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 その決定を父から知らされたとき、アウローラはもちろん反発した。本心の理由はもちろん結婚なんてしたくないから、しかもあの男になど嫁ぎたくないから、だったが、表立っては自分には王太子妃など務まらないし、王太子だって自分のような女は嫌だろうと、なるべく真っ当な理由を考えて反対したのだ。

しかしアウローラが何度、自分が何か失敗したらこの家の為にもならないと言い募っても、辺境伯は聞く耳を持たなかった。

 それどころか、アウローラの主張を一通り聞き終わった後で、こう言ったのだ。

「お前をこの家に置いておくといつ逃げ出されるか分からないが、王家に嫁いでしまえば抜け出すことは叶わないだろう。しっかり務めを果たせよ」と。

 あの舞踏会以降、屋敷に帰ってからも密かに脱出を狙っていた自分の考えを見透かされていたことに、アウローラは驚き、肝が冷えた。もちろん表情には出さなかったが、改めて辺境伯の冷徹さを見た思いだったのだ。


 それからはあっと言う間に時間が流れていった。

アウローラはひたすら毎日ドレスの採寸をしたり(デザインなどは全てメイド任せだ)、それまで家に引きこもらされていた反動とばかりに、茶会や夜会に出席したりで、逃げだしたいと考える暇もなかった。

 あの舞踏会以降、王太子とアウローラは一度も顔を合わせていない。王太子は余程アウローラのことが気に入らないのか、アウローラが出席する夜会には一度も顔を出さなかったのだ。おかげでアウローラは根も葉もない噂を囁かれることになってしまった。

 曰く、アウローラは王太子の誕生を祝う舞踏会で王太子と会って以来王太子に懸想していて、親の権力をかさに結婚を迫り、無理矢理婚約したのだと。王太子はアウローラのことを嫌っていて、だから夜会に出席しないのだと。

 とんでもなく不本意である。嫌いなのはお互い様だ。夜会のたびに、令嬢たちの嫉妬や軽蔑や嘲笑の混じった視線に晒されるアウローラは、彼女たちに詰め寄って言ってやりたいといつも思っていた。

お望みなら替わってやる、誰が王太子との結婚など望むか、と。




 本当ならあの舞踏会のときに脱出して、普通に町で暮らしていたのに、とアウローラは今でも考える。

もちろんそれが今では不可能だと、アウローラには十分過ぎる程分かっている。

なぜなら彼女は今、王都に向かう馬車の中にいる。以前のように舞踏会に出席するためなどではない。二週間後に迫った、王太子との婚礼の儀式のためだ。

 二人が出会ったあの舞踏会の夜から、半年も経っていない。婚約から婚礼の儀式のまでは、四ヶ月程しか準備期間がないという、異例の早さでの結婚だ。

 この日程もきっと父がねじ込んだものだろう、とアウローラは思っている。自分が逃げられないように、そして王太子側にも逃げられないように。




 王都にある王宮に到着したアウローラは王太子が居を構えている東の宮の一室に通された。案内してくれた女官の話では、代々王太子妃にあてられている部屋ということらしい。説明を聞きながら、女官の顔に『お前にはふさわしくないわ』とはっきりと表れているのを見て、アウローラは早くも憂鬱になった。

王太子からも、女官からも嫌われているようではこの先の生活は楽しくないものになるだろう。



「これはご存じだと思いますが」



 案内をしている女官が口を開く。それまでぼんやりと自分にあてられた部屋を眺めていたアウローラは視線を女官の方へ向けた。なんとなく、声音に得意気なものを感じたからだ。



「王太子殿下は既に後宮を構えていらっしゃいます。後宮には侯爵令嬢がお二人と、伯爵令嬢がお二人、さらに男爵令嬢がお一人お住まいです。どのお方も大変お美しく、そして素晴らしい方です。アウローラ様も初めは慣れないことも多いでしょうから、頼りになさってはいかがでしょう」



 女官は親切を装ってそう言いながら、顔にははっきりと『お前のでる幕はないわよ』と書いてあるようでアウローラはますますげんなりしてしまった。

王太子が既に後宮を持っているなんて、世情に疎いアウローラには初耳だった。特に興味もなかったが。

それにしても呆れてしまう。そんなに妻がいるなら尚更アウローラは必要ないだろう。

ーー逆らえない相手に要らないわたしを押し付けられる前に、さっさと後宮にいる令嬢の誰かを王太子妃にしてしまえばよかったのに。

アウローラは心のなかで王太子の不手際を毒づいた。

 これからはきっと、既にいる令嬢たちからも悪意を向けられるだろう。辺境伯のことを家族などとはとても思えないが、あの辺境伯領の屋敷に帰りたいと、アウローラは切に願った。

