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この身体に生まれてきて、いつのまにやら十一年。
色々と割り切ってきたつもりだが、一番悔しい事がある。
それは女性が故の非力さだ。
「っせやあぁぁ!」
訓練用の木刀を地面すれすれに滑らせ、そのまま一気に振り上げる。
足元からの斬撃は、自分より大きな相手にとって有効である。
以前の身体でも大抵の魔物は大きかった。
今の身体だと、こうして剣術の相手をしてくれているサリサも頭二つ近くは差があるのだ。
「はい、駄目ね」
絶妙のタイミングで繰り出した一撃だが、サリサは難なくそれを受け止めて見せる。
片腕にレイジを抱え上げている今こそ勝機だと思ったのだが、そんなに甘くは無かったようだ。
しっかりと踏み込んだのだが、受け止めたサリサの木刀がじりじりと迫ってくる。
遂にはこつんと、僕の額に押し付けられてしまった。
「もうちょっと冷静になりなさいな、振り下ろすほうが有利に決まってるでしょう?」
片腕とはいえ、男性であるサリサの振り下し。
対して僕は両腕だが、子供な上に女の身体ときたものだ。
サリサの言う事はもっともなのだが、このスタイルは旅をしていた頃の名残である。
その時はれっきとした男の身体だったので、サリサとはそこそこいい勝負が出来ていたのだが。
「…ちくしょう」
無意識のうちに悔しがる言葉が出てしまう。
「まあまあ、人には向き不向きがあるのよ、ロニアには魔法があるじゃないの」
「それだって父さんや母さんには敵わないよ」
四大属性を全て扱えるなどと、何とも稀有な存在ではあるが、蓋を開けてみればなんとも可愛らしいものである。
だからこそ創意工夫を重ね、新しい使い方を模索し続けているのだ。
前世のように雷の魔法を扱える事が出来ればと、まあこれも愚痴のようなものか。
魔法の才能は生まれた時から決まっていて、その適性が変わるような事は無い。
そう考えると、弟のレイジは随分と運が悪いとも言える。
レイジには魔法の才能が一切ない。
もしかしたら僕が才能を全て奪ってしまったのではと思うほどにだ。
エルフの血を引いておきながら、何とも気の毒な話である。
魔法が扱えない場合は、残された選択肢はひとつしかない。
己の身体ひとつで戦っていくしかないのだ。
サリサが何かとレイジを気に掛けているのも、同じ境遇だからだろうか。
容赦ない一撃で伸びてしまったレイジに回復魔法を掛けながら、少し休憩を挟む。
相変わらず泣きじゃくりながら訓練に付き合わされているが、不思議と怪我は少ない。
打ち身か、転んだ拍子にどこか擦りむく程度である。
見ている限りでは、サリサは容赦ない対応をしているので、いつ大怪我をするかひやひやする。
「ねえサリサ、ちょっとレイジに厳しすぎない?」
「確かにそうだけど、その子ロニアよりよっぽど才能があるわよ」
意外と言うべきか、驚くような事を言ってきた。
サリサは嘘を吐かない性格で、決してお世辞を言うような人ではない。
僕に対しては躊躇うことなく毒を浴びせかけるので、性格が変わったわけではなさそうだ。
サリサの言葉で、幾人もの武芸者が心を折られたのを、僕は良く知っている。
「この泣き虫が才能ね…」
「結構本気で打ち込んでも、しっかり威力を殺してるのよ」
「子供相手に本気とか、大人げないなあ」
「身に染み付いた本能ってやつかしらね、危ない所がよく分かってるみたいよ」
「じゃあこれは危なくないって事?」
現在治療中のレイジの額には、ぷっくりとたんこぶが出来ている。
「そこが一番頑丈なのよ、それに振り下ろした瞬間踏み込んで来たわよ?」
「…無意識なのかな」
「さあ、どちらにしろ本能も才能のうちよ」
斬撃は振り切った瞬間が一番威力を発揮する。
振りかぶったところへ踏み込んで、その威力を殺すのはかなりの高等技術だ。
数々の戦いを経験した僕だって、未だに躊躇うような行為だ。
訓練は木刀でするからこそ、レイジはそうしたのかもしれないが、大した度胸である。
