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キティ  作者: 岸部碧
1/19

 よく晴れた午後の陽気に目を細め、少女は馬車を降りた。

 微かに潮風が香る。海の方を背にして立てば、輝くように白く立派な城を見ることができる。

「おお……王都はすごいなあ」

 日差しを遮るように右手を目の上にかざして、口から零れるのは感嘆だった。


 五大陸の一つ、セレス大陸の西にある王国・アイクレス。

 海を臨むその都には国内外から多くの人が訪れ、誰もが高くそびえる王城に一度は目を奪われると言う。


 初めて王都を訪れた少女も例外ではなく、首が痛くなるほど曲げてこれでもかと城を目に焼き付けていた。

 そんな少女を見て、御者の男が可笑しそうに笑う。

「お嬢ちゃん、あんまりそうやってるとおのぼりさん丸出しだぞ?」

 ハッと我に返った少女は苦笑するしかなかった。事実おのぼりさんなのだ。仕方がない。

 楽しんで、と手を振ってくれた御者に手を振り返し、少女は歩き出した。きょろきょろと周囲を見回しながら、なんとなく賑やかな市場の方へと足が進む。

 まるでお祭りでもしているかのようだと思ったが、都ではこれが当たり前なのだろう。

 緊張や興奮で胸を一杯にしながら歩いていると、不意にどんっと何かにぶつかった。

 慌てて目移りしていた目を正面に戻せば、呆気にとられたような顔をしている青年が自分の服についた赤いものを見つめている。銀色の瞳がぱちくりと瞬きをした。

 彼の手にはサンドイッチが握られており、服についている赤と同じものが隙間から見える。ジャムだ。

 それを理解した時、少女は顔を青ざめさせた。

「すっ、すみません! もしかしなくても私がぶつかったからですよね! ごめんなさい!」

 明らかに自分の前方不注意の所為だ。

 ぺこぺこと頭を下げる少女に青年は一度きょとんとすると、まるで今その存在に気付いたというように「ああ」と呟いた。

「いい、気にするな。サンドイッチは無事だし」

「食べ歩きしてるのが悪いんだよ」

 人の良さそうな笑みを浮かべた青年の隣には彼と同じ年頃の女がいて、どこか呆れたように腕組をしている。

 咎めるような女の視線に苦笑した青年は、気を取り直すように少女を見た。

「それより、お前こそジャムついてるぞ」

「……へ?」

 ほら、と言わんばかりに青年が指した指を辿ると、確かに彼とぶつかった肩の辺りにジャムがついている。

 苦笑する青年と、きょとんとする少女。その双方を見て、女が溜息を吐いた。


  *


 日当たりのいいテラス席に座り、少女は項垂れた。

「本当にすみません……都は初めてで、右も左もわからなくて……」

「だからいいって。そんなに気にするな」

 ドリンクを片手に、青年は困ったように笑う。

 彼らはひとまず近くにあったカフェに入り、少女と青年の服についたジャムをレストルームで洗い、現在椅子にかけて乾かしている所だ。幸い二人とも被害は上着のみだったので、こうして乾くまでの時間を適当に潰している。

