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キティ  作者: 岸部碧
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 変な女。

 それが彼女の第一印象だった。


「おはよう、イヴ嬢」

 あくまでにこやかに声をかけると、柱にもたれかかったイヴが顔をクリスに向けた。

「もうこんにちはだよ」

 相変わらずにこりとも笑わず、イヴは視線を前へと戻す。

 次期侯爵がいるのに背を柱に預けて腕を組んだままの近衛兵など、彼女くらいのものだろう。

 イヴも最初の頃は他の兵士らと同じ態度をとっていた。しかし堅苦しい態度を嫌うアルフレッドが間にいる為、人目の少ない場所や城の外ではこうして自然体で接してくれる。

 幼馴染以前に、クリスとアルフレッドは似た性質なのだろう。恭しさの欠片もない彼女の態度が心地好い。

 クリスは苦笑して、イヴの隣に並んだ。

「今日は剣術の稽古?」

「そんなところ。無理矢理つれてきた」

「無理矢理?」

 イヴが見つめる先では、アルフレッドと近衛兵団の兵士が木製の剣で打ち合っている。イヴも先程まで参加していたのか、うっすらと汗をかいていた。

 元々アルフレッドは剣術や馬術を好み、よく兵士にまざって稽古をしている。身を守る術はやはりどうしても必要なので、たとえ傍目に遊んでいるように見えてもベイリアル侯爵ですら説教をしない、素晴らしい息抜きだ。

 だからこそクリスは彼女が無理矢理アルフレッドをつれてきたというのに引っかかり首を傾げると、イヴは前を見つめたまま答える。

「最近、あまり休憩も取らずに執務漬けになってたから」

「アルが? 何かあった?」

「いや、特に何もないはずだけど」

 イヴは一度そこで言葉を切り、珍しくどこか言い辛そうな顔をした。それでもクリスが黙って続きを促せば、そっと息を吐いて呟くように言う。

「この前から何か考え込んでるみたい。何も言わないからよくわからないけど」

「この前って、イヴ嬢の兄姉きょうだいが来た頃?」

「そう。アルフレッドが気にする事じゃないのに」

 呆れたように言ったイヴだったが、その瞳がどこか寂しそうに細められるのをクリスは見逃さなかった。


 先日イヴの兄姉が訪れてから今まで、クリスは地方の視察に出向いていた為、ここ数日王城であった事はほとんど知らない。しかしこのタイミングでアルフレッドの様子がおかしくなるとしたなら、やはり彼女の事が原因なのだろう。

 誰もいなくなった部屋で尋ねたあの問いに、アルフレッドは結局何も答えなかった。それでも彼らが幼い頃に何かがあったのは明らかで、それは現在にまで影響を及ぼしていると考えてもいいだろう。

 そもそも、クリスには腑に落ちない点がいくつかあった。

 アルフレッドが物心つく頃からクリスは彼の傍にいて、ほとんど兄弟のように育った。シーズンに関係なく領地から王都へ出てきてアルフレッドと遊び、アルフレッドも数える程度しかないが侯爵家に遊びに来た。

 それらの時間を寄せ集めれば、一年のうち半年は彼と一緒にいたと言ってもいいだろう。それなのに、クリスは三年前までイヴの姿も、存在すら知らなかった。


 三年前、初めてイヴと顔をあわせたのはアルフレッドの執務室だ。

 その時には既に噂は聞いており、仕事ついでにどんな女か見てみようと思っていた。そしてアルフレッドに紹介される形で、初めて言葉を交わした。

 社交用の笑顔を浮かべて貴族らしい挨拶をするクリスに対し、イヴは眉一つ動かさず兵士らしい礼をとった。

 その時点で変だと思った。同じ挨拶をした女性は、たいてい顔を赤らめて皆それぞれうっとりと見惚れたような表情をする。あるいは少数ではあるが、僅かに眉を寄せて嫌悪を剥き出しにする。このどちらかに分類できた。

