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キティ  作者: 岸部碧
3/19

『少し休憩する』

 そう書かれた紙切れを手にしたイヴは、呆れたように溜息を吐いた。

 十九歳という若さ、そして女という身でありながら王子付き側近を務める彼女は、当然主人の身辺警護の他にも仕事がある。主人の手となり足となり、仕事のサポートを細々しなければならない。

 その為に少し執務室を出て戻ってくれば主人の姿はなく、代わりにぽつんと机に書置きが残されていた。

 主人の机を一応確認してみれば、急ぎだと伝えた書類は既に目を通し、署名や気になる点のピックアップなどは終えているらしい。どうせなら急ぎではない書類も片付けてから休憩してほしいとは思ったが、まあいいだろうと許してしまう自分は甘い。

 反省しつつ、イヴは執務室を出る。反省したところで治りそうにもない自分の甘さに、また溜息が零れた。


「お、イヴ嬢はっけーん」

 昼時だからか人通りの少ない廊下をまっすぐに突き進んでいたイヴの背に、不意に飄々とした声がかけられる。振り返ってみれば、案の定、クリスが書類を丸めて望遠鏡のようにこちらを覗いていた。

 書類を丸めるなよと思いつつとりあえず目礼をすると、彼は人のよさそうな笑みを浮かべて歩み寄ってくる。

「こんにちは、イヴ嬢。ご機嫌いかがですかな?」

「こんにちは」

 淡々としたイヴの挨拶にも、クリスは無視をされなかっただけいいと満足そうに笑った。

 キャラメルブラウンの髪は少し長めで、分けられた前髪から覗く瞳も同じ甘い茶色をしている。同じ美形でもきりっとした印象のアルフレッドより、甘い顔立ちのクリスの方が王子様のようだ。

 確か二十一歳だったか、とイヴが考えているとも知らず、令嬢方の大好きな優しい笑みでクリスはイヴを見つめる。

「ご機嫌よろしくはないようだ。俺がそんなに嫌い?」

「珍しく仕事をしてるみたいだけど、アルフレッドに用事?」

「うん、今日も絶好調だね。好きだよ、イヴ嬢のそういう所」

 にこにこと笑うクリスはどこか嬉しそうに見えて、イヴは何も言う事ができなかった。


 彼が、あまり自分の容姿を好ましく思っていないのは知っていた。

 親しいアルフレッドの前では、クリスも何も気にせず自然体でいられるのだろう。時々、傍にイヴが控えていても愚痴めいた物を零すことがある。

 侯爵家を継ぎ、次期宰相ともなる身の上であれば、自然といい物でも悪い物でも構わず引き寄せてしまう。その上にこの容姿となれば、貴族の令嬢方が醜い争いを繰り広げるのは目に見えていた。

 幼い頃からすぐに剣の腕を極めようと社交界から離れたイヴだったが、あの世界が決して綺麗なだけではない事は知っている。

 様々な思惑や欲で擦り寄る女達に、彼は辟易しているのだ。

 恐らく身内、そして親友のアルフレッドにしか打ち明けていないだろう本音をイヴの前でも晒しているというのは、きっと本当に彼がイヴを好意的に思い、信用にたる人物だと思っているからなのだろう。

 全く媚を売らず、それどころか次期宰相を無視すらするイヴの態度を気に入っていることは、普段彼と接していればなんとなくでもわかった。


「私はクリスを嫌ってる訳じゃないよ」

 淡々とした声音に、ブラウンの瞳が僅かに見開く。

「アルフレッドの友人を嫌うはずがない」

 そう言葉を続けたイヴを見下ろし、クリスはふっと笑った。

「イヴ嬢は本当にアルへの忠誠心がすごいね。尊敬しちゃうよ」

 馬鹿にしているように聞こえるそれに、イヴは眉間に皺を寄せる。

 人形のような顔立ちで剣呑な空気を出されると恐さ倍増といったところだが、既に見慣れてしまったクリスはへらりと笑うだけ。

「そういえば、アルは一緒じゃないの? 側近殿」

「アルフレッドなら少し休憩してるけど」

「休憩、ね」

 にたりと笑うクリスを見る限り、大人しく執務室で紅茶を飲んでいる訳ではないとわかったのだろう。アルフレッドの休憩がそれで済めば、今まで彼に仕えた者達が不平不満を零す事もなかったはずだ。