レイジを寝かせたままに、今度はサリサと二人きりで訓練再開。
レイジが使っていた木刀を拾い上げると、その柄をかなり短めに持つ。
「あら、どこかで見たような構えね」
サリサが多用する二刀流だ。
力で押し負けるようなら、手数を増やすしかない。
右利きなので、左腕の方は思うようには動かせないだろう。
それでも斬撃を逸らしたり、刺突くらいならなんとかなる。
「僕なりに考えてみたんだけど、どうかな?」
純粋に剣術だけなら、生前でもサリサの方が一枚も二枚も上手だ。
コロシアムで数えきれないほどの死線を潜り抜けた経験は嘘を吐かない。
「ふふ…正解よ」
相変わらず一方的な状況だが、先程に比べて明らかに状況が違う。
サリサは未だに木刀を一本しか使っていないが、その代わりに足を使い始めている。
一歩でもサリサを動かす事が出来たのは、大きな進歩だ。
僕がこうして剣術や魔法の訓練を続けているのには理由がある。
女の子に生まれたならば、誰もが口を揃えてお嫁さんになりたいなどと言うだろう。
実際に同年代の女の子は、大抵が話す話題は色恋ものばかりだ。
だが僕としては、それはあまりにも現実味のない話だ。
それに付け加えて、僕はもっとこの世界の事を知りたいと思っている。
僕の中では、もう二度と元の世界に戻れないと、そう考えている。
元の肉体を失い、生まれ変わったこの身体はこちらの世界の物だ。
黒髪はいいとして、金色の瞳に褐色の肌。
そして父親のゼフィールほどではないが、耳もいくらか尖っている。
生まれ変わる事が出来ればとも考えたが、既にそれは失敗しているのだ。
「今日は少し動きにキレが無いわねえ」
流石にサリサはお見通しのようである。
実は少しだけ…いや、かなり体調が悪かったりするのだ。
頭痛に腹痛、それと全身を襲う倦怠感。
夏風邪だとは思うが、魔法では病気は治せない。
痛みをいくらか和らげることは出来るのだが、根本的な解決にはならないのだ。
元の世界で風邪薬が治療薬ではないのと同じである。
まあ、こちらの世界には風邪薬なんてものがあるかすら怪しいのだが。
こういった時はとにかく汗を流すに限る。
そう思って自らに魔法を掛けながら訓練をしているのだが、どうにもおかしい。
サリサに刺突を払われたところでバランスを崩し、膝をついてしまった。
同時に腹の底から込み上げる異物感が、口から漏れ出した。
「…っ!? ちょっと、大丈夫!?」
慌ててサリサが駆け寄り、肩を支えてくれるが言葉すら出ない。
俯いた先にはぼやけた地面と、僕の吐いた昼食の残骸が見える。
その視界の隅で、ぽつぽつと赤い斑点のようなものが見えた。
気が付いた時には僕はベッドの上で、部屋の中にはエルシアとサリサがいた。
無理をした事で怒られるのかと思ったが、何故か二人とも表情が穏やかだ。
「この調子だと、当分は訓練は中止ねぇ」
壁にもたれ掛るサリサが、やれやれと言った様子でこちらを見ていた。
相変わらず腹痛や頭痛はあるが、そんなにも僕は重症なのだろうか。
「当たり前じゃないの、サリサにはこの苦しみが分からないでしょ!?」
「はいはい、私はオカマでよかったわぁ」
僕とエルシアにあって、サリサには無いもの。
そこでようやく僕は、自分の身体に何が起きているのかを理解した。
いつかは来るだろうとは思っていたが、こんなにも辛いものだとは思わなかった。
これがこれから月に一度訪れるのかと思うと、気が滅入る。
その日の夕食は、いつもより少しだけ豪勢だった。
ほんの少しだけ余所余所しい態度のゼフィールと、無邪気に喜んでいるレイジが対照的だ。
僕は相変わらず食欲が無いので、ご馳走の殆どはレイジの胃袋に収まってしまった。
「お姉ちゃん、これ美味しいよ!」
「ああうん、僕のもレイジが食べちゃっていいよ」
「…お姉ちゃん病気なの?」
心配そうに見つめてくるレイジだが、一体どう説明したものやら。
「レイジ、ロニアお姉ちゃんは今日から大人になったのよ」
エルシアがうまく誤魔化してくれたようだが、大人になるのがこんなにも辛いとは。
出来る事なら、ずっと大人になんてなりたくないものである。