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 王太子がアウローラの元を訪れないと宣言して、四ヶ月余り。アウローラへの渡りは本当になくなっていた。

もちろん王太子の渡りがなくなっても、王太子妃の公務があることは変わらないので、アウローラは日々平和に公務をこなし続けていた。訪れる夜を恐れなくていいのは、彼女にとって嬉しいことだった。


 王太子妃の公務でよくあるのは王立の孤児院への慰問だ。ここで分かったのは、アウローラは子供を嫌いではない、ということだった。今まで接する機会がなくて分からなかったのだが、アウローラは子供特有の遠慮のなさや柔らかさ、匂いなどを嫌いにはならなかった。嫌いにならないどころか癒されもしていた。

このときばかりは、自分が十七歳の少女であることを許されている気がして、アウローラは子供たちと真剣に遊んだ。幼いころにできなかったことをやり直せている気がして、アウローラは嬉しかった。頭の片隅で、少しだけ、自分も子供を生みたいと思った。ほんの僅かに、だったが。


 公務という程ではないが、アウローラがしなくてはならないことの一つにお茶会というものがあった。これは王太子妃である自分が開いたり、招待されたら出席しなければいけないものだ。ただ貴族の既婚女性を招くだけならまだいい。大抵が穏やかなものだからだ。アウローラが苦手なのは、後宮にいる五人の側妃を招いて開くお茶会だった。

これは、王太子を支えるために王太子と近しい女性は団結しよう、という目的の元に、王太子妃が主催することを義務付けられているものだ。一体誰が考え付いたのか分からないが、全く無意味なものだとアウローラは思っている。どこの世界に仲良く夫を支える正妻と愛人がいるのだ。

五人の側妃から一斉に敵意をぶつけられるのは気分の良いものではない。サラから聞いた話では、アウローラが王太子妃として嫁いでくる前はお互いに牽制しあい競っていた側妃たちは、アウローラが社交界にデビューして直ぐにすんなりと王太子妃の座におさまったことに反感を覚え、結束が強まっているらしい。


 しかしここ最近、アウローラの元に王太子は訪れていない。代わって寵愛されているのは、後宮の末席にいる男爵令嬢のエレーナ・ハーフィモニー嬢だ。

父親のハーフィモニー男爵は領地での農法改革に成功し、最近力をつけてきた貴族で、半ば強引に娘を後宮に入れたのだという噂はアウローラも聞いたことがあった。けれど今は、そのエレーナ嬢は控えめで可愛らしい令嬢で、王太子妃の傲慢な態度にうんざりした王太子が、疲れた心をエレーナ嬢で癒しているのだーーと、もっぱらの噂らしい。



「……下らないわね」



 サラから初めてその噂を聞いたアウローラは溜め息をつきながらそうこぼした。



「下らないなんてそんな! アウローラ様がないがしろにされているなんて私は許せません! アウローラ様が傲慢だったことなんて、一度もないじゃないですか」



 サラはそれに元気よく反論する。来客や公務のない時間は、自室で二人でお茶を飲むのが最近の日課になっていた。最初はアウローラと同じテーブルでお茶を飲むことに抵抗を示していたサラも、今では自分の好きなお茶菓子を率先して食べるようになっていた。



「でも私、アウローラ様にお仕えできて本当に嬉しいんです。最初はあの・・オラグルド伯爵令嬢にお仕えするなんて生きた心地がしなかったんですけど、アウローラ様はすごく優しくて良いお方でしたし、何よりとってもお美しいんですもの!」

「そう? ありがとう」



 アウローラはにっこり笑ってそう返す。本当はサラのあるじに向かって『生きた心地がしなかった』とか言ってしまう、素直な馴れ馴れしさが嫌いだったが、一人しかいない侍女に敢えてつっかかって気まずくなるのは面倒だった。素直さはサラの美点でもあると、アウローラは考えていた。




 そして、アウローラが王太子の訪れのない、穏やかな日々を送っていたある日のことだった。



「アウローラ様!」



 騒々しい音を立てて、使いに出ていたサラが部屋に入ってきたのを見て、アウローラは少し眉間に皺を寄せた。



「なあにサラ。部屋にはもう少し静かに入ってきなさいな」

「あっ、申し訳ございません! ああ、アウローラ様、それどころじゃないんですよ! エレーナ様が、エレーナ様がご懐妊したそうなんです!」



 アウローラはその言葉に目を見開く。純粋な驚きによって、だが。



「……まあ、そうなの。おめでたいことね」

「めでたくなんかありませんよお! だって、あ、アウローラ様、先を越されたんですよ!」

「先を越されたって。そんな下品な言い方をするものじゃないわ。お祝いの品を用意しないといけないわね」

「ええ……はぁい……」



 いかにも嫌そうに頷いたサラを見ながら、アウローラは考えを巡らせた。

エレーナ嬢は確かに、父親の驕った態度よりは控えめな令嬢だ。実家の事業が成功するつい最近までは最下位の貴族として、慎ましい暮らしをしていたのが影響しているのだろう。お茶会で会った限りでは、他の令嬢たちほどアウローラに嫌味を言ってきたこともなければ、虫だらけの花束を送り付けてきたこともない。