 クリスは「ならちょうどいい」と、無表情を保つイヴに楽しげに微笑みかけた。

「この書類をアルに渡したら、俺も少し休憩しようと思ってたんだ」

 言外に『今から二人で外に抜け出して遊びます』という一応の報告が含まれているのをしっかりと理解したイヴは、溜息を吐かずにはいられなかった。

 恐らくストレスが原因だと思われる生え際の後退に悩んでいるベイリアル侯爵に先日こっぴどく叱られたばかりだというのに、アルフレッドもクリスも懲りる様子はない。

 もちろん息抜きは必要だ。二人の場合、仕事もしっかりこなしているのだから文句は言わない。ただ、守護をする者としてはあまり不用意に出歩かないでほしいのだ。

 アルフレッドは次期国王で、クリスは次期宰相。二人とも国を背負い、支える大事な人間だ。

 もし二人の身に、万が一の事があれば。考えたくもないが、その可能性を考えない訳にはいかない。

 無表情の中に微かに複雑な表情が混じるを見つけたクリスは、困ったように笑う。

「イヴ嬢って、意外と心配性だったりする?」

「……主人の心配をするのは当然だと思うけど」

 心外だと言わんばかりに鋭くなる眼差しに、違う違うと慌てて両手を振った。

「イヴ嬢って冷静っていうか、あまり動じないタイプだからさ。それに、アルはそこいらの兵より腕が立つしね」

 ははは、と苦笑する次期宰相を見つめ、イヴは少々面白くない気持ちで僅かに視線を落とした。

 アルフレッドは黙々と勉強するよりも剣術や馬術に熱心で、才能もその方面に長けていた。時々兵に混ざって試合をするが、あっさりと勝ってしまう事もよくある。

 イヴとアルフレッドが剣を交えた事はないが、先日城下で立ち回った時のように何かと事件を引き寄せる王子の所為で共闘する機会も多く、その実力はイヴもよくわかっていた。

 ――ほんと、守り甲斐のない主人。

 心中で悪態をつくと、クリスが思い出したように言う。

「じゃあこれ、置いてくるから。イヴ嬢はアル呼んできて。いつもの所で合流しよう」

 すっかり丸めた跡がついてしまった書類を振りかざし去っていく背中に、イヴは人知れず溜息を吐いた。それから一度頭を振り、気を取り直して踵を返し歩き出す。

 本日の王都も快晴。アイクレス王国は比較的温暖な気候で、春が長く冬は短い。冬を越して少し経ち、ぽかぽかとした陽気が心地好い。

 今日はもう王子が誰かと謁見する予定もないので、帰る時間さえあまり遅くならなければ大丈夫だろう。

 残りの書類とこれから増えるだろう書類を頭の中で思い浮かべ門限を計算しつつ、廊下を抜けて外へ出る。さわさわと木々が揺れる中、イヴはきょろりと周囲を見回し、ほとんど感のようなものに従って歩みを進めた。