特別大事にされたり、気づかわれたりはしなかったが、あそこでは誰もがアウローラを放っておいてくれた。最近では折檻も全くされていなかったし、自由に出入りできる庭や図書室もあった。



「分かりましたわ。親切なご忠告ありがとう。申し訳ないのだけれど、領地からの長旅で疲れているの。もう案内はいいから、お茶を用意してくださらないかしら」



 暗にさっさと出ていけと命じて、アウローラはにっこりと微笑んだ。これ以上この女官に不愉快な思いをさせられるのはごめんだ。嫌味を言われても何も言い返せない奴だと舐められたら、きっとこれから先も過ごしづらくなる。

 最初が肝心だから、とアウローラは自分に言い聞かせた。本当は特権階級の人間なんて大嫌いだし、人に命令するのも慣れていないけれど、ここに来てしまったからには王太子妃をきちんと演じようと思った。


 女官が少し不満げな顔をして退室したのを確認してから、アウローラは部屋の真ん中に置いてあるソファに深く腰掛けた。

 部屋に荷物は既に運び込まれているが、数は少ない。身の回りの物など無いに等しかったのだから、適当に揃えられたそれなりの質の日用品と、急いで仕立てられたドレスが十数着。屋敷にいたメイドに聞いたところによると、それでも上流貴族の令嬢のドレスの数としては少ないらしい。

 本当は自分でさっさと荷ほどきをしてしまいたかったのだが、貴族令嬢というのは何でも人にやらせる生き物だということを教え込まれていたので、アウローラは仕方なしにそのままにしていた。

 アウローラは屋敷にいた頃も自分付きの侍女を持っていなかったので、屋敷から王都まで、一人も侍女を連れてきていない。護衛と言う名の見張りなら何人か同行したが。今後は王家の一員となるのだから、侍女も王宮で用意された者をつける。表向きはそのような理由で、アウローラは単身この東の宮まで来ていた。その侍女が来るまで、部屋で満足に寛ぐこともできないのだ。

 アウローラが溜め息をつきかけたとき、部屋に弱々しいノックの音が響いた。



「入りなさい」

「し、失礼します……」



 怯えています、と主張するようにおどおどとした態度で、お茶のポットやティーカップの乗ったワゴンを押して入ってきたのは年若い少女だった。



「あ……私、本日からアウローラ様付きの侍女になったサラって言います! よろしくお願いします!」



 少女の余りにも物慣れていない様子に、アウローラはそうきたか、と思った。

おそらく、それほど訓練を積んでない未熟な少女をたった一人アウローラ付きの侍女にすることでアウローラを貶め、更にこんな者が侍女では嫌だとアウローラが言ったら、何でも自分の思い通りに行かないと嫌がる我が儘で鼻持ちならない令嬢という噂でも広めるつもりなのだろう。

 ーーなんとも甘い考えだ。

 聞けば、王宮に出仕している侍女というのは大抵が貴族の令嬢だという。王宮で彼女たちが仕えるのは王族やその配偶者など、一様に身分の高い人達ばかりなので抵抗はないだろう。しかし、王都では悪い噂しか聞かないオラグルド辺境伯の娘、それも王太子に嫌われている王太子妃などにどこの令嬢が敬意を持って尽くすだろうか。

 生粋の貴族令嬢に見下されながら仕えられるくらいなら、未熟だけれど素直そうな、サラのような少女の方が余程ましだ。



「そう、サラというのね。可愛い名前だわ。早速で悪いのだけれど、わたくしがお茶を飲んでいる間に荷物を片づけてちょうだい。どうしたらいいか分からないものは、遠慮なく聞いてくれて構わないわ」

「は、はい! 分かりました!」



 サラは頬を赤くして、大きな声で返事をした。

いそいそとお茶をカップに注ぎ、アウローラの前に置く。緊張のせいか、手が震えてカップとソーサーがカチャカチャと音を鳴らしているのは気にしないことにした。


 王太子妃の部屋は三つに別れている。来客を通すための広い応接間、寛ぐためのやや小さめの自室、そして寝室だ。全て続き間になっている。そして王太子妃の寝室の隣に王太子と共用の寝室(一際大きなベッドが置いてある)、その更に向こう側には王太子の寝室がある。寝室が一つ以上あるなど、アウローラにとっては無駄としか思えなかったが。