 穏やかな日差しを浴びながら項垂れる少女。

 彼女と向かい合うように座っている青年は、思い出したように問いかけた。

「そうだ、名前は? 俺はアルフレッド、こいつはイヴ」

 アルフレッドと名乗った彼が隣に座る女を指し、イヴと紹介された女は静かに目礼する。

 どちらも整った顔立ちをしており、騎士団に所属しているのか腰に剣を下げていた。美男美女の騎士カップルとはなんとかっこいい。

 少女は見惚れそうになるのをぎりぎり堪え、ぺこりと頭を下げた。

「カーラです。よろしくお願いします」

「よし、じゃあカーラ。ここには何しに来たんだ?」

 その問いには、こうしていても時間は大丈夫なのかという意味も含まれているような気がして、カーラは僅かに苦笑を零す。

「故郷で働いていた所が潰れてしまったので、就職先を探してるんです。どうせ新しく始めるなら、都でやってみようかなって……」

「へえ? どんな職がいいかは考えてるのか?」

「いえ、働ければ割とどこでも」

「そうか。いいんじゃないか? ここも地方に比べれば職種も多いが、あんまり選り好みしすぎると見つかるもんも見つからないからな」

 うんうんと頷くアルフレッドの隣で、興味なさげに水を飲んでいたイヴの視線が不意に向けられた。

 澄んだアイスグリーンの瞳に、カーラは僅かに緊張する。

「大通りを城に向かってまっすぐ進んで、パン屋がある角を左折、その先の赤茶色の屋根をした民家の前を右折して暫く行くと花屋がある。そこが確か働き手を募集してるよ」

「えっ? あ、ありがとうございます!」

 お礼を述べると、僅かにイヴの表情が和らぐ。

 元々人形のように整った顔立ちが一気にあたたかくなって、カーラは思わず見惚れてしまった。

 そんなカーラを見て可笑しそうに肩を震わせながら、アルフレッドが「覚えたか?」と問いかける。

 カーラは力強く頷いた。

「私、これでも記憶力には自信があるんです」

「なら大丈夫だな」

 アルフレッドが笑う。無表情のイヴと比べ、彼はとても表情が豊からしい。

 カーラは二人をじっと見つめながら、好奇心に負けておずおずと尋ねた。

「あの、お二人は……恋人ですか?」

 途端、アルフレッドが飲んでいたドリンクを噴出しそうになり、激しくむせ返った。

 苦しそうに咳き込むアルフレッドに対し、イヴは怪訝そうに僅かに眉を顰め、こちらを見つめてくる。

 なんかわからんが何かをミスったらしい。そうカーラが察知した頃、なんとか復活を果たしたアルフレッドが疲れた様子で頬杖をついた。

「まあ、なんだ……あれだ」

「あれってなんですか……」

「あー……幼馴染ってやつか?」

 歯切れ悪く答えるアルフレッドが、ちらりと視線をイヴに向ける。

 しかしイヴは視線をあわせる事もせず、無言で再び水を飲み始めた。

「……仲が悪い訳ではない?」

「さすがにそれはないと信じたい」

 首を捻るカーラに、アルフレッドが苦笑する。

 結局どういう間柄なのかはわからないが、本当に仲が悪い訳ではないらしい。それは二人の間にただよう空気から充分察する事ができた。

「いいですね、そういうの」

 つい呟いてしまった言葉に、アルフレッドが不思議そうに首を傾げた。

 イヴも興味があるのか、視線だけをこちらに寄越す。

 カーラはジュースが入ったコップを両手で包み、僅かに肩を竦めた。

「家の近くに同じ年頃の子がいなかったから、幼馴染って呼べる人がいないんですよね。そもそもそんなに人の多い町じゃなかったし、親しい人もあまりいなくて。それも、都に来た理由の一つだったりするんですけど」

 ジュースを一口飲むと、果実特有の酸味が口の中に広がる。

 眉を下げて笑みを貼り付けたカーラを、アルフレッドの瞳がまっすぐに見つめていた。

「確かに都には人が集まる。そこでうまくやれるかは、結局自分次第だ。いろんな人間がいるからこそ、やり辛い事や大変な事もある。それでも一生懸命に頑張る事ができたら、絶対に誰かがお前に気付いて傍にいてくれるようになる」