 しかし、彼女は好意も嫌悪も感じさせない。ただ挨拶をしただけ。そんな女性は今まで見たことがなかった。

 そしてまた変だと思ったのは、アルフレッドが威嚇するなと注意してきた事だ。

 正直、クリスは女性を好ましく思っていない。嫌っている訳ではない。だが、地位や容姿にこだわるかしましい彼女達を好きにもなれない。だからついつい“威嚇”してしまう。

 それについてアルフレッドはいいとも思っていないが、注意してくるような事もあまりない。あるとすれば、城の外で庶民の娘にしてしまった時くらいだ。少なくとも城内でされた事はなかった。

 この時ばかりは素直に驚いてしまった。窮屈を嫌うアルフレッドは見張りのような側近もあまり好きではなく、今回も渋々呼んだと聞いていたのだから無理もない。

 しかし実際、アルフレッドは決してイヴを信用していない訳ではなかった。それは一度でも彼らのやり取りを見ればわかる。つい数日前初めて顔をあわせたにしては、彼らは親しすぎた。

 だからクリスは尋ねた。知り合いだったのか、と。それに返ってきた答えが『幼馴染』だった。


「イヴ嬢って結婚する気ある?」

 振り向いたイヴが怪訝そうに眉を寄せるのを見て、クリスは苦笑した。

 脈絡も何もかも無視したのは否めないが、聞こうとは思っていた事だ。今更撤回はしない。

 イヴは暫く探るような目をクリスに向けていたが、その内溜息を吐いて再び前を向いた。

「結婚願望ならない。結婚なんて面倒でしかない」

「ええ、そんな事ないだろ。女性って普通憧れるものじゃないの?」

「結婚して仕事をやめろって言われたら困る。もし続けられるなら考えてもいいけど、必要に迫られない限りしない」

 淡々と答えるイヴは十九歳で、貴族の令嬢としてはそろそろ危機感を持たなければならないが、騎士や兵士としてならまだまだ結婚は先でも構わない。

 彼女の答えを聞き、クリスはあながちクレア達が言っていたことは間違いではないのだろうと思った。アルフレッドの側近でいられるのなら、結婚しようがしまいがどうでもいいといった様子だ。

 視線のあわないイヴを見つめながら、クリスは質問を重ねる。

「じゃあ、好きな男は? イヴ嬢にだって、いいと思う男くらいいるだろ?」

「そんな事知ってどうするつもり?」

「どうもしないよ。ただ興味があるだけ」

 嘘は言っていない。他にもいろいろと考えてはいるが、興味の割合が一番大きいだろう。

 イヴは納得した様子はなかったが、特に何も言わずに溜息を吐く。

「いない。恋愛に興味もない」

「ええ、じゃあアルはどう? アルなら仕事も確実に続けられるし」

「王子と結婚できる訳ないでしょ」

 ちらりと向けられた視線が呆れたと言わんばかりに冷え切っており、クリスは内心アルフレッドに同情した。政略結婚ならいざ知らず、恋愛結婚ならイヴにその気さえあれば簡単にできるのだが、それはさすがに言えまい。

