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 広間のシャンデリアの輝きを受けて、アウローラの髪飾りやドレスがきらきらと光る。穏やかな淑女らしい微笑み、優雅に腰を折って礼をとる姿は、今日初めて舞踏会に出る令嬢とは思えない完成された美しさだ。

彼女は見事に令嬢を演じていた。


 アウローラは自分が父と共に貴族たちに挨拶をして回る間、下は自分と同じくらいの年頃から上は父と同じくらいの年頃までの男たちの、舐めるような視線を感じていた。

……もしも今日逃げ損ねたら、わたしを見ているこの男たちの内の誰かに、嫁ぐことになるのだろうか。

アウローラはふとそう思ってから、その考えの恐ろしさに身震いをした。絶対に嫌だ。


 覚えきれないほどの貴族たちと顔を合わせ、挨拶をする。

一通り挨拶をし終わったかな、とアウローラが思ったときに、ちょうど辺境伯が口を開いた。



「これでひとまず挨拶は終わったから、お前はとりあえず隅の方で私たちを待っていなさい。話しかけられたらきちんと挨拶をしなさい。ダンスは誘われたら踊ってもいいが、自分の体調を考えて、相手はきちんと選ぶんだぞ」

「大人しくしているのよ、アウローラ。身体に障らないようにしなさい」

親子を装って白々しい演技をする二人に嫌気が差しながらも、アウローラは゛大人しく゛返事をした。

「はい、お父さま、お母さま。ありがとうございます」



 感づかれる訳にはいかない。そう思いながら、アウローラは庭園に抜け出せるバルコニー近くまでゆっくりと歩みを進める。途中、何度かダンスの誘いがあったが、全て「不慣れですので」とか、「少し人に酔ってしまいまして。他の方をお誘いください」などと断らせてもらった。

きっと辺境伯たちは、ボロを出したくないが故の行動だと思ってくれるだろう。

 それにしても、今夜の舞踏会は王太子の誕生日祝いの場なのに、肝心の王太子はまだ出てこない。広間の奥、一段高いところに座っている国王陛下と王妃殿下にはすでに挨拶を済ませたのだが。

 アウローラはそれを不思議に思いながらも、気にはしなかった。それよりもどうやってバルコニーから誰にも見つからずに庭園に出られるだろうかと、そればかりを気にしていた。


 ーーやっと、ここまでこれた。

人目を避けながら、やっとの思いでテラスの端にたどり着いたアウローラは、ふう、とため息をついた。正直に言って疲れたのだ。

アウローラは今までどんなときでも隙なく立ち振舞えるよう、社交の勉強をしてきてはいたが、実際に公の場に出るのは初めてだった。今まで領地に引きこもっていた『オラグルド辺境伯の長女』に向ける人々の好奇の視線は、アウローラをとても疲れさせるものであった。


 テラスの両端には、庭園に降りられる階段がある。アウローラがそこを慎重に降りると、庭を警護しているらしき衛兵が近づいてきた。



「失礼ですがレディ、ここから先は暗くて危険ですので会場へお戻りください」

「……人の多さに酔ってしまって。そんなに遠くには行きません。庭園を歩いて少し涼みたいだけです。王宮の庭園は日が落ちても素晴らしいと聞いておりますし」



 ダメかしら? とアウローラが衛兵を上目遣いで見上げると、衛兵は顔を赤くして、お気を付けて、の声と共に道を開けた。

 あまりにあっけなく道を開けてもらえた。少し警備が甘すぎやしないか、と思いながらもアウローラはありがたく歩みを進める。

 庭園を西に抜けると、衛兵用の小さな門があるはずで、アウローラはそこを使って抜け出すつもりだった。庭園の奥や門の周りにも衛兵は配置されているだろうが、アウローラは人の気配に敏感なのでそれを避けられる自信があった。