 俯きがちになっていた顔をあげると、アルフレッドが力強く笑む。隣で、イヴも同意するように微かに微笑んでいる。

 二人の笑みには何故だか心強く感じるものがあり、カーラは熱くなる胸に従ってこくこくと頷いた。

 それに満足げに目を細め、アルフレッドが立ち上がる。

「じゃあ俺のはだいぶ乾いたから、そろそろ失礼するよ」

 椅子にかけていた上着を取る彼に倣うようにイヴも立ち上がるので、カーラも慌てて席を立った。

 立てかけていた剣を腰に下げる二人に、カーラは頭を下げる。

「あのっ、本当にありがとうございました!」

「今度花屋に様子見に行くから、無事就職できたらサービスしてくれ」

 冗談めかして笑って、アルフレッドがテーブルに自分達の分の代金を置いていく。すっかり無表情に戻ってしまったイヴも、一言「頑張れ」と言い残し去っていった。

 見知らぬ土地で少なからずあった不安も、こうして他人の優しさに触れるとじわりと溶けて消えてしまう。

「二人の為にも、就職しなくちゃ!」

 胸の前で拳を作り、カーラは自分の服が乾くのをひたすら待った。


  *


 赤く燃える太陽が沈み、茜色の空も次第に藍色へと姿を変え始めた頃、カーラは途方に暮れていた。

「これは完全に……迷った……」

 何故だ、と頭を抱える。自分は確かにイヴに教えてもらった通りの道を進んだ筈だ。

 カフェを出てまっすぐ王城を目指しながら進み、目印となるパン屋を探した。しかし一向にパン屋は現れず、王城の前まで辿り着いてしまったのだ。不思議に思いながら引き返し、うろうろと彷徨っている内にあっという間に迷子になっていた。

 そんなカーラは気付かない。自分が初め大通りではなく、大通りから少しそれた道を進んでいた事に。

「どうしよう……宿も見つかってないのに……」

 周囲を見回してみるが、あるのは民家ばかりで宿は見当たらない。人に道を尋ねればよかったと後悔しても、もう夕飯時とあって人影はない。

 カーラは少ない荷物が入ったバッグの紐を握り締め、溜息を吐いた。

 すると、ぽんと軽く肩を叩かれる。背後を振り返ってみれば、不思議そうな顔をした男がいた。

「あんた、ここらで見ない顔だけどどうしたんだ?」

「あ、いえ……少し、道に迷ってしまって……」

「なるほどな、迷子か」

 それは大変だ、と男が神妙に頷く。

「じゃあ俺が送ってってやろう。どこに行きたいんだ?」

「えっ、い、いいんですか?」

「ああ、もちろん。いくら治安がよくても、女一人で夜道を彷徨うのは危ないからな」

 にっと歯を見せて笑う男に、カーラは目を輝かせた。

 ――親切な人に三人も出会うなんて……今日の私は今までにないくらいついてる!