「エレーナ嬢はお茶会のドレスを見る限り、ピンクがお好きなようだから、あまり香りの強くないピンクの花を用意して。後は……そうね、身体を冷やさないように、膝掛けか肩掛けを贈りましょう。色は落ち着いたピンクか、赤でいいと思うわ。とりあえずはその二つでいいわ」

「……分かりました。花束はすぐ用意できると思いますけど、膝掛けと一緒に贈りますか?」

「そうね、花束はすぐ用意して先に持っていきましょう。わたくしも直接会ってお見舞いしたいわ」

「……そんなに気を使わなくても良いと思うんですけど~」

「サラ!」



 アウローラは少し苛ついた声を出した。



「そのような失礼な態度、この部屋から出たら一瞬でも出してはだめよ。わたくしが嫌味を言われるだけで済むならいいけれど、あなたが仕事を失うはめになるかもしれないのだから」

「……はい、ごめんなさい」

「その謝り方も。わたくしにはそれでいいけれど、他の方々には『申し訳ございません』と言わなくては」

「はい、分かりました……」

「では花を用意しに行って。後宮の庭師に切ってもらったら、一度確認したいからこの部屋まで持ってきてね」

「はい、行ってきます」



 少し落ち込んで、肩を落として部屋を辞したサラを見送ってから、アウローラは溜め息をついた。サラがアウローラの侍女になったことは、サラにとっては良くないことだったかもしれない。あれでは彼女は一流の侍女にはなれないだろう。アウローラが中途半端に馴れ合ってしまったから。

けれど誰とも馴れ合わずに生きていくには、後宮は冷たすぎる場所だった。ここは辺境伯領の屋敷とは違って、誰もがアウローラの一挙一動に注目している。しくじっても助けてもらえないことはもちろん、いつまでもそれを笑うような人間ばかりなのだ。

(でも、それよりも……)

アウローラは側室の妊娠による、自分の今後の可能性を考えていた。もしかしたらーーこのままアウローラが、何年も妊娠しなかったら、王太子妃ーーひいては王妃の座を、退くことができるのではないか。むしろハーフィモニー男爵などは、娘の妊娠に勢いづいてすぐに王太子妃の座を譲れとでも言ってきそうなものだ。

 それはアウローラにとってはこの上もなく好都合だ。きっとそうなったらオラグルド伯からも縁を切られるだろうから、実家には戻らず修道院にでも入れられるだろう。そうなったらこっちのもの。ほとぼりが冷めたら抜け出して、晴れて自由の身になってやろう。

 アウローラはそこまで考えて微笑んだ。これまでに無いほど幸せな気持ちだった。


 だけど。その日の夜のことだった。全く音沙汰の無かった王太子からのお渡りがあったのは。

アウローラは少し嫌な予感を覚えながら、堅い態度で王太子を出迎えた。



「本日もお勤めご苦労様です。そして、エレーナ様のご懐妊おめでとうございます。心よりお祝い申し上げます」



 早々にそんな言葉を発したアウローラは見て、王太子は少し眉をしかめる。



「……ああ。ところでお前、エレーナの所へ見舞いに行ったそうだな」

「はい。ご懐妊のお知らせを聞いて、すぐにお見舞いに伺いました。エレーナ様もお元気なようで、安心いたしましたわ」

「……なぜだ」

「はい?」



 アウローラは王太子の言葉の意味が分からず、首を傾げた。



「なぜ、お前がエレーナの懐妊を喜ぶのだ」

「なぜって……王太子様にお世継ぎがお生まれになることは、喜ばしいことではないですか。国民も祝うような一大事でしょう?」



 なにを馬鹿なことを言っているんだ、と言いたいのを抑えてアウローラは答える。この王太子はまさか、自分がエレーナ嬢に嫉妬したり、『わたくしにも御子を授けてくださいませ』とか迫ったりするのを期待したのだろうか。



