少女
ヴォルム皇国の王宮内には4つの塔が存在している。
文官達が執務をしている《北の塔》、国の主力部隊である第一中隊から第四中隊が使う《東の塔》、国家防衛線や外交関係を仕事とする第五中隊から第七中隊は《南の塔》で仕事をしている。
そして、フィア達第八中隊は《西の塔》で主な仕事をこなしていた。
《西の塔》の中にある仮眠室で、1人の少女がベッドに横たわっていた。その少女は、迷いの森で保護されたあの少女である。
明るい若草色の髪は腰くらいまで伸びているのだが、今は解かれている。瞳はキツく閉じてられており、瞳の色が何色なのか伺うことは出来ない。呼吸は荒々しく、頬はこれでもかというくらい赤くなっていた。時折、うわごとのように「助けて、助けて」と呟いていた。
そんな少女の近くには、濃い菫色の髪と瞳を持つ少女が1人。年はベッドに横たわっている少女と同じくらいだ。心配そうに少女の手を握っている。
「ヴィオーラ。その子はまだ目が覚めない?」
ノックもせずに部屋へと入ってきたのは、少女を助けた1人であるフィアだった。
先程までは、旅装だったので動きやすさと温かさを重視した服装だったが、今は王宮内のため正装である漆黒の軍服を着ている。釦は銀色で、手には真っ白の手袋をはめているので、それ等はヴォルムの冬を連想させた。胸に光る青い薔薇の紋章は第八中隊を示している。光の加減によって淡くなったり濃くなったりしているので、とても美しく見えた。
「……まだ、だよ」
ヴィオーラは小さく呟いた。そして、少女の手を労わるように握りしめる。
ヴィオーラ=ジェンマは第八中隊の侍女だ。元は商家に売られたのだが、諸事情により今は第八中隊の侍女となっている。
基本、無口だが第八中隊の仲間達と関わっていると、時折可愛らしく笑う時もある。愛らしい菫色の瞳は、ヴォルムの人間ではない証拠で非常に目立つ。が、本人はさして気にしてはいない様子だ。
「薬師様の話だとね、目立った外傷はないけど、心の中の傷はどうだかわからないって」
「心の傷…」
ヴィオーラはフィアが言った言葉を反復した。ヴィオーラなりに、何か思うことがあるのだろう。
「凍傷も酷いから、温めてあげること。暫くしたら、薬師様もまたくるって言ってたから」
「…早く」
ヴィオーラは聞こえるか聞こえないくらいかの声で呟いた。隣にいたフィアは、その言葉が聞こえなかったのでヴィオーラへ聞き返す。
「ん?どうしたの、ヴィオーラ」
「…早くお話しできればいいね」
フィアは一瞬だけ目を見張った。しかし、次の瞬間には柔らかく微笑み、ヴィオーラを落ち着かせるように言った。
「うん、そうだよね」
フィアはそっとヴィオーラの背を撫でた。ヴィオーラを不安にさせないように。
「フィアさん。私、お水を替えてくるね。だから…」
「わかってるよ。ヴィオーラが戻ってくるまでここにいるから大丈夫」
「ありがとう、フィアさん!」
ヴィオーラは少女の枕元にあった水桶を持って、走って部屋を出た。
「あの子、転ばなきゃいいんだけど…」
フィアは苦笑半分、微笑ましさ半分で、ヴィオーラが見つめていた。
ベッドの近くにあった椅子に腰をかけると、今迄の疲れが一気に出てくる。
少女を見ると、まだ呼吸が荒々しかったが先程までのものではない。このまま回復に向かえばいいのだが。
(まさかルーシャンから呼び戻されるとは思わなかったなぁ)
フィアは眼を閉じて、今日までに起きたことを整理し出す。
数日前までフィアは、オルバ山脈を緋煌帝国側に抜けた所にある、ルーシャンという小さな街にいたのだ。王都・リヒトからルーシャンまで、山を挟んでいるので急いでも三日はかかる。リュシオルの知らせを受けたのが昨日の朝。
フィアは馬を無理に走らせ、今日の朝早くに王都へと辿り着いたのである。
今は雪が止み太陽は出ていないが、空の雲が薄いためかうっすらと夕焼けの光が確認出来た。
なんと濃い一日だったのだろう。
「本当、今日は疲れた…」
普段なら疲れた素振りなど見せないフィアだったが、今日は耐えられなかった。それに、人がいないことも輪をかけてそんな言葉が出てしまったのだろう。
「珍しい。お前が弱音を吐くなんてな」
突然聞こえた第三者の声を聞き、フィアは飛び起きてドアを見る。そこにいたのは、面白いものでもみたと言うような笑みを浮かべるフォルモントだった。
「副隊長…。あなたも悪趣味ですね。人が疲れているのを馬鹿にしに来たのですか?」
「阿呆。お前を馬鹿にするためにわざわざ仮眠室などにくるものか」
フォルモントは、漆黒の軍服姿で歩み寄って来た。フィアとは違い、黒い手袋を嵌めている。それはヴォルム皇国でも高貴な身分にある証拠だ。
フィアは座っていた椅子から立ち上がり、椅子をフォルモントへと勧めた。
フォルモントは、遠慮の欠片も見せずに椅子へと座る。その時、キッチリと締めていたタイを緩めることを忘れない。
「副隊長、まただらしないと方々から口うるさく言われますよ」
「…リュシオルが締めてないんだ。俺だって締めなくていいだろうが」
若干面倒臭そうに言うフォルモントへ対して、フィアは強く注意を促す。
「仮にもここはヴォルム王がお住みになられている宮ですよ。元帥殿に、うるさく言われたくないでしょう?」
「…お前が言わなきゃいいだけだ」
子供の様に拗ねるこの男は、第八中隊でも指折りの実力者だ。それがどうなって子供の様になってしまうのだろうか?
「それで?息抜きのためにここにきたわけではないですよね?」
「当たり前だ。…一つ引っかかることがあってな」
いつもの通りに自信満々で断言したフォルモントだったが、何故か表情は暗い。疑問に思ったフィアは、軽く眉をひそめ、無言でフォルモントへと問い掛けた。
フォルモントはベッドでひたすら眠り続ける少女に目を向けたままつぶやくように言った。
「こいつの目は何色だ?」
フィアはその問いに、今日の記憶を掘り返す。
確か、見つけた時に少しだけ目を開けていた時があった。森の中で、暗くハッキリとした確信はないが、確か__。
「…だ、れ?」
フィアが口を開きかけたその時、子供特有の高い声が聞こえた。
フィアはベッドに眠っていた少女を見て、優しく手を握った。
「私はフィアールカ=オルバ=エーデルシュタイン。ヴォルム皇国の軍人よ」
「ヴォ…ル、ム?ドルトゥーイ、で、はない?」
「えぇ、ここはヴォルム皇国。あなたはドルトゥーイ国の者なの?」
少女は声を出さず、戸惑いながら軽く頷いた。恐らく今の状況を理解出来ていないのだろう。
フィアは、そんな少女の不安を取り除くように、翡翠色の眼を見て優しく話しかけた。
「お名前は?」
少女はか細い声でちいさく呟いた。
「リュミエール=ドルトゥーイ…」
フィアは驚きで声を失った。
(今、この子はなんと言った…?)
思わず手で口を押さえてしまったフィア。後ろは向かなかったが、フォルモントも驚きで息を飲んだ気配がした。
リュミエール=ドルトゥーイは、隣国・ドルトゥーイ国の第四王女の名だった。
リュミエールの瞳は悲しそうな翡翠の色に彩られていた。