 今すぐ教会に行って神様に感謝したい気持ちを抱えながら、男に向かってぺこりと頭を下げた。

「ありがとうございます! あの、じゃあ、どこでもいいので宿まで行きたいんですけど」

「どこでも? あんた、金はちゃんとあるのか?」

 見ず知らずの人間の懐まで心配してくれるなんて、と感動しながらカーラは頷く。

 こうして都に乗り込んできたのだから、今はそれなりに金は持っている。先立つものがなければ何も始まらない。

「そうか。じゃ、ついてきな」

 安心したように笑った男が先立って歩き始め、カーラは慌てて後を追った。

 遠くの空には、既に一番星が輝いている。

 鼻歌混じりに歩く男の背中についていきながら、ほくほくとした気分でカーラは笑みを浮かべる。

「本当に助かります。このあたりに住んでらっしゃるんですか?」

「まあな。この街ならだいたい把握してるよ」

「こんなに大きい街を? すごいですね!」

「暫く住んでりゃ自然と覚えるって」

 そう言って、可笑しそうに男が笑った。

 またまたおのぼりさん丸出しで恥ずかしいとは思ったが、迷子になった時点で今更という話だろう。

 あまり気にしないようにしながら他愛のない会話を続けていると、ふと男が足を止めた。

 先程の民家が並ぶ通りより更に暗く感じるのは、夜が近付いているからか、単に街灯が少ないからか。

「ここが宿屋なんですか?」

 とてもそうは思えないが、目の前にある建物を見上げながら尋ねる。

 しかし答えはなく、代わりに建物の影から数人の男が現れただけだった。

 そこで初めてカーラは異常を感じ、身を強張らせる。

 そんな彼女の腕を、男が強く握った。

「さてお嬢さん、痛い目見たくなかったら大人しくしろよ?」

 薄闇の中で、男達は楽しげに口元を歪めた。


  *


「アルフレッド、そろそろ帰ろう」

 闇色に染まり始めた空を一瞥し、イヴが淡々と告げた。

 人通りも街灯も少ない道を歩きながら、しかし少し前を行くアルフレッドはそれには何も言わず、ただぶっきらぼうに訂正を入れる。

「アルだって」

「アルフレッド、いい加減にしないと怒るよ」

「ちゃんと終わらせて来たんだから、もう少しくらいいいだろ?」

 拗ねた色がまじった彼の声に、イヴは内心溜息を吐く。

 そういう問題ではないだろう。そう言おうとして彼の背を見つめると、アルフレッドは横を向いて不思議そうな顔をしていた。

「なあ、今何か聞こえなかったか?」

「何かって?」

「女の声」

 いくら人通りが少ないといっても無人ではないのだから、女の声くらい聞こえるだろう。しかし、彼がそれを言っているのではないことなど簡単にわかる。

 イヴも耳を澄ませていると、微かに女の叫び声のようなものが聞こえた。

 アルフレッドを見ると、彼もこちらを見て頷く。

 二人は駆け出した。より人通りが少ない道へ入り、注意深く目を凝らしながら走る。

 そうしていると、路地の向こう側に何人かが集まっているのが見えた。

 立ち止まってみれば、愉快そうに笑う男達と、彼らに囲まれている少女。少女の姿には見覚えがあった。

「カーラ!?」

 思わず名前を呼んだアルフレッドの声に、集団の視線が一気に向けられる。

 目があったカーラは、涙を溜めたその目を見開いた。

「アルフレッドさん! イヴさん!」

 手を伸ばして助けを求めるカーラを隠すように、怪訝そうな顔をした男達が前へ出る。

 すぐさま駆け寄ろうとしたアルフレッドとイヴは、一旦足を止めた。

 物騒な目つきをした男達を見据え、アルフレッドが静かに口を開く。

「お前達が何者か知らんが、その娘を放してもらおうか」

「ふん、なんだお前ら、騎士か? たった二人で何ができるってんだ」

 つまらなさそうに吐き捨てた一人の男の目が、イヴに止まった。その瞬間、おおっと宝を見つけた盗賊のように目を光らせる。

「べっぴんつれてんじゃねえか、兄ちゃん! いいぜ、そっちの姉ちゃんと交換してくれんなら」

「……は、あ?」

「どうせなら美人の方がいいに決まってる。ほらほら、このガキを助けたいならさっさと寄越しな」

 ビキ、とアルフレッドのこめかみに青筋が立つのをカーラは見た。

 イヴは聞いているのかいないのか、明らかに怒気を振り撒く彼の隣でただ腰に下げた剣に手をかけている。

 まるで合図を待っているようだ。そう思った時、スラリとアルフレッドが剣を抜いた。僅かな光を反射して、刀身が煌く。

「その汚い口を閉じろ。これ以上、こいつを汚すような言葉を吐くのは許さん」

「……へえ? じゃあ交渉決裂ってやつだな」

 ニヤリと男が下卑た笑みを浮かべると、いつの間にか剣やポールなどを手にした男達がアルフレッドとイヴを取り囲み始める。

