緋色の聖職者
午前八時に朝食を終えると、ホテルの自室に戻り、カーテンを開けた。
予定では午前九時に臨月署に向かうことになっている。
次長に昨日の少女の件を連絡してから、捜査資料の内容を再び読むことにした。
カバンからそれを取り出して、ベッドに腰掛ける。
そして、一文一文丹念に読み始めた。新たな発見があるかもしれない。
改めて痛感したのは、これをまとめた次長率いる捜査班の優秀さだ。的確かつ論理的に推論を組み立て、この町にまだ犯人がいることを示している。
ならば、次の疑問が僕の頭に湧き上がる。
なぜ、この捜査班が出張らないのか?
これ以外にも大きな事件が起きたから、そちらの捜査を優先させるという名目で次長は若手の僕たちにこの事件を振ったわけだが、何か意図がありそうな感じがする。
そもそも、次長の指示に間違いはほぼないといっていい。
僕は彼がこと仕事に関して失態を犯すところは見たことがない。
有能という陳腐な言葉では片付けられない、一種の神がかり的な才能を内包しているのだ。
資料を読み終えてカバンに突っ込んだ時だった。
僕の携帯が着メロを流したのは。
そのメロディは前世紀に流行った猫型ロボットのアニメを思い出させる。
「凛ちゃん? すぐにロビーに降りてきて」
有無を言わせぬ強い口調だ。
僕はすぐにネクタイを締めてスーツに袖を通すと、駆け足で目的地に向かった。
そこには既に小雪さんと刑事と思しき中年の男がいた。
がっしりとした体格と咥えたばこが印象的。ラグビーでもしていそうな外見である。
「連続殺人事件の容疑者を捕まえたと捜査協力者から連絡があった。場所はルーテリア教会だ。すぐに現場に直行する」
僕と小雪さんは体格のいい男に急かされて、ホテルの前にとめてあったパトカーに乗り込んだ。
サイレンをばら撒きながらパトカーは町を疾走する。
「刑事さん」
「権藤だ。君は十六夜くんだね」
「すみません、権藤刑事。その協力者というのは誰なのですか?」
運転している権藤刑事はいかつい顔をしかめている。
「ルーテリア教会司祭エルクロスだ。彼はこの事件の捜査に情報面で協力してくれている」
その顔には悔しさがにじみ出ていた。本職の刑事よりも民間人が犯人を捕らえたとあっては面目丸つぶれだろう。
「そのエルクロスさんというのは聖職者なんでしょう? 武器を携行しているだろう犯人を取り押さえるのは難しいのでは?」
「伝えていなかったな。彼は格闘術の達人なのだよ。そこらへんの殺人犯を押さえ込むのは造作もない」
協力者がそんな頼もしい人物だとは知らなかった。
「すまないな。君の――いや、警視庁次長の指示でね。この情報はまだ伏せていたのだよ」
「いえ、それよりも教会の人間に被害は?」
「今のところは出ていないそうだ」
「そもそも、今回の犯人の狙いは誰だったのでしょうか?」
「エルクロス司祭が言うには、司祭本人だそうだ」
なるほど。
警察と協力関係にある人物を殺す。殺人犯の思考としては有り得る。放置しておけば後々自分に不利になるからだ。
「着いたぞ。十六夜くん、南雲くん、一応警戒しておいてくれ」
パトカーから急いで降りると、僕たちは教会の中に駆け込んだ。
僕たちを迎えたのは巨大なステンドグラスを背にして立っている男だった。年の頃は三十代半ばだろうか。
「エルクロス司祭、ご協力ありがとうございます」
彫りの深い顔に金縁のメガネをかけた中背の男は優しく微笑みながら
「いえいえ、私はただ己の務めを果たしたまでです。権藤刑事、容疑者は司教室に拘束してありますので、署に連行していただけますか」
と歌うように言った。
とてもじゃないが、格闘術の達人には見えない。テノールの声質が心地よく、声優か歌手であってもおかしくないと思った。
「今時いるのね、緋色の髪オールバックにしてる神父って」
「小雪さん、失礼なこと言わないでください」
法衣を上品に翻して、エルクロス司祭は僕たちに目を向けた。顔に張り付いた微笑みはそのままで。
「はは、いささか可笑しいことは承知しております」
いや、めちゃくちゃおかしい。
「これは最近の祖国イギリスのトレンドでしてね。他には三つ編み神父もいますし……モヒカン神父だっているんですよ」
そんなカオスな場所だったのかイギリス。
「冗談はともