2:
名も無い小さな村だが、春の季節は活気が溢れる。
黒麦の収穫に、カブの種蒔き。
あとは森に入って山菜を摂ったりするのだが、こちらは大抵男の仕事だ。
この季節は冬眠明けの動物が多く、非常に気が荒い。
今日もまた、ゼフィールを筆頭に男たちは山へ芝刈り…もとい山菜取りに出かけて行った。
出来る事なら大物を捕えて、久々に干していない肉を食べたいものである。
さて、女子供の仕事と言えば残された畑仕事だ。
黒麦の収穫は結構な重労働なのだが、近所で寄り合ってお互いに協力し合っている。
子供たちも強制参加だけれど誰一人文句は言わない。
この黒麦の収穫が終われば、柔らかい黒パンが口に出来るからだ。
この黒麦は、多分ライ麦に似たようなものだと思う。
白いパンと違って保存が利くので、非常に重宝されるのだが、問題がひとつ。
この黒パン、保存をしているとどんどん硬くなってしまうのだ。
冬の終わり頃になると、その硬さはもはや鈍器である。
のこぎりのような専用の刃物で切らないといけないと言えば想像できるだろうか。
今まで何度となく、宙を舞う黒パンがゼフィールを襲った。
僕ら子供にとってもその硬さは恐怖の対象であり、うっかり気を抜くと前歯を持っていかれる。
まあ乳歯から生え変わるので、歯抜けの子供がこの時期多いのは風物詩のようなものだ。
ちなみに先日レイジも二本ほど持っていかれた。
お腹が空いたからとこっそり齧った天罰である。
僕はまだ上の犬歯が両方残っているのが、そのうちやられるんだろうなあ。
さて、この麦を刈る作業は純粋な肉体労働である。
風の魔法で刈り取ってしまえばだなんて思うかもしれないが、世の中そう甘くは無い。
魔法の扱いに長ける種族は限られているし、扱えたところで加減が難しいのだ。
よく真空の刃がなどとゲームでは見るのだが、これはかなりの高位魔法だ。
ゼフィールが試しに試みたそうだが、結果は散々だった模様。
広範囲に散乱した黒麦の残骸に、溜息を吐くしかなかったそうだ。
そんなわけで、片手に小振りの鉈のような物を手にせっせと肉体労働。
今年からは僕も刈り取り作業に参加なのだが、楽しいのは最初の一時間くらいだ。
まあぶっ通しで作業をするわけではなく、交代で休憩を挟むようにはしてある。
三つの班に分かれて、一時間ごとに三十分ずつ休憩。
最初は休憩が長いと思ったが、一時間ほど黒麦と格闘すると正解だったと思う。
ゆっくりと丸一日かけて、三つの家庭の畑で黒麦の収穫は終わるのだ。
「母さん、手伝おうか?」
「そうね、そうしてくれると助かるわ」
休憩時間中は、エルシアは他の人たちに回復魔法をかけている。
水の魔法の最も初歩的なもので、疲れや痛みを消し去る効果があるのだ。
人の体内において水分は全体の七割を占めると聞いた事がある。
なるほど、それならば水の魔法が回復に特化したのも頷ける気がするものだ。
上位の魔法だと解毒の効果もあり、さらに上位だと傷の治癒も可能になる。
残念ながら僕が扱えるのは、疲労回復程度だ。
多分これは生まれながらの才能と言うやつなんだろうか。
ゼフィールとエルシアの血を継いでいるので、四大属性の魔法は全て扱える。
ただその上限は全て両親と比べて劣り、唯一肩を並べているのはエルシア譲りの土属性だ。
その次にゼフィールの風属性で、火と水の属性は正直なところ得意ではない。
まあそれでも四大属性全て扱えるのは珍しいらしく、ゼフィールが親馬鹿になった原因の一つだ。
さて、エルシアと二人で手分けして魔法をかけているのだが、なかなか面白い光景だ。
エルシアのほうには母親世代が集まり、それと年頃の男の子が集まっている。
男の子の場合はまあ年頃だし、エルシアも普通にしていれば美人なのでまあそうなるか。
僕はと言えば、目の前に並んでいるのは女の子が殆どである。
普段から中身相応に男として振舞っていた結果がこれだ。
僕としても悪い気はしないので、念入りに回復魔法をかけておく。
一人だけ物好きな男の子が混ざっているが、こちらは適当に済ませておいた。
残念だったな坊や、気持ちは嬉しいけど中身は三十路のおっさんなんだぜ。
全員に回復魔法をかけ終わったところで、ようやく一休み。
僕が飲んでいるのは、タンポポの根を乾燥させたものを煎じたものだ。