 イヴはちらりとアルフレッドに視線を投げた。

「……アルフレッド」

「アルって言ってるだろ。これが終わったら帰る。それでいいな?」

 男達を見据えながらも拗ねたように言うアルフレッドに、イヴは小さく溜息を吐く。そして彼女が剣を抜くと、それを引き金にするように男達が一斉に襲い掛かった。

 野太い掛け声と共に振り上げられた武器を、アルフレッドは受け止め、弾き返すと男の腹に蹴りを入れる。イヴは俊敏な動きで軽々とかわし、隙ができた男を確実に仕留める。

 鮮やかとさえ言える二人の動きに、カーラはただ呆然と事の成り行きを見守った。

 呻き声や悲鳴が、薄暗い夜道に響く。

 そうしてカーラを捕まえていた男が慄き逃げ出す頃には、二人の足元には呆気なく敗れた男達が転がっていた。


  *


 ボロボロとしか形容できないなりをした男達が連行されていく。

 イヴがつれてきた騎士団に男達を引き渡し、アルフレッドはぼんやりと様子を眺めているカーラに向き直った。

「カーラ、大丈夫か? 怪我は?」

「あっ、はい! 大丈夫です!」

 我に返り、カーラは慌てて両手と首を振る。もう少し彼らが到着するのが遅かったら危なかったかもしれないが、二人のお陰でギリギリ何もされずに済んだ。

 二度も助けてもらったことに対してお礼を述べると、アルフレッドは呆れたように溜息を吐いた。

「全く。知らない人についていくなって、教わらなかったのか?」

「あはは……」

 最早苦笑するしかない。

 困ったように、申し訳なさそうに笑うカーラを見下ろし、アルフレッドがもう一度溜息を吐くと、城の方向を見つめていたイヴがおもむろに口を開いた。

「ねえ、あの人来たよ」

 ぎくり、とアルフレッドが表情を強張らせる。

 それを見てカーラが首を傾げると、


「何をなさっておられるのですか!!」


 突然、男の怒声が投げつけられた。

 大きく肩を揺らし、カーラは声の主を確かめる為に振り返る。

 すると怒り心頭と顔面に書き殴っている男が、ツカツカと歩み寄ってくるのが見えた。

 一体何事だと困惑しているのはカーラのみで、イヴは素知らぬ顔で目を伏せ、アルフレッドは面倒臭そうに顔を顰めている。

 一目見て上等だとわかる服を纏ったその男は、アルフレッドの目の前まで来るときつく彼を睨みつけた。

「真面目に仕事をしていたかと思えばいつの間にか姿をくらまし! イヴがいるから安心かと思えばこの騒ぎ! 一体あなたは私の血圧をどこまで上げるおつもりか!!」

「いやな、誤解だ。本当は日が暮れる頃に帰る予定だったんだ。な? イヴ」

「……」

「おいちょっとは味方しろよ」

 視線すらあわせないイヴにそう訴えるが、それさえも男がごうごうと燃やす怒りの炎に油を注ぐ結果となってしまう。

 ぶちっ、と何かが切れる音がした。

「わざわざ言い訳などなさらなくて結構! 私はあなたの子守役ではないのですよ!? ちゃんと理解しておいでか! アルフレッド殿下!!」

 男がものすごい剣幕で投げつけた言葉に、カーラはぎょっとした。

 目を見開いたカーラに気付き、アルフレッドがしまったと言いたげに苦笑する。

「でん、か……?」

「……おっと、これは失礼」

 そこで初めてカーラの存在に気付いたらしい男が慌てて口を噤むが、口から出てしまった言葉は今更消えたりはしない。

 アイクレス王国において、カーラが知る殿下と呼ばれるだろう存在はただ一人だ。国王の一人息子――アルフレッド王子殿下。

 まさか、とカーラは息を飲む。

 恨めしそうに男を睨んでいたアルフレッドは、そんな彼女に悪戯っぽく笑った。弧を描く口元に、人差し指を立てて。

「騎士に案内を頼んだ。今度こそ宿に行けるぞ」

「え、あっ、あの……っ」

「サービスの約束、忘れるなよ。またな」

 ひらりと手を振ったアルフレッドが、行くぞとイヴに声をかけ城の方へ歩き出す。

 男も一礼すると彼についていき、イヴは「約束なんてしてないでしょ」と細く溜息を吐いた。

「またね、カーラ。気をつけて」

 柔らかく微笑んだイヴにカーラはこくこくと頷き、慌てて彼らに頭を下げた。

 顔を上げれば、まだ男に何か言われながら歩くアルフレッドと無関心を貫くイヴの背中が見える。

「……また」

 噛み締めるように呟き、カーラは照れ臭いような気持ちでその背中を見送った。


 五大陸の一つ、セレス大陸の西にある王国・アイクレス。

 華やかな都は海を臨み、その都を展望するは美しい王城・イオーラ。

 ――これはそこで綴られる、王子と側近の物語。

2月12日 誤字訂正

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