ともすれ違うこともなく。公園はもう、すぐそこ。

 そっと深呼吸をし、湿った空気を舌で感じた。足は留まることなく、公園の中へと一歩一歩しっかりと踏み出す。

 その瞬間、ざぁっと強い風が吹き付けた。同時に、一つしかない電灯から少し離れた所で人影を捉える。

 男の子にしては長めの、癖のある髪がさらさらと風に扇がれている。見覚えのある長身がこちらに近付いた。


「茉莉花」


 透明感のある透き通った声が、心地良く鼓膜を震わす。

 私も彼に近付いていき、彼もまた、歩みを進めた。そうして近くなる、お互いの距離。


「馨」


 思わず口元がほころんだ。見上げれば、無意識に笑みを溢した私の唇に、馨の指先がそっと触れる。

 ひんやりとした馨の肌が心地よかった。


「来てくれて、ありがとう」

「待っててくれて、ありがとう」


 お礼にお礼が返ってくると思ってなかったのか、目を見開いた馨は、すぐに破顔しておかしそうに笑った。

 馨の軽やかな笑い声を聴いて、私の頬を覆う冷たい手に触れて、安心する。

 しばらく笑みを浮かべて私をじっと見つめていた馨は、ふと真面目な表情に切り替えて言った。


「茉莉花に痛みを与えたくないから。痛みを感じさせないよう、きみに暗示をかけるよ」

「うん、分かった」

「怖くない…?」

「全然、怖くない」


 こちらから手を伸ばし、身を乗り出して瞳を覗き込みながら、長い睫毛が影を落とす冷たくなめらかな頬を撫でた。

 するとたった今まで確かに穏やかだった瞳の奥に、ゆらりと孕んだ熱を見た気がした。

 次の瞬間──あっという間に身体を引き寄せられ長い腕が私を抱きしめた。

 優しく、強く、しっかりと。

 私なんかをこんなにも強く求めてくれる馨の想いに、いっそ心が苦しい。目の前が涙で滲んでぼやけた。

 馨の肩口に顔を埋め、筋肉質な胸にそっと手を添える。体の力を抜いて身を委ねた。

 冷たいけれど、あたたかい。


「茉莉花、絶対にきみを死なせない」

「うん、大丈夫。馨を信じてる」


 もし、馨が血への欲求を抑えられずに理性を手放してしまい、全てを喰らい尽くされても……私は構わないの。

 私を見つけてくれて、助けようとしてくれて、望んでくれて、求めてくれて、与えてくれて。

 今、私はとても幸せだから。


「茉莉花」


 私を包んでいた腕の力が緩み、名前を呼ばれて顔を上げる。

 目が合い、不意に閉じられた馨の瞼を不思議に思う間もなく──冷たい唇が、私の唇に触れた。


「っ、ん……!」


 ──キス、された。

 瞼を開いた馨と目が合い、反射的に真っ赤になってうつむいた。

 嫌だったわけじゃない。ただ、驚いて。恥ずかしくなって。

 伝えなくてもそれに気付いている馨は、また私を抱きしめて穏やかに笑った。


「驚かせてごめん」

「ぅ、ん……っ」

「でも、キスしたくなったんだ。茉莉花、きみが好きで堪らなくて」


 私の頬を両手で包み込んで顔を上げさせると、甘い声で囁いた。浮かんだ笑みに囚われる。


「本当はね……今までずっと狙ってた。茉莉花にキスするタイミング」


 澄んだ声で、再び囁くように名を紡いだ馨が私の首元に顔を埋める。冷たい吐息と唇が、首筋に触れた。

 ああ、これから始まるんだ。彼とともに歩む新しい私が。


「きみは痛みを一切感じない。感じるのは、僕の唇の感触と少しの衝撃だけ。その瞬間、茉莉花は意識を手放すんだ……」


 分かった……馨の言う通り、感じるのは冷たい唇と、鋭い歯牙が、ゆっくりと肌に食い込む感触。そして──



 ──ブツッ。


 吸血鬼の牙が、勢いよく穿たれた。それを最後に意識は一瞬にして……暗闇に、呑み込まれた。




 一晩限りの出逢いだけではなく、毎日、朝も昼も夜も、ずっとずっと。

 あなたと一緒にいられる。あなたに逢える。いつでも、どんな時でも。

 次に目を醒ましたならば、それが夢ではなく……確かな現実でありますように。







最終章 終幕

 今宵、あなたに逢いにゆく。



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