 ちなみに今アウローラがお茶を飲んでいるのは王太子妃の部屋の真ん中に位置する自室だ。

 アウローラがお茶を飲みながらぼうっとしていると、サラが声をかけてきた。部屋の片付けはまだ半分も終わっていない。



「アウローラ様」

「なあに?」

「その……王宮の文官の方が来ているんですが……」

「そう。用件は何かしら?」

「国王陛下と王妃殿下の所へ、挨拶しに行かなきゃいけないみたいです」

「もう隣にお通ししてある?」

「はい」

「分かったわ。今行きます」



 アウローラはお茶のカップをテーブルの上に置いて立ち上がると、隣にある応接間に向かった。

 サラに応接間に続く扉を開けさせて、アウローラは応接間に入る。応接間の来客用の扉の近くに、文官の制服特有の色である臙脂色の服を着た男が立っていた。慇懃に一礼して、男が口を開く。



「王太子妃様。到着早々に申し訳ございません。国王陛下と王妃殿下が面会を求められていますので、着いてきていただけますでしょうか」

「もちろんですわ。けれど、着いたばかりでまだ旅装のままですの。それでも失礼にあたらないかしら?」

「謁見というわけではなく、身内としての挨拶ということですので、そのままで結構かと思われます。もしお召し物を替えたいとおっしゃるなら、お待ちいたしますが……」

「このままでいいならこのまま参ります。国王陛下と王妃殿下をお待たせするのは本意ではありません。すぐに案内していただける?」



 文官の男はまた一礼して、それでは、と扉を開けてアウローラを促した。アウローラが外の廊下に出ると、女官に案内されている間もずっと着いてきていた護衛の騎士が礼をとった。かしづかれるのに慣れないアウローラはびっくりして一瞬肩を揺らしかけたが、それをおくびにも出さないで文官の後ろを着いて行く。

 また背後にいる護衛の騎士の気配を感じながら、逃げ出すのは確かに無理だな、とアウローラは思った。




 結果として、国王陛下と王妃殿下は良い人たちだった、と面会を終えたアウローラは何とものんきな感想を抱いた。

アウローラの想像を裏切って、置いてある家具や絵画は高級そうで品の良い物だが、質素にまとまった部屋で面会は行われた。(王妃殿下の趣味で揃えた部屋らしい)

 二人とは以前、王太子の生誕を祝う舞踏会のときに顔を合わせていたが、あのときの為政者としての威厳や自信に溢れたいかにも国王らしい態度とはうって変わって、本当にアウローラを『家族』として受け入れてくれているような、温かい態度だった。

 二人はまず、お茶を出させた後に人払いをして、アウローラが寛げるようにと気を使ってくれた。幼い頃からの訓練もあって、不安や動揺や怒りなどの感情は全て隠せているつもりのアウローラだったが、緊張しているのはお見通しだったらしい。あの失礼な王太子がこのお二人から生まれたなんて、とアウローラはなんだか悔しくなった。

 更には、王妃殿下から謝罪までされてしまったのだ。内容は、王太子が最近、婚約が発表されたにも関わらず公の場でアウローラと顔を合わせようとしないことについて。

王太子が余りにも不自然にアウローラを避けるので、大きくなった噂は国王陛下や王妃殿下の元まで届いていたようだ。

まだまだ不肖の王太子を支えてほしいとまで言われて、王妃殿下に頭を下げられたアウローラは逆に恥ずかしくなった。

顔が赤くなっていくのを自覚しながら、気にしないでください、元よりそのつもりです、と言うのが精一杯だった。その答えを聞いて、柔らかく微笑む二人を見ながら、このお二人の期待を裏切りたくない、と心から思った。


 その後、軽く雑談をして二人の部屋を辞したアウローラは、再びぴったりと護衛につかれながら、どこか夢見心地で自室に戻った。

ーーもしかしたら、お二人と(当然のことながら王太子は除く)、本当の家族のようになれるかもしれない。自分の出自や、生まれ育った環境のことを忘れて。


 そんな甘いことも、このときには考えていられたのだ。




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