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キティ  作者: 岸部碧
12/19

12

 ずん、と扉の傍に微動だにせずに立っている男を、クリスは呆然と見つめた。

 一応長身の部類に入るクリスが首を曲げ見上げなければならない程大柄なその男は、歩けば地鳴りでもしそうな程の威圧感をその身から放ち、筋肉が覆う四肢は太く、クリスの脳内に『筋肉達磨』の文字がぼんやりと浮かぶ。

 決して狭いはずがないこの執務室がとても窮屈に思えるほど、その存在感は大きかった。

「んー……なんだかアル忙しそうだし、お邪魔みたいだから退散させてもらおうかな」

「待て待て待て! 俺を一人にするな!!」

 入ってきたばかりの扉を再び開けようとしたクリスだったが、現実逃避でもするかのように机にかじりついていたアルフレッドの悲痛な叫びがそれを阻んだ。

 気さくでとっつきやすい性格ではあるが、さすが王子様というか生意気なところのあるアルフレッドが、こんなに必死に懇願するのも珍しい。そもそも窮屈を嫌う彼をこの場に一人残すのは、さすがに酷だろう。

「……とりあえず、状況説明からしてもらえる?」

 げんなりとした顔を隠しもせず、振り返ったクリスは再び大男を見上げた。


「自分はサルク騎士団副団長を務めております、ガイ・エイルマーと申します」

 大きな体を折り曲げて礼をするエイルマーを、ソファに腰かけたクリスは少々呆気にとられたまま見つめた。彼の胸に光るのは、赤い騎士団のバッチだ。

 数回父親に同行してサルク騎士団の詰所には赴いたが、案内はいつも団長のクリスがしてくれるので他の騎士など全くといって知らなかった。その点、アルフレッドは視察ついでに手合わせもしてもらうので、騎士にも多くの知り合いがいる。

 確かにアルフレッドの言っていた通り、窮屈そうな男だ。もちろん人柄がどうのではなく、その巨体が同じ部屋にいると押し潰されそうな錯覚に陥る。

「本日よりイヴに代わり、しばらくの間アルフレッド殿下にお仕えする事になりました」

「そういえば、今日はまだイヴ嬢見てないけど。何かあったの?」

「イヴは今日から休暇だ。昨日報告を受けた」

 執務机に頬杖をついたアルフレッドが、苦虫を噛み潰したような顔をして言った。

 あの万年主人にべったりのイヴが、休暇。

 なかなかイヴと休暇が結び付かず、クリスはついついきょとんとする。

「どうしてそんな突然……って、今日からって事は、何日も休むのか?」

「一週間。父上から命じられたそうだが、父上には尋ねても軽くかわされた」

 苛立たしげにアルフレッドが舌を打つ音が響いた。

 とにかくこの件に関してアルフレッドの意思は全く含まれていないのだろう。

 クリスは苦笑し、ちらとエイルマーを見遣る。

「それで代わりがいるのはわかったけど、どうして近衛兵団じゃなくて騎士団から?」

「近衛兵を突然動かす訳にはいかないそうで、陛下より直々に騎士を一人貸し出すよう昨日命じられ、団長に自分が抜擢された次第です」

「言い訳がましいだろ。何を考えているのかさっぱりわからん」

 とことん機嫌が悪いアルフレッドが吐き捨てると、エイルマーは僅かに身を縮めたようだった。

 クリスは二人の様子を見つつ、ティーカップに口をつける。いつもと同じ茶葉のはずなのに全く違う味がして、なんだか胸の内がもやもやするのを感じた。

「じゃあ、イヴ嬢は今頃領地に向かう馬車の中? 一言くらい言ってくれればいいのに」

「……いえ、王都にあるベレスフォード伯爵家のタウンハウスに滞在するそうです」

 面白くない気持ちで肩を竦めれば、エイルマーがおずおずと口を開く。

「何か困った事があればいつでも言ってくれと言われましたので、恐らく休暇中はずっと城下にいるつもりなのでしょう」

「……それもそれでどうなのかなあ。たまには実家に顔出してあげればいいのに」

 イヴに対する兄と姉の溺愛具合を目の当たりにしてしまうと、やはり彼らの両親も相当にイヴを可愛がっているに違いないという確信が生まれてしまう。

 クリスの中の先のベレスフォード伯爵夫妻はどこか気弱そうな、穏やかなおしどり夫婦だったのだが、あのアグレッシブな子供達を育てたのだからそれ相応の熱いものを持っているのだろう。

