8:
僕の身の回りの荷物を持って、ゼフィールが訪れたのは翌日の朝だった。
どうやら僕が寝ている間にでも事情を話しに行ったのだろう。
そして運び入れた後は、こうしてテーブルを挟んで向かい合っている。
サリサは僕の隣に座ってそっと手を握ってくれていた。
「…それで、これからロニアはどうしたいんだい?」
「分からない、ただ少し時間が欲しい」
僕が性別の事で悩んでいると、サリサはただそれだけを伝えたようだった。
最初は何故か怒られるのではとも思ったが、意外とゼフィールは冷静だ。
「どうしたいのかを決めるのはこれからよ、結論を急いでは駄目」
返答に困っていると、サリサが横から助け舟を出してくれた。
「ゼフとエルが思っているよりも、この子はもっと悩んでいるわ」
「ああ、すまない…ただ私もどうしていいものか」
「決めるのはロニア自身よ、それまでには時間と距離が必要だと思うの」
育てていた娘が男勝りでは無く、中身が本当にそのものだったのだ。
ゼフィールは落ち着いているものの、内心穏やかではないだろう。
「まあ、近々こんな日が来るんじゃないかと思っていたさ」
「どうして?」
「お前はその…いつも嫌そうにしていたからな」
今まで三回ほど、月に一度訪れる体調不良の事である。
それに変化が表れたそれを隠すために、さらしを巻いていたのも知っていた。
ゼフィールはそんな僕の様子を見て、少々扱いに困っていたそうだ。
「…ごめんなさい」
「いや、謝る事は無いさ、ロニアが悪いわけじゃない」
小さい頃から男物の服ばかりを着ていて、それがもう十年近くにもなる。
不思議に思わない方がおかしいのだ。
今回の件はただのきっかけで、ゼフィールの言う通りいつかはこんな事になってしまう。
「ちょっと変な事を聞くかもしれないがいいかな?」
そう前置きして、ゼフィールが身を乗り出してくる。
「ロニアには今好きな事かいるかい?」
「いや、今の所は特に」
ゼフィールの言う好きとは、まあ言ってしまえば恋愛感情の事だろう。
レイジは弟だし、恋愛対象としては考えられない。
「じゃあ…もしいると考えて、相手は男の子か女の子か、どっちだと思う?」
「…女の子だと思う」
僕にはそっちの趣味は無い。
まあ中身は正真正銘の男だし、女の子の下着などを見て喜んでいるわけだ。
「なるほど、確かにこれは男の子だね」
「分かったでしょう? エルとは根本的に違うのよ」
「済まないなサリー、確かに君の言う通りこれは私達には手に負えそうもない」
「そういう事よ、エルにもしっかりと伝えておきなさい」
「分かったよ…ああ、随分と肩の荷が下りた気がする」
ゼフィールが深くため息を吐いたが、それは確かに安堵のそれだった。
その証拠にいくらか硬かった表情も和らいだ気がする。
「母さんは何て言ってたの?」
「実はね、ロニアの事は自分のせいだなんて塞ぎこんでいてなあ」
「母さんのせいじゃないよ、多分だけど」
「ああ勿論だよ、それを確かめたくて話をしているんだ」
エルシアはサリサから話を聞いた時、泣き崩れてしまったんだとか。
今まで涙を流す姿を見た事が無いので、聞いただけでも心が痛む。
今朝もあまり元気が無いようで、こうしてゼフィールが一人訪ねてきたわけだ。
「…家には戻り辛いか?」
ゼフィールの問いかけにはすぐに答えが出せない。
もちろん戻りたいのだが、それは以前と全く変わらない生活があってこそだ。
だがそのために家族に迷惑はかけたくない。
それに、レイジにどんな影響を与えてしまうかも分からないのだ。
「今は…まだ、戻りたくないかも」
「そうか、じゃあサリーと一緒に旅をしてくるといい」
「旅を?」
「そうよ、あなた一人じゃ暮らしていけないし、それに自分と向き合ういい機会だわ」
「実はサリーとは話をしてあるんだが、ロニアが大きくなったら旅をさせるつもりだったんだ」