 ひとまず、目立たないようにドレスを脱がなくては。アウローラがそう思って、ドレスの首の後ろから腰にかけてずらりと並んでいる背中のボタンに手をかけたときだった。




「そこで何をしているんだ」




 背後から、その不遜な声が聞こえてきたのは。


 アウローラは驚くべき俊敏さでボタンに掛けていた手を下ろし、後ろを振り返った。その先に立っていたのは……ややオレンジがかった濃い金髪の、整った顔立ちの男だった。もっとも今は、その顔を不審げにひそめているが。



「……少し人波に酔ってしまいまして。ここで涼ませていただいていたんですの。見苦しいところをお見せしましたわ」



 アウローラは動揺を隠して微笑んだ。気が緩んでしまっていたのか、人が近づいてきていることに全く気がつかなかったのだ。口から飛び出そうな勢いで脈打つ心臓を、無意識に手で押さえながら、アウローラはお辞儀をしてその場を辞そうとした。

 だが、アウローラが立ち去ることはできなかった。

男のがっしりとした分厚い手が、アウローラのほっそりとした手首を掴んでいる。



「……手を離してくださいませんか。痛いのですが」

男がわざとらしく片眉を上げて言った。

「これは失礼した。ところで貴女のお名前を伺ってもよろしいかな? よければ夕涼みに付き合わせてもらおう」



 アウローラにとっては迷惑極まりない提案だった。男は腕を掴む力を弱めはしたが、完全に離してはくれない。とりあえず今は動けないようだ。



「……申し遅れましたわ。わたくしの名前はアウローラ・アレテス・オラグルド。オラグルド辺境伯の長女にございます」



 するりと手を離して、やわらかく腰を折って名乗った瞬間、男の表情が分かりやすく変わった。ーー侮蔑するようなものへ。その感情を隠すつもりはなさそうだった。


 そうなのだ、アウローラは辺境伯領から出たことがないので知らなかったが、王都や王宮においてオラグルド辺境伯はほとんどの貴族に忌み嫌われていた。いくら辺境とは言え、その影響力や経済力には圧倒的なものがあり、下手をすると王家を越えるほどと言われていたのだ。きっとアウローラが知らないだけで、色々と汚い仕事もしているのだろう。

 そしてそういったオラグルド辺境伯のあり方は、中央の王宮派貴族にはとても煙たがられていた。力が強すぎて、滅多なことでは誰も反発できないのも良くなかったのかもしれないが。



「なるほどな。オラグルド伯の娘か。……誰かとこの場で待ち合わせをしているのか?」

侮蔑を隠そうともしない男の態度に苛つきながらも、アウローラはそんなものを微塵も感じさせない余裕の微笑みで答えた。

「いえ……。先程も申し上げた通り、ここには涼みに来ただけです。わたくしの不作法で不快にさせてしまったのなら申し訳ありません。すぐに立ち去ります」



 アウローラの余裕綽々の態度が気に障ったのか、男の表情に少し苛立ちが混じった。

この男、表情に出過ぎではないだろうかとアウローラは思ったが、実はアウローラが人の表情や感情を読むのに長けているだけで、このときの変化は普通の人間には分からない程度の微かな変化だった。



「隠さなくても良いだろう? どうせあの家の娘のことだ、付き合いのある貴族の坊ちゃんと逢い引きでもするところなんじゃないのか?」



 そのあまりにも不躾な言い方に、アウローラの表情が若干強ばった。

ーーどうしてそんなことを言われなければいけない! わたしがそんなに身持ちの悪い女に見えるの!