 すると、一本の木の上に人影がある。

 太い枝に腰を下ろし、幹に背を預けるようにして寝こけている男を見つけ、イヴはアイスグリーンの瞳を細めた。金にも見える茶髪が、風にさらわれて微かに揺れている。

「アルフレッド」

 木の傍に立ち、イヴは少しだけ背伸びをしてアルフレッドの足を軽く叩いた。

 うすらと瞼が持ち上がり、微かに声を漏らしながらアルフレッドがイヴを見つける。

「……イヴ……?」

「うん」

 ふわふわとまだ夢見心地が抜けていない声に、イヴは銀色の瞳をじっと見つめ返した。

「……ああ……、夢か……」

「夢?」

「ああ、お前と初めて会った時の夢を見た。……そういえばここだったな」

 眩しそうに目を細めたアルフレッドは、幼い頃の日々に思いを馳せているのだろう。

 イヴも何も言わずに自分達を囲む木々を眺め、つい懐かしく感じて口元を綻ばせた。

 初めてイヴとアルフレッドが出会った日。あまりいい出会い方とは言えないかもしれないが、それでも二人にとっては大切だった。

 イヴは緑からアルフレッドに視線を戻し、静かに呼びかける。

「アルフレッド、クリスが一緒に『休憩』しようって」

「クリスが? あいつと外に出るのは久しぶりな気がするな」

 スタン、とアルフレッドが軽い身のこなしで枝から飛び降りた。

 その表情はやはり嬉しそうで、イヴは自分の心も高揚するのを感じる。心配はあっても、彼が喜んでくれるならそれ以上に嬉しい事はない。そう素で思っている。

 既にクリスが待っているだろう西門近くの城壁へ向かいながら、イヴは一度きゅっと拳を握り締め、広い背中を追いかけた。


  *


 王都の片隅にある、甘い香りを振り撒く花屋。

 茶色を基調とした外装は可愛らしく、季節の花々が私を見てと言わんばかりに笑っている。


「アルフレッドさん! イヴさん!」


 その店先で水遣りをしていた少女は、歩み寄ってきたアルフレッドとイヴに気付くと花にも負けないほど嬉しそうに笑みをたたえた。純粋無垢な瞳がきらきらと輝いている。

 まるで子犬のようだと思いつつ、アルフレッドは少女に向けてひらりと片手を上げた。

「よう、カーラ。無事就職できたみたいだな」

「はっ、はい! 本当にお世話になりました!」

 バケツと柄杓を持ったままがばりとお辞儀をする少女――カーラは、先日知り合ったばかりの田舎娘だ。都へ来て暫く経つが、まだどこかそわそわとした感じが消えていない。

 顔を上げたカーラは待ち焦がれた主人を出迎える子犬よろしく無邪気に笑っていたが、よかったと同じく笑みを返すアルフレッドとその隣に並ぶイヴを見つめなおした途端、何かを思い出したようにはっと顔を青褪めさせた。

