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 迎えた婚礼の儀式当日。アウローラはこの日のために仕立てられた豪奢な純白のドレスを着ていた。

この儀式のために、父であるオラグルド辺境伯と、儀式の準備をするためのメイド数人が、王宮に訪れていた。オラグルド辺境伯は他の大抵の貴族のように王都に屋敷を持っていないが、その代わりに王宮に大きめの部屋を割り当てられている。(その辺りも、王都に辺境伯を嫌う貴族が多い理由のようだ)


 いつもの倍以上の力で(いつもーーといっても王都に来てからの四日間だけだーーはサラが遠慮がちに付けてくれる)コルセットを締め上げられ、アウローラはずっと息苦しさを感じていた。辺境伯領の屋敷にいたときは、コルセットはおろかまともなドレスも着ていなかったので、未だにドレスには慣れることができない。顔には出さないけれど。


 もうすぐ始まる儀式のために、聖堂の中の花嫁用に用意された部屋の中で、アウローラは最後の行程確認をしていた。部屋の中に侍女やお付きの人はいないが、外に出れば護衛がうんといる。

 完璧にやり遂げないと、という決意は、自分が王都の東の宮に住み始めた途端、それまで余り近づいていなかったという後宮に毎晩通い始めた王太子に対する、意地のようなものだ。わざわざアウローラと顔を合わせないようにして、しかもそれを周囲に見せ付けている。

 王太子としてそれなりの教育を受けてきただろうに、どうして敢えて不仲の噂を広めるような行動を取るのか、アウローラにはさっぱり理解できなかった。それともーー王太子はたくさんの女性に手を出すことが良いことだとでも思っているのだろうか。自分は王太子であって、より多くの子どもが必要であり、複数の妻を持つことが許されているのだから構わないとでも? だとしたらやはり特権階級の男は嫌いだと、アウローラは苦々しい気持ちになった。式の前からこんなに憂鬱になってはいけないと思うけれど、どうしても王太子の勝手な部分ばかりが頭に浮かんできて、アウローラはかぶりを振った。

 あの舞踏会の夜に会ったときの印象しかないから分からないけれど……王太子は少し思い込みが過ぎるんじゃないか、ともアウローラは思った。王都にいる貴族の誰よりもオラグルド辺境伯が『貴族の皮を被った反逆者』だという噂を信じていそうだし、庭園に出ていたアウローラが、男と逢い引きしようとしているのだと信じて疑わなかった。

 お互いを男女として愛するのは絶対に無理だとしても、友好的な関係は築いていきたい、とアウローラは思っている。幸か不幸か、普通の貴族とは違って王太子は後宮を持っているのだから、子供はそこで作ればいい。アウローラは王太子妃の公務をきちんとこなして、公の場では仲睦まじいふりを。

 ノックも無しに部屋の扉が開いて、いよいよ出番なのかとアウローラが顔を上げたとき、視線の先に居たのは王太子だった。これから結婚する者とは思えない程険しい顔をしている。

慌てて立ち上がったアウローラが礼をして、口を開くより先に、王太子が険しい顔のまま言った。



「余計な媚は売らなくていい。今日は不本意ながら、お前と婚礼の儀式などを上げることになったが、勘違いするなよ。この国をお前らオラグルド家に好き勝手させるつもりなどさらさら無いし、お前と愛を育むつもりも無い。余計なことはしないで大人しくしていろ」



 一息に言い切り、そのまま部屋を出ていく王太子を茫然と見送りながら、アウローラの頭に浮かんだのは、やっぱり王太子は思い込みが激しいんだな……という思いだった。




 その後の婚礼の儀式は、茶番としか言い様の無いものだった。王太子が不機嫌なのは顔を見れば一目瞭然だし、国王や王妃に申し訳ないとアウローラは思ったが、二人の誓いの言葉は余りにも棒読みだった。誓いの口づけの場面では、王太子が投げ出したらとうしようとアウローラは不安に思っていたのだが、限りなく嫌そうな顔が近づいてきて、口の端……というかほぼ頬に、ちゃんと口づけをされたので一安心だった。参列者にはきちんと口づけしているように見えただろう。

 参列していた貴族の中でこの結婚を祝おうとしている者は一人も居なかったに違いない。オラグルド辺境伯でさえ、何を考えているか分からないような無表情のままだった。


 そして迎えた初夜。本当ならこの夜は必ず寝所を共にしなければいけないのだが、結婚の前にあれだけ失礼なことを言われたのだから、王太子は来ないだろうとアウローラは楽観視していた。体裁を保つために来たとしても、自分に手を出すことは無いだろうと。