 苦笑を浮かべるクリスを不思議そうに見つめていたエイルマーは、どこか言い辛そうに「あの」と声をかける。

「クリス様は、イヴと親しいのですか」

「親しい……のかな。俺は気に入ってるけど」

 もちろん友人として、とクリスはアルフレッドに向かってニヤリと笑いながら付け加えた。

 エイルマーは僅かに表情を曇らせる。

「……イヴは、ここでもうまくやっているでしょうか。城に上がってから、殿下に付き添って視察に来るだけで便りもくれないので、皆心配しています」

「便りなら、一応毎月ケヴィンにも送ってるだろ?」

 素気ない態度が常のイヴではあるが、兄と姉を慕っているのはアルフレッドも知っている。最も強烈なルイスの扱いが自然と酷くなっているのだが、逆に最もあっさりとしているケヴィンは剣術を教えてくれたのもあって一番信頼を寄せているようだ。

 ルイスならまだしも、ケヴィン宛の手紙ならば多少近況が書かれているのではないか。

 しかし、エイルマーは曖昧に首を振るだけだった。

「団長は『お前らなんかに見せたら減る! 俺のイヴが減る!』と騒ぐので……」

「……あー……」

 残念なイケメンの図があまりにも簡単に脳内に浮かんでしまうのが何より悲しい。麗しのベレスフォード伯爵家、あまりにも残念だ。

 少々げんなりとした顔をしつつ、アルフレッドは完全に政務の手を止めて頬杖をつく。

「優秀だぞ、あいつは。俺のスケジュールの管理からだっそ……お忍びの時も一人で俺の護衛をしてくれるし」

「あはは、確かに優秀なのもあるけどさ、イヴ嬢はどっちかっていうとアルをよく理解してるんじゃないかな」

 脱走と言いかけてわざわざ言いなおすアルフレッドに、ソーサーにカップを置いたクリスが、さも愉快だと言いたげに笑った。

「休憩を入れるタイミングも絶妙だし、王子様相手に媚びないし……甘えさせ上手だし?」

 うぐ、とアルフレッドが唸る。

 思い当たる節がありすぎる。

 居心地悪そうなアルフレッドとますます笑いを堪えきれないクリス双方を見ていたエイルマーは、ふっと僅かに笑みを浮かべた。

「よかった、心配はいらないようですね。もしイヴが嫌な思いをしているなら殴り込みの許可を出そうかと……」

「え、騎士様とは思えない物騒な言葉を聞いた気がするんだけど」

 さらりと放たれた言葉に、クリスが顔を引き攣らせる。

 殴り込み? まさか王族が住まう王城に? 騎士団が?

 完全にクーデターである。

 思わず唖然としたが、丁寧な物腰に忘れかけていたエイルマーの厳つい体躯を思い出す。

 北のサルク騎士団は野蛮な事で有名である。同時に仲間意識も強い。

 仲間が不当な扱いを受けているのなら、それがたとえ王族であっても仲間の為に牙を剥くだろう。

 それは逆に善王であれば彼らはどの騎士団よりも忠誠を尽くしてくれるという事で、独裁的な王を産まない為の王族への牽制もでき、だからこそ現国王やアルフレッドも彼らを信用している。

 相変わらずだなと思わず笑ったアルフレッドは、けれどどこかやり切れないといった表情でエイルマーを見つめた。

「イヴは、そっちではどうだった? あいつはあまり自分の事を話したがらないから、騎士団での話を聞いてみたいと思っていたんだ」

「そうですね……団長がいるので自分も特別イヴと親しい訳ではなかったのですが、イヴの事はずっと尊敬しています」

「尊敬?」

 クリスが不思議そうに首を傾げる。

 確かにイヴがすごいのは知っているが、イヴより一回りは年上のエイルマーが彼女を尊敬していると言うと、何故だか不思議な気分になる。

 エイルマーは困ったように僅かに笑った。

「自分は訳あって他より遅れて入団したのですが、逆にイヴは異例な程早く入団していたので先輩にあたります。自分の指導をしてくれたのがイヴでした」

「異例って、そんなに早く入団したの?」

「……確か十二歳だったかと」

「十二!?」

 キャラメルブラウンの瞳が真ん丸く見開かれる。

 十六で城に上がる程だったのだからそれなりに騎士団には長くいたのだろうが、まさか十二歳で騎士団に入団するなど誰が考えるだろう。クリスが十二歳の頃なんて、歴史の授業をどうやってサボるか必死に考えていたというのに。

 唖然とするクリスの向こう側で、けれどアルフレッドは険しい表情で何かを考えるように眉を寄せる。

 エイルマーはそれには触れず、ただ眉尻を下げた。

「イヴ本人が騒がれる事を嫌ったので、入団試験に合格した事自体を団長が他には伏せたそうです。十五歳になるまでは詰所の外に出るような任務には就かず、ひたすらに鍛錬ばかりをしていました」