「わ、私っ、なんて事を! おお、王子様を気安く名前で呼んだりして……!」

「わー! 落ち着けカーラ!!」

 今にも死にそうな顔で叫んだカーラに、慌ててアルフレッドが駆け寄る。

 それはだな、と落ち着かせたり説明したり忙しいアルフレッドの姿を眺め、傍観していたクリスが同じく傍観しているイヴに問いかけた。

「なんだ、身バレしてるんだ?」

「どこかの侯爵のお陰で」

「……あー、それは悪い事をした」

 所構わず怒鳴り散らす己の父を思い出しクリスが苦笑を浮かべた頃、ようやくカーラも落ち着いたらしくアルフレッドにしきりに頷いていた顔を上げ、イヴとクリスを見つめる。

 そこでようやく、初めて会うクリスの存在に今気付いたのだろう。きょとん、と丸くなる瞳に、クリスは優美に微笑んで見せた。

「初めまして、可愛いお嬢さん。俺はしがないアルの友人のクリスです。クリスでいいよ」

「え……あっ、はい! カ、カーラです。初めまして……」

 赤く色付いた頬を恥ずかしそうに両手で隠すカーラを見て、クリスはにこにこと笑うだけ。

 そんなキャラメル色の頭を叩いたのはアルフレッドだった。

「こら! お前! 所構わず威嚇をするな!」

「ええ、人聞き悪いな。別に威嚇じゃないだろ」

「充分威嚇だ! 女相手だとすぐそうやって……」

 店先にも関わらず騒ぎ始めた二人を視界に入れることすらせず、イヴはカーラにとりあえず詫びを入れる。

 こんな所で騒いでは迷惑だろうと思ったのだが、別に構わないだろうとカーラは苦笑した。店主はどうやら今店を開けているらしく、カーラ一人で番をしているそうだ。

 務め始めたばかりなのに大丈夫なのか、と思いつつも何も言わないのがイヴである。


「カーラ! サービスはまだ有効だよな?」

「はい、もちろん!」

 いつの間にか喧嘩紛いをやめたアルフレッドとクリスが、何やら相談しながら店内に入っていった。

 何とはなしにその様子を眺めていると、カーラが不思議そうに声をかける。

「店長にはもう事情を話して、許可をもらってますから。イヴさんもお好きなお花を選んでください」

「……花はよくわからないな。嫌いじゃないけど、特に好きでもない」

 こんな自分にただ飾られているよりは、もっと愛でてくれる人に買ってもらう方が花も喜ぶだろう。

 色とりどりの花に囲まれて真剣な顔つきで選んでいるアルフレッド達を見て、自然とそう思った。

 ふっと、イヴは表情を緩める。風が白く透ける金髪をさらう。

 穏やかで、優しい微笑に、思わずカーラは彼女の髪に手を伸ばした。そうっと撫でると、細い髪が絡まる事なく指の間をすり抜けていく。

「……はッ! す、すみません!」

 僅かに見開いたアイスグリーンの瞳に慌てて手を離し、カーラは顔を真っ赤にしてあたふたと手を振った。

「あんまり綺麗だったから、つい! すみません!!」

「そんなに謝らなくても」

 自分の髪色が一般的に綺麗だと評されるのは既に知っている。特に気にする事もない。

 申し訳なさそうな顔を作るカーラに首を傾げると、彼女は胸の前で落ち着きなく手を握って、おずおずとイヴを見つめた。

「イヴさんは、アルフレッドさんの側近なんですよね。だから、騎士とかそういう人って、髪を伸ばしちゃいけないみたいなのがあるんですか?」

「いや、ないよ。私はただ鬱陶しいから短くしてるだけ」

「ええっ! もったいない!」

 カーラはあえりえないとすら言いたげにショックを受けている。

 女の子らしい発想だと思いつつ、イヴは自分の前髪を摘んでみた。

 もったいないなんて思った事はない。必要のないものはいつでも捨てられる。それだけの覚悟をしたのだ。

「髪を伸ばして強くなるなら、いくらでも伸ばすけど」

「お前は女の髪をなんだと思ってるんだ」

 呆れた声に振り返れば、選び終えたのかアルフレッドとクリスが店先にまで出てくる。

 ――女の髪に口を出すようなフェミニストだったっけ。

 不思議に思い見つめていると、銀色の瞳が不満そうにイヴを見下ろす。大きな手のひらがイヴに伸び、抵抗も身構えもしない彼女の耳にそっと髪をかけた。


「――綺麗だったのに」


 たおやかに細められた瞳に、強く胸が揺さぶられる。その瞳に映る情景が記憶の中から勝手に溢れ出して、どうしようもないほど苦しくなった。

 ――そんな顔、されても。

 何も言えなくなったイヴを知ってか知らずか、アルフレッドは彼女からカーラに向き直る。

「カーラ、これで。いくらになる?」

「それだけでいいんですか?」

 頷いたアルフレッドがカーラに会計を済ませる様子を眺め、イヴは内心首を捻った。買ったはずの花を彼は持っていない。

 クリスが持っているのかと隣に並んだ彼を見遣ると、実に楽しそうな笑みに見下ろされていた。

「イヴ嬢って上品だったり勇猛だったり鈍感だったり、ほんと面白いよね」

「は?」

「今日は城に戻るまで、大切な主人の為にそのままでいてやって」

 ほら、とでも言うように店の窓を指した指を辿ると、髪に小さな花を挿した自分と目があった。

 白く愛らしいそれに触れようとして、やめる。自分のこの手では簡単に折ってしまいそうで、怖くなった。

「――イヴ、行くぞ」

 中途半端に頭に伸ばされていた左手を掴み、先を行くアルフレッドの背中を見つめる。

 いつの間に、こんなに大きくなったのか。自分とこんなにも体格差をつけるまでに、彼が何を見てきたのか。

 それを知らない自分がひどく情けなくて、イヴは彼から強引に手を引き抜き隣に並んだ。

2月12日 誤字訂正

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