 それは間違いだった。アウローラは甘かった。


 湯あみを終えて、やたらと薄い生地の扇情的な寝間着に着替え、共用の寝室のベッドで今にも眠りにつきそうだったアウローラを無理矢理起こし、王太子はそのまま乱暴に性交に及んだのだった。

 それは暴行と言っていいものだった。無理矢理身体を押さえ付けられ、自分でも触ったことの無いような敏感な部分を強引にこじ開けられ。

 アウローラは辺境伯の屋敷にいた頃、折檻を受けたことはたくさんあった。武術の訓練で怪我をしたこともあった。けれど、性的なことにはちっとも慣れていなかったのだ。アウローラは意地でも痛がる素振りは見せなかった。破瓜の瞬間も、血が滲むほど唇を噛み締めはしたが、声は漏らさなかった。

 アウローラは不必要に自分を乱暴に扱った王太子が許せなかった。何よりも許せなかったのは、一通りことが終わった後、アウローラの身体を見た王太子の言葉だ。



「……処女だったのか」



 どうして処女ではないと思っていたのか、そんなことはどうでもよかった。身体を蹂躙されて少し呆けていたアウローラは、その言葉で怒りを燃え上がらせた。そしてただただ激しい怒りをこらえ、頭の中で王太子の殺害方法を五十通りほど想像をしながら、どうにか言葉を紡ぎだした。



「湯あみをして参ります」

「おい待て、」



 背後で王太子が何か言ったようだったが、気にせずに放り出されていたしわくちゃの寝間着をはおり、王太子妃の部屋の方へ戻った。サラが控えているはずだ。



「アウローラ様? アウローラ様、どうしたんですかっ! 酷いご様子ですよ!」



 やけに重く感じる扉を開けながら部屋に入った途端、サラが駆け寄ってきた。アウローラの姿を見るなりサラの顔が歪む。何か嫌なことがあったのだろうか。下半身が重い。

どろり、と身体の中から何かが出てくる感触に、アウローラは吐き気を覚えた。

ーーはやく、はやくきれいにしないと。



「湯あみをしたいの。身体を洗いたい。きれいにしないと、だめなの。準備して」



 それだけ言って、アウローラは意識を失った。




 アウローラが目を覚ましたのは翌日の午後だった。目が覚めて、彼女にまず見えたのはここ何日かで少し慣れた王太子妃の部屋のベッドの天蓋。

共同の寝室ではなかったことにアウローラは少し安心した。もうあのベッドでは寝たくない。すぐに頭に浮かんだのは夜に受けた仕打ちだった。もし今あの部屋のベッドにいたら、泣き出していたかもしれない。

 そろり、とアウローラが身体を起こすと、ちょうどその時にお茶が乗ったお盆を手にサラが寝室に入ってきた。



「アウローラ様! 目が覚めたんですね、良かった……!」



 サラがお茶のお盆を乱暴にベッド脇にあるテーブルに置き、駆け寄ってくる。大きな声が寝起きの頭に響いて、アウローラは少し苛々した。



「おはようサラ、お茶を貰えるかしら」

「は、はいっ、ただいま!」

「ありがとう。ところで聞きたいのだけれど、昨日の夜、私の身体は誰が洗ったのかしら?」



 アウローラはそれが気になっていた。確か、昨日の夜は王太子妃の部屋に戻ってきてすぐに意識を失ったのだ。もし意識を保てていても、あの状態では一人で湯浴みなどできなかっただろう。



「あ、はい、それはあた……私一人じゃできなかったので、外に控えてた侍女の人達に手伝ってもらいました。最後に寝間着を着せたのは私です」

「そう」



 つまり、自分が蹂躙された後の身体は複数の人間に見られたのだ。

屈辱だった。アウローラはその日、お茶を飲み終わってすぐに再び眠りについた。眠る前に届けられた王太子からの見舞いの品(王太子本人が思い付いた物はないことは容易く想像できた)はすぐに応接間の飾り棚の一番目につかないところに押し込んだ。そしてその翌日からは、きちんと公務をこなしていった。




