鬼狩
昨夜から降り続けている雪は一向に止む気配がなさそうだ。
ヴォルム皇国の冬は、厳しいせいか太陽が出ることが極端に少なく、年によっては一ヶ月以上太陽が拝めることが出来ない年もある。
そんな中、昨日は珍しく晴天に恵まれ、二十日ぶりくらいに太陽と青空を見た気がする。久しぶりに感じた太陽の暖かさは、この時にはとても心地よい暖かさだった。
『冬の日に晴れ間が覗くと、その日は一日良い事が起きる』
ヴォルム皇国にはそんな言い伝えまである。多少、大袈裟な気もしなくはないが、間違ってはいないだろう。多分。
(ああ、でも昨日は良い事なんてなかったなぁ…)
そう思ったのはエルバ=オリディア=ローゼン。ヴォルム皇国第八中隊に所属しているまだ若い青年だった。
昨日は急な会議に加え、副隊長と副隊長補佐の不在、そして緊急の招集命令が出され朝からてんてこ舞いだった。思い出しただけで疲れる。
「今日はフィアさんかフォルモントさんが帰ってきて欲しいなぁ」
今この場にいないエルバの敬愛する人物が早く帰らないかと、心の中で密かに考えていた時だった。部屋の外から急いでいるような足音が聞こえてくる。一瞬、客人かと思ったが、よく聞くと聞き覚えのある歩調だった。
一人の名前が浮かんだ時、エルバは座っていた椅子から乱暴に立ち上がり、ドアを開けた。
「エルバ‼」
「フィアさん、おかえりなさい」
開けようとしたドアが急に空いて、フィアは驚いたがすぐにふんわりと微笑んだ。
「ただいま、エルバ」
ヴォルム皇国第八中隊。そこは、普通の皇国軍とは若干異なっている部隊だ。
ヴォルム皇国には合計八つの部隊が存在している。第一中隊から第四中隊までが主力部隊として王宮や国の治安維持に勤め、第五中隊から第七中隊までが国境の監視・他国の情報などの外交関連に勤めている。
では、残りの第八中隊はどのような仕事をしているのか?
第八中隊の主な仕事は"鬼"による人民被害を抑え、尚且つ害をなすモノを徹底的に排除することのみ。
鬼とは、ヴォルム皇国建国以来ずっと存在している人外の生き物だ。人とは比べることの出来ない生命力、獲物を狙う執拗な攻撃、
そして人を食らう人に似た姿形。
人々はそれを「人とは違う生き物」という意味で"鬼"と名付けた。ヴォルムの人々は"鬼"を恐れ、いつ食らわれるかわからない恐怖と隣合わせで生活していた。
それでも、人々は何処か安心していた。"鬼"は自分達の領域に入った者は食らわなかったからだ。
しかし、今から九年前のヴォルム暦674年、緋煌帝国との国境にある小さな街・ルーシャンで起きた事件によりその考えは一変する。
それは、原因不明の"鬼"達による暴走だった。街は壊され、一千人程いた住民の殆どが"鬼"によって殺された。ある者は子を守るために、またある者は愛する者を守るために。
ヴォルム皇国はルーシャンに軍を派遣したが、生命力の高い"鬼"達を早々始末することが出来ず、事態は泥沼化していった。そして、ルーシャンの街にいた"鬼"を始末出来た時にはもう、かつての街並みは残っていなかった。
それから五年後のヴォルム暦679年に国は、"鬼"を狩りヴォルム皇国を守る部隊・第八中隊___またの名を鬼狩を発足させた。
それが、現在フィアの所属する部隊だ。
「隊長はどこ?」
「隊長は恐らく執務室の方だと思います」
「ありがとう!」
そう言うとフィアは、ドアも閉めずに部屋から飛び出した。
エルバが廊下を見た時には、既にフィアの姿は見えなかった。
「やっと仕事から解放される〜」
そう言いながら、エルバは部屋にあるソファに倒れこんでしまった。
バトラーがしていた仕事は、フィアの仕事だったのだ。フィアがいなかったので、止むを得ずエルバが仕事を引き受けていた。彼女が戻ってきた以上、エルバがするべき仕事ではない。
「あぁ… 少し位寝てもいいよね…それなりに働いたもん…ね…」
昨夜からあまり寝ていないのだ。それ位は許してほしい。
そう思いながら、エルバの意識はそこで途絶えた。
一方、フィアは走らない程度に執務室へと急いでいた。先程訪れていた部屋は、第八中隊の中でも重役が使っている仕事部屋だ。勿論その部屋で仕事をしていたエルバは、フィアに次ぐ実績の持ち主で次期隊長候補とし隊内外ても有名だ。フィアという案もあったのだが、それをフィアは辞退した。それには理由があるのだが、それを知る人物は少ない。
一番奥の部屋まで辿り着くと、フィアはドアを軽くノックした。
「フィアです。入室してもよろしいでしょうか?」
「おう、入っていいぞー」
イマイチ締まりのない声で入室の許可が出されると、フィアはゆっくりとドアを開けた。
部屋の中にいたのは、無精髭を蓄えた中年の男だった。
かったるそうに、椅子に肘をかけながら書類を見る姿は明らかにやる気がなさそうで、寝不足のせいか目元に濃い隈が出来ていた。
「ようやく帰ってきたな、フィア」
「申し訳ありません、リュシオル隊長。フィアールカ=オルバ=エーデルシュタイン、只今戻りました」
そう言うと第八中隊隊長、リュシオル=ドグ=シンティッリーオはニヤリと笑いながら言った。しかし、よく見るとその笑みからは疲れが滲み出ている。
「久しぶりの故郷はどうだったんだ?」
「相も変わらず淋しい場所でしたよ。人がいないから当たり前ですが」
フィアはそこで言葉を区切り、声を少し落とした。周りに聞こえないように。
「一体何があったのですか、隊長。休暇中の私を呼び戻すということは、それなりの事態が起きたんですよね」
今まで浮かべていた笑みを消し去り、探るような目でリュシオルを見つめた。
本来ならば、あと3日ある休暇を返上させてやってきたのだ。文句はないが、何があったのかは気になる。
「お前だけじゃない、フォルモントも呼び戻した」
「副隊長も?」
フィアは予想外の言葉に自分の耳を疑った。フィアまでならともかく、自分よりも力のあるフォルモントまで呼び戻すということは、フィアの予想の範疇を越える何かが起こったのだろうか。
「まあ、あいつは戻るまでに時間がかかるだろう。それまでに解決しているかもしれないが、今回ばかりは何が起こるかわからない」
「一体私がいない間、何が起こったのですか?」
フィアが眉を寄せて聞くと、リュシオルがある書類の束を引き出しから取り出した。その書類は右端に、ヴォルム皇国の重要案件を示す青色の薔薇印が描かれていた。
その書類を手にとったフィアは、一行目から目を見張った。そして、読み進めていくうちに表情がどんどん厳しくなっていく。
最後まで読み進めたフィアは、血の気が失せた青い顔でリュシオルを見つめた。
「隊長…これはまさか…⁉」
「ああ、この時期には前例のない鬼狩の要請だ」
今も雪は降り続く。
どれだけの犠牲を払おうとも。
どれだけの平和が乱されようとも。