「どうしてそんな…」
「お前には話していないが、実は父さんも母さんも、それにサリーだって冒険者だったんだよ」
冒険者と曖昧な言い方をするが、僕はそれを知っている。
僕もその仲間の一人で、一緒に旅をしていたのだから。
「父さんと母さんの故郷を見てみたくはないかい?」
「少し興味があるかな」
「サリーと一緒に見て回るといい、その間に答えが出るかどうかは分からないけどね」
「ありがとう、父さん」
「礼ならサリーに言ってくれ、父さんには出来る事なんてないさ」
時間と距離を置くためとはいえ、自分の子供を一時的に手放すことになるのだ。
笑ってはいるが、ゼフィールのそれは少し寂しそうに見えた。
「まあ安心しなさいな、年に一度は戻れるはずだし、手紙だってあるじゃない」
「言っておくがサリー、ロニアに手を出したら骨も残さないからな」
「失礼ね、私は同性愛も幼児趣味も無いわよ」
ゼフィールはまだどこかで僕の事を女の子扱いしているようだ。
サリサは…同性愛もそうだが、幼児趣味というのは聞き捨てならないな。
まあ僕自身も自分の現状には混乱しているのだ、人の事は言えない。
旅の道中で、どこかで答えが見つかればいいのだけれど。
「ロニア、ひとつだけ頼みたい事があるんだがいいかな?」
◇◆◇
ゼフィールのお願いを聞いたのはいいが、実行に移してしまうと少々後悔がよぎる。
いよいよ明日は旅立とうかという晩に、僕は久し振りに我が家へと戻っていた。
今はレイジの部屋となっている一室で、サリサに手伝ってもらいながら着替えている。
ゼフィールのお願いとは、エルシアに女の子としての姿を見せてあげる事だった。
今回の件で一番ショックを受けたのは、他の誰でもなくエルシアなのだ。
僕がこうなってしまったのは、自分の血や育て方のせいではと抱え込んでしまっている。
だからせめて、一度だけでもエルシアが望んでいた姿を見せてやって欲しい。
そんなゼフィールの申し出を、どうして断る事が出来るだろうか。
「はい、これで完成ね」
衣服もそうだが、化粧というものは恐ろしいものである。
サリサが肩に手を置いて、姿見に映るそれはまるで別人だった。
「どうかしら?」
「…まあ、悪くないんじゃないかな」
「あらやだ、自分の姿に照れるとか可愛いじゃない」
「煩いよ」
断じて僕はナルシストではないのだが、正直なところかなり可愛い。
出来る事ならこの姿見を永久保存したいと思ったが、それは無理か。
それにこの姿は間違いなく僕であって、僕が否定している姿そのものである。
「ちょっとスースーするなあ」
「慣れよ慣れ、それに今夜だけでしょう?」
褐色の肌と黒髪に合わせてサリサが選んでくれたのは、真っ赤なドレス。
かなり露出も高く大胆なデザインなのだが、サリサときたらこれがいいと言って譲らなかった。
実はこのドレスも、密かにエルシアが用意していたものだ。
謝肉祭など村のお祝いごとに着せる事があればと、丸一年かけて一枚ずつ縫っていたらしい。
因みに今夜は下着も女の子用の物である。
その後の事は恥ずかしさと緊張とであまり覚えていない。
涙をぼろぼろと流しながら喜んでいたエルシア。
目のやり場に困ったのか誤魔化すように、強くも無い酒を飲むゼフィール。
調子に乗って次から次へと僕を着せ替え人形のように扱うサリサ。
レイジはその度に、綺麗だ綺麗だと褒めてくれていた。
その晩は数年ぶりに、いやエルシアと二人きりで眠るのは初めてかもしれない。
実に変な夢だった。
晴れ着姿の家族に囲まれ、そこにはサリサや村人も集まっていた。
気付けば僕も、例の真っ赤なドレス姿である。
レイジが結婚おめでとうなどと、とんでもない事を言っている。
慌てて手を繋いでいた、僕の相手の顔を確かめようとした瞬間に、目は覚めてしまった。
出発の朝、傍らでは目尻に涙の痕が残るエルシアが寝息を立てていた。