 アウローラが王太子と結婚して一ヶ月が経った。

もう来ないだろうというアウローラの予想を裏切って、王太子はほぼ毎晩アウローラの元を訪れている。

おかげで王太子とアウローラの不仲説は消えたが、アウローラにとって夜はこの上なく不快な時間となった。不快だったけれど、アウローラは慣れてしまった。武術の訓練を受けていたときのように。


 あの初夜以来、王太子の態度は軟化していた。婚礼の儀式の直前に失礼なことを言いまくった王太子はいなかったかのように、顔を見れば嫌味を言うことはなくなり、初夜はありえないほど乱暴だった性行為も格段に優しくなった。アウローラの身体は快感を感じとれるようにもなった。心は依然として冷えたままだったが。

 女の身体は乱暴されるときだって、自分を守るために濡れるものなのだ。優しく身体を扱われて、自分の意思とは関係なく反応してしまうのは仕様のないことなのだと、アウローラは理解していた。

それでも、身体が快感を拾っていても、王太子に身体中をまさぐられるのも、口づけられるのも、身体の中に王太子のものを挿入されるのも、気色が悪くて堪らなかった。不愉快そうな顔をしないようにすることで精一杯だった。


 そんなある夜のことだった。

いつものように共用の寝室を訪れた王太子は、ベッドに腰かけていたアウローラの下ろした髪の毛を優しく撫で、横たわらせた。

アウローラは身じろぎもせず、王太子の促すままになる。王太子がアウローラの顔に唇を寄せてきて、そのまま口づけられても、瞼を下ろすだけで吐息ひとつもらさない。完全に目を閉じてしまうと、与えられる口づけの感触に意識が集中してしまう。それも嫌でたまらないが、王太子の顔をずっと見つめることもまた、アウローラにとっては苦痛だった。



「おい」



熱心に口付けていたアウローラの唇から顔を離し、王太子が呼び掛けた。アウローラは伏せていた瞼を上げ、息を整えてから応える。



「なんでしょう」

「俺の名を呼べ」

「……は?」

「知っているだろう。俺の名を呼んでみろ」



相変わらず尊大な話し方だな、と思いながらアウローラは応える。



「もちろん、存じ上げております。けれど今のわたくしなどが簡単にお呼びしていいお名前ではございません。ご容赦くださいませ」

「……いいから呼んでみろ」

王太子が少し苛立った声を出して、アウローラの肩を強く寝台に押し付けた。

「……あっ、おそれ多くも王太子さまの、お名前をお呼びすることは、わたくしにはできません。お許しくださいませ」



 アウローラがそう言うと、王太子はもう食い下がってはこなかった。ただ、無言でアウローラの寝間着を脱がしはじめた。

 そうして始まった営みが、いつものように言葉少なに終わった頃。王太子に背を向けて身体を起こし、先程までの情事などなかったかのように脱がされた寝間着を身につけるアウローラを見つめながら、唸るような低い声で王太子が呟いた。



「……俺の願いはきけないのか」

「え……?」

振り返ったアウローラは戸惑いがちに聞き返す。

「俺の名は呼べないのかと言っているんだ。護衛の衛兵ごときの名は呼んでいるのに! この淫売がッ!」



 王太子がいきなり支離滅裂なことを叫んだので、アウローラは一瞬ぽかんとしてしまった。なぜ王太子がそんなに怒っているのか、なぜ自分のことを『淫売』などと言うのか、理解できなかったからだ。



「なんとか言ったらどうだッ!」



 王太子がもう一度叫ぶのと同時に、アウローラの頬に衝撃が走った。その熱いような痛みに、一瞬遅れて王太子に殴られたのだと、アウローラは理解した。



「……衛兵の名前を呼ぶのは、彼らの身分がわたくしよりも低いからです。王太子さまと彼らでは立場が全く違います」



 理不尽に頬を打たれたことへの怒りを耐えて、アウローラは低く答えた。しばらくの間、沈黙が流れる。



「……もういい。お前と寝てもつまらん。ここへはもう来ない」



 王太子は呟くようにそう告げると、アウローラに背を向けて自室へ戻っていった。

 アウローラはその背中を眺めながら、複雑な感情をもて余していた。もう閨に侍らなくてすむのはとても嬉しい。けれど、王太子の自分勝手さには我慢がならない。関わってほしくはないけれど、この怒りはぶつけてやりたい。


ーーどうすればいいのだろう。


 そんなことを考えて、その夜は更けていった。




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