 アウローラは溜まった鬱憤が噴き出しそうになるのを、短い呼吸を繰り返して抑えた。ここで喚き出したりしたら相手の思うつぼだろうし、なにより衛兵が寄ってきてしまうだろう。

それほど時間をかけずに平常心を取り戻したアウローラは、意識して色っぽく微笑んで、男の方をじっと見つめて答える。



「まあ、わたくしがどこで誰と会って何をしようと、あなたには関わりのないことではなくて? ご心配いただかなくても、節度は守って行動できますわ。失礼いたします」



 アウローラはゆったりと言い切ったあと、今度こそ踵を返して庭園の奥へ進もうとした。の、だが。


また手を捕まれていた。



「離してくださいませっ」

「もう十分に涼んだだろう。これ以上夜風にあたると身体に障るぞ」



 表向きはアウローラを気遣うように、男が優しく言ってさっさと歩き出した。けれどアウローラの手首を掴む力は痕が残りそうなほど強い。有無を言わさず連れていくつもりらしかった。

 仕方がない、一旦会場に戻ってからまた庭園に出よう……とアウローラは頭の中で計画を組み直す。

予想外の出来事による焦りと、男に対する怒りで涙が出てしまいそうだった。長年、顔に感情を出さないように生きてきて良かったと、これほど強く思ったことはなかった。


 半ば引きずられるように会場の広間に戻ってくると。途端にざわめきが広がった。会場の貴族たちが揃って自分たちに注目していることに気づいて、アウローラは戸惑う。特にきらびやかなドレスを纏った令嬢たちから、刺すような視線を感じた。

 アウローラの手首を掴んでいた手はいつの間にか外され、アウローラは男の腕にエスコートされるようにつかまらされていた。

 まず最初に辺境伯たちがやってきた。男の前で優雅に一礼して、口を開く。



「本日はおめでとうございます。王太子殿下におかれましては、ご機嫌うるわしゅうございましょう。わたくしどもの娘が失礼していたようで。本日初めて夜会に出た娘ですので、何かと無作法でございましょう。身体も弱いものなので、失礼いたします」



 辺境伯が滔々と述べる言葉に、内心驚愕していたアウローラだったが、辺境伯がするりと差し出した腕を見逃したりはしなかった。

父の腕を取ってから男ーー王太子に向き直り、優雅に腰を折る。この王太子から、一刻も早く離れたかったのだ。でないと、とても失礼なことを言ったりやったりしてしまいそうだから。



「先程は貴方様が王太子殿下とは露知らず、失礼いたしました。本日が初めての夜会にて、何分不馴れなものですので、どうかお赦しくださいませ。本日はおめでとうございます」



 アウローラはそう言ってにっこり微笑むと、甘えるように父を見上げて小さな声でねだる。

王太子は呆気に取られたような、些か間抜けた顔をしてアウローラと辺境伯を眺めていた。



「お父さま、わたくし少し疲れてしまったみたい。お部屋に戻りたいわ」

「そうか、では共に陛下に暇の挨拶をして戻ろう」

「ええ。では殿下、失礼いたします」

「ああ……」



 生返事をしたまま動かない王太子と、相変わらず周りでそれとなく様子見をしている貴族たちを残してアウローラたちは歩き出す。 父と腕を組んで移動しながら、アウローラは無意識に唇を噛み締めていた。もうチャンスがない。

国王陛下に挨拶をした後、広間の出口まで来たところで、アウローラは父の腕を外して彼を見上げた。



「お父さま、これより先は一人で戻れますわ。先程は連れ出してくださってありがとうございました」



 けれどそう上手くはいかなかった。オラグルド辺境伯は先程とは一変してアウローラに冷たい一瞥を寄越し、こう言った。



「お前がなぜ庭園にいたのかは追究しないが……行動は慎みなさい。部屋までは護衛についてもらおう。……いいな?」

「……はい、お父さま」



 アウローラは低く答えて俯いた。逃げ出す計画はダメになってしまった。きっと、チャンスはもう来ないだろう。あの男ーー王太子のせいで!

 悔しさで溢れそうになる涙をぐっと堪えて、アウローラは父がつけた護衛と部屋に戻った。護衛は辺境伯領から連れてきている者なので、アウローラの出自や事情を知っている。逃げ出せるはずは無かった。




 この舞踏会が、アウローラの真の苦しみの始まりだった。

 数ヶ月後、以前のように辺境伯領の屋敷の中で生活していたアウローラに、父が告げたのだ。




 ーーアウローラと、王太子の縁談が決まったことを。




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