生まれ変わる前に飲んだことがあるが、コーヒーによく似ていて気に入っている。
元々は食欲不振の時に飲む薬湯だったそうで、これを飲んでいると不思議に思われたものだ。
今も相変わらずで、周囲の子供たちはどうしてそんな苦いものを飲むのか理解不能といった様子である。
大人になればわかるさ、いつかきっとね。
ふと気づくと、休憩時間だと言うのにレイジの姿が見当たらない。
どこに行ったのかと辺りを見渡すと、少し離れた場所で脱穀作業に戻っていた。
働き者と言うよりも、多分作業が楽しくてたまらないのだろう。
あれは巨大な櫛の形をした道具で、千歯扱きそのものだ。
黒麦の穂を櫛の隙間に通して、それを引っ張る事で脱穀をする。
どうやら男の子同士で、一気にどれだけの黒麦を脱穀できるか争っているようだ。
なんとも微笑ましい光景である。
レイジは同年代に比べて背丈こそあるが、力はあまり無い。
これは父親のゼフィールによく似ているのだが、本人としてはそれが不服なようである。
煽られたのかは分からないが、一目でそれは無理だろうと分かるほどの量に挑戦中だ。
結果は見事に惨敗で、手元を滑らせ、勢い余って派手にしりもちをついてしまった。
あーあー、泣いちゃってまあ情けない。
しょっちゅう泣いているレイジは、普段から周りの子供たちに泣き虫だとからかわれている。
姉としては弟の勇敢な挑戦を評価してやりたいところであり、笑うなどもってのほかだ。
「お前らぁ! 今レイジを笑った奴は全員ぶん殴ってやるからな!」
泣きながらやってきたレイジの頭を撫でながら、回復魔法をかけてやった。
その様子を見ていた奥様方からは微笑ましい目で見られ、女の子達からは熱い視線を感じる。
これもいつもの事で、僕も今ではすっかり村のガキ大将になってしまった。
「あのなあレイジ、男の子はもうちょっとこう、強くならなきゃ駄目だよ」
「うん、分かった!」
にぱぁ、と効果音の文字が浮かび上がりそうな程の笑顔である。
可愛いのだが、本当に理解しているのだろうが少し不安だ。
休憩が終わると、作業再開。
エルシアが気を遣ったのか、二巡目からは落穂拾いに回された。
これは主に女の子が担当する仕事で、実はこの作業も競争が存在していたりする。
誰がどれだけ落穂を拾えるかだなんて、まあ言ってしまえばそれだけの事だ。
ただ優勝者にはご褒美として、甘いお菓子が多めにプレゼントされるので、僕も全力で参加する。
普段の生活では、甘味の類はあまりお目に掛かれない。
あるとすれば、黒パンに塗るジャムくらいのものだ。
落穂を拾う地味な作業をこなしていると、ふと名案が浮かんだ。
適当な木の枝を拾ってくると、畑の土の上にあるものを描いていく。
別にサボって落書きをしているわけじゃない、魔法陣というやつだ。
ゼフィールの部屋から時々本を拝借しては、独学で勉強していたのである。
魔法を精密に制御するには、魔法陣は欠かせない。
手間こそかかるが、その効果は前世でのゼフィールの活躍でよく知っている。
影響を及ぼす範囲とその形…そして発現する魔法の威力の調整。
それらを踏まえた魔法陣が完成すると、中心に立って魔力を込める。
黒麦を刈るのは失敗したようだが、今回は刈るのではなく集めればいい。
風を起こすだけなら、真空を作り出す必要もないし制御も楽だ。
魔力を流し込むと、土に描いた魔法陣が淡い光を放った。
同時に少々強めの風が足元を流れ始め、畑の一角に大きな渦を作り出す。
中央の魔法陣に集まるその風に流されるようにして、落穂も順調に集まり出した。
よし、どうやら成功である。
そう確信した次の瞬間、周囲から悲鳴が聞こえた。
ああ、これは済まない事をした。
足元だけを風が吹き抜ければ、まあそういう事になってしまうか。
生憎僕は中心にいるし、ズボン派なので被害は無い。
(白、白、ピンク、白…やっぱり白が多いなあ…って、黒!?)
実験は成功したが、不正行為と見なされ、甘いお菓子は僕以外の女の子に配られた。
それだけならまだしも、久々にエルシアに鉄拳制裁を食らってしまった。
なんでもスカート捲りの被害の申告が相次いだのだとか。
僕は一応女の子のはずなのに、世の中は理不尽な事がいっぱいだ。