「十二の子供がいたら、多少やっかまれたりしたんじゃない?」

「入団当初はそういうのもあったそうですが、すぐに消えたようです。……あんなにストイックにやられちゃ、誰も何も言えません」

 エイルマーは懐かしむような目をすると、やはり苦笑を深める。

「自分も指導役だとイヴを紹介された時はふざけるなと思いましたが、一日行動を共にすればそんな思いは消えました。あんなに小さい体がこなせるメニューなのに、自分はすぐヘトヘトになって。自分が情けなくもなりましたが、イヴは馬鹿にする事もなくただ丁寧に指導をしてくれました」

 今の自分があるのはイヴのお陰だと、迷いなく言える。

 そうやって目を細めるエイルマーに、アルフレッドは胸の奥がきゅうっと縮こまるような思いがした。

「……イヴが、どうして騎士になったのか聞いた事はあるか?」

 なんとか振り絞った問いかけに、エイルマーは緩く首を振る。

「いえ。一度、聞いた事はあります。充分実践でも通用するのに任務には行かず、出世も名誉もなく、詰所で鍛錬をするばかりだっていうのに、何故そうまでして騎士でいたいのか、何故騎士になったのかと。……イヴは答えてくれませんでした」

 静かな時間が流れる執務室に、エイルマーの吐息がそっと落ちた。

「ですが、それでいいのです。サルク騎士団には訳ありの者も多い……過去など何も知らなくても、今を共に過ごせる仲間がいる事がどれだけ幸せな事か。それだけがわかっていればいいのです」

 じくじくと胸の奥が疼く。

 僅かに俯いたアルフレッドを見下ろし、エイルマーは彼の机に重ねられた書類を取った。

「宰相殿に提出してきます」

 失礼します、と閉じられた扉を、クリスはじっと見つめる。

 人は見かけによらない。筋肉達磨にしか見えないが、彼もやはり副団長として人を束ねる力を備えているのだろう。

 明らかに気を遣われてしまったと心中で苦笑を浮かべると、背後で僅かに物音がした。

 振り返ってみれば、アルフレッドが執務机に額をつけて項垂れている。

「……アル? 眠いならせめてソファで」

「イヴが泣いた」

 覚束ない子供のような声だった。

 クリスは声を発することすら忘れて、呆然とアルフレッドを見つめる。

「昨日、俺が庇って、俺が怪我をして――泣かせてしまった」

 親友が何の話をしているのかすらわからなくなりそうだった。

 あのイヴが涙を流すなど、想像できるはずがなかった。

 アルフレッドの怪我は確かに軽傷ではない。だが、治らない傷でもない。

 ましてや、王城には優秀な薬剤師や治療師がいるのだ。

 既にそういった世話にもなっているイヴがそれを知らないはずもなく、動揺はしたとしても泣くほどではないはずだ。

「俺は涙を拭うどころか、必死に堪えようとするあいつに触れる事すらできなかった」

 机に組んだ腕の中で、アルフレッドは淡々と独白を続ける。

 自分の腕を掴む手に力が入った。

「あの時俺は忘れる訳がないと言ったのに、忘れていた。……いや、イヴは変わってしまったと思っていた。本質も心根も癖も何も変わっている訳がないのに、もうイヴが泣く事なんて滅多な事ではないんだと……」

「ちょ、ちょっと待て。イヴ嬢が前にも泣いたのか?」

 ようやく声をかける事ができたクリスは、ソファに腰を下ろしたまま身を乗り出すようにして問いかける。

 アルフレッドは僅かに頭をもたげて、不思議そうにクリスを見つめた。

「知らないのか? お前、もうあの話は聞いたんだろ?」

「……お前、知って」

「お前の態度を見ればわかる」

 気が抜けたような笑みを貼り付けるアルフレッドに、クリスが苦しそうに顔を歪める。

 彼には知られないようにする約束だったのだが、やはり守れなかったらしい。

 アルフレッドは右腕に頭を乗せるようにして、ぼんやりとクリスを見つめた。

「イヴの事だから、必要最低限の話しかしなかったのか。そうじゃなくてもあいつは自分の話はしないか」

 クリスは何も言わない。

 その無言が肯定になると二人とも理解していて、アルフレッドは口元に笑みをたたえる。

「あの頃のイヴは泣き虫でな、初めて会った日も泣いていたな。……最後に別れた時も泣いていた」

 懐かしむような、けれど悔やむような声に胸がナイフで刺されたような気になった。

 俯いたクリスを一瞥し、アルフレッドはそっと目を伏せる。

「あいつが強くない事なんてずっと知っていたのに。あいつが一番恐れるものが何か知っていたのに。――俺は、あの頃からちっとも成長していない」

2月12日 誤字訂正

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