 どうしたものかと思案しつつ、クリスはイヴを見つめた。

 穏やかな日差しを受けて、イヴの細い金髪が白く輝く。儚いという言葉がこれ程ぴったり合う女性もなかないかいないだろう。実際儚いかどうかは置いておいて。

 アイスグリーンの瞳が眩しそうに細められ、遠くで兵士の歓声が聞こえた。


「アルが好きなの?」


 無意識に零れ落ちたのは、薄々感じていたことだった。

 僅かにぴくりと肩を揺らし、イヴがゆっくりと振り返る。少しだけ歪められた顔には戸惑いが浮かんでいた。

「大切な主人なんだから、当たり前でしょ」

「確かに忠誠心もあるんだろうけど、それだけじゃないだろ。気付いてない? あんた、あいつを見てる時が一番優しい顔するんだよ」

 アイスグリーンの瞳が一瞬揺れ、彷徨うようにして賑やかな声が聞こえる方へ向く。

 誰もが稽古に夢中でこちらに注意を向けていない。恐らく、クリスがいる事にすら気付いていないのだろう。

 それを確認し、イヴは内心ほっと息を吐いた。そして相変わらず自分を見据えるキャラメルブラウンの瞳を、まっすぐに見つめ返す。


「私はアルフレッドを尊敬してるし、何より大切だと思う。それはきっと恋愛感情だよ」


 イヴとて、クリスにいつまでも隠し事ができるとは思っていなかった。長い時間を過ごせば過ごすほど、彼への気持ちは透けて見えただろう。

 だが知られても構わないのは、クリスまでだ。他の誰にも知られる訳にはいかない。ましてやアルフレッド本人になんて、そんな事はあってはならない。

 だから少々動揺してしまったが、誰もこちらを気にしていないのなら問題はない。

「だけど、私は何もするつもりはない。今の関係を変えたいとは思わないし、必要性も感じない」

 それが素直な気持ちだった。常日頃隠し続けている本心。

 その事をしっかりと察する事のできたクリスは、気に食わないと言わんばかりに眉を寄せた。

「他の男と結婚する事になっても、アルが他の女と結婚する事になっても、本当に後悔しないと思ってる?」

「私はアルの傍にいるだけで満足なんだよ。それに……」

 僅かに目を伏せたイヴが、引かれるようにアルフレッドを見つめる。

「――後悔なら、もうずっとしてる」

 クリスは目を見開いた。目の前にいるのが誰かを一瞬忘れかける。

 焦がれるように見つめる彼女の表情は悲痛で、いつもの人形のような無表情からは想像もできないほどだ。

 ――こんな表情をするなんて。

 驚きや喜びよりも罪悪感の方が大きいのは、やはり彼女を気に入っているからだろう。

 つい視線をそらしそうになると、イヴが俯き、腰に下げた剣に触れる。

「もうこれ以上後悔しないように、私は剣を取った。その選択に悔いはない。まさか側近になれるとは思わなかったけど」

 使い古されて傷がいたるところについているが、手入れは入念にされているのだろう、むしろその傷がかっこいいとさえ思わせる。

 柄を大切そうに撫で、イヴは目を細めた。

「わかるでしょ。これは私の我儘なんだよ。剣を振るうのも傍にいるのも、全部私の我儘」

「……アルはそんな事思ってないよ」

「そうだね。でも私は思ってる」

 イヴとアルフレッドはいつもそうだ。互いを信頼し大切にしているくせに、大事なところで矛盾して擦れ違っている。

 なんとかしてやりたい。でもどうやって?

 迷宮に放り込まれたような気分で彼女を見つめていれば、イヴが顔を上げてじっとクリスを見つめる。

「クリスは何があってもアルの傍にいてくれるんだよね」

 真摯な眼差しに言葉を失った。

 確認のような声音でありながら、まるで懇願するような瞳で見つめてくる。

 胸のうちがかき乱されるのを感じながらも、クリスは強く吐き捨てた。

「当たり前だろ」

「……そう。ありがとう」

 少しだけ表情を緩めるイヴは、心から安堵しているようだった。

「俺はちゃんとイヴ嬢の傍にもいるよ」

「私は別にいいよ」

 疲れたようにそう言って、イヴは再びアルフレッド達の方を向く。

 クリスも倣うように彼らを見つめて、僅かに拳を握った。

「昔二人の間に何があったのかって、やっぱり教えてくれないよな」

「別にいいけど」

 えっと声を漏らして弾かれたように振り返るが、イヴは前を見つめたままで視線は交わらない。

 真意を測りかねて眉根を寄せるクリスに、彼女はあくまでも静かな声で言う。

「私は誰に話しても傷つかないからいいよ。クリスなら知っておくべきだとは思うしね。でも、アルフレッドには絶対私が言ったって言わないでね」

「……そんなに嫌な話?」

「嫌な話には違いないけど、私がそれを気にしてると思われるのが嫌なんだよ」

 実際気にしているが、それを彼に事実として知られるのが嫌だ。

 そう淡々と告げるイヴに、クリスは最早苦笑を貼り付けるしかなかった。

 ――あいつの前でも、アルって呼んであげればいいのに。

 そう言ったところで彼女が素直に呼ぶはずがない。そう予想がついてしまうことが、何よりも寂しかった。

2月14日 誤字訂正

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