「下らないことを……仰らないでくださいませ」

「なんだと?」



 王太子の潜められた眉間を見て、アウローラは失礼な発言をしてしまったことに気がついた。けれど苛立ちも相まって、止めることができなかった。



「王太子様、エレーナ様のご懐妊が発覚した以上は色々と準備することがおありなのではないのですか。それでなくとも、妊娠中は何かと不安になることも多いでしょう。わたくしとこうして無為に時間を過ごさずに、エレーナ様の所へ行って励ましたり慰めたり、できることがあるのではないのですか」



 王太子の背後に控えている近衛兵とサラが驚いた顔をしている。少しはっきりと言い過ぎたかな、とアウローラは後悔し始めつつあったが、王太子の考えなしな行動が腹立たしくて堪らなかった。

 王太子の寵姫と言えど、エレーナ嬢は後宮の中で一番位の低い男爵令嬢なのだ。せっかくの妊娠が発覚した日の夜に、王太子が自分のもとを訪れず、数ヵ月前までは閨を共にしていた王太子妃のもとを訪れたと知ったら、ショックを受けることは間違いないだろう。



「とにかく、今夜はエレーナ様のところへ渡ってくださいませ。王太子様から励ましの言葉を賜れば、エレーナ様も勇気づけられると思いますわ。それと、何か小さな贈り物をして差し上げるとよろしいかもしれません。お花などはーー」



 アウローラは最後まで言い切ることができなかった。王太子がアウローラの腕を引っ張り、二人の共用の寝室へと足を向けたからだ。

驚いて後を追おうとする近衛兵に、王太子は叫んだ。



「ついてくるな! 明日の朝までは、寝室に誰も近づけるな、いいな!」

「アウローラさま!」

「王太子様、何をなさるんですか!?」



 サラが悲鳴をあげた。アウローラも焦った。何が引き金になったのかは分からないが、王太子はかなり怒っているようだった。上から目線で指示したのがいけなかったのだろうか? いやでも、間違ったことは言ってないはずだ。それとももうエレーナ嬢のところを訪れていたとか? でも時間的にそれは無理だろう……。


 アウローラが色々と考えている間に、王太子は寝室についていた。ほっそりとしたアウローラの身体を寝台の上に放り投げ、上から覆い被さる。既に諦めたような顔をしつつも、僅かに抵抗するアウローラの四肢を押さえつける。異様に気分が高ぶっていた。こんなに苛々しているのは、先程のアウローラの、エレーナ嬢を気遣うように自分を諭した言葉のせいだと分かっている。けれど、なぜそれに苛々してしまうのか、彼女の前にいると冷静になれないのはなぜなのかーー王太子はその理由に気がつきたくなかった。




 夜が明けた。アウローラは久しぶりに共用の寝室のベッドの上で目を覚まし、一瞬、自分がどこにいるのか分からなくなる。ふと、自分の隣に慣れない気配を感じて横を見たアウローラは、朝に似つかわしくない悲鳴を上げそうになった。

(どうして、ここにいるのーー!)

 一瞬にして昨夜の記憶が蘇った。アウローラが気絶するまで行われた行為の記憶に、彼女は堪えられなくなって瞼をきつく閉じた。

 アウローラの隣には、うつぶせに横たわる王太子がいた。昨晩アウローラに働いた無体など無かったかのように、安らかな表情で眠っている。一気に鳥肌が立った身体を抱きしめるように腕を巻きつけながら、アウローラは王太子を起こさないようにそっとベッドから降りた。

 静かに自室に続く扉を開けて、中に滑り込むと、サラがソファの上に座っているのが見えた。一晩中起きていたのか、目の周りが真っ赤で隈もできている。アウローラが扉を閉めると、その微かな音で気づいたのかサラが弾かれたように扉の方を見た。



「あ、あああ、アウローラさまぁ!」

「……サラ」

「酷すぎます、酷すぎます、どうしてアウローラ様がこんな目に合うんですか! どうして……!」



 サラはアウローラの足元に膝をついて、涙をこぼしながら言った。昨夜、入浴は終えていたけれど寝間着ではなく簡素なドレスのままで王太子に連れていかれたアウローラは、身に纏うものが無く、裸のままで部屋に戻ってきていた。

 アウローラの長く波打つ髪の毛は、寝癖などではなく、散々引っ張られたせいでぐしゃぐしゃになっており、太股には少量だが血がついていた。細い腰には手加減無しに強く掴まれた手の痕が残り、強く吸われて赤を通り越し紫色になった鬱血痕が身体中に散らばっている。

 アウローラは泣きじゃくるサラの頭に手を置き、おざなりに慰撫しながら決意した。


 王太子に、自分をこの場所へ追いやった父親にーー華々しい復讐を。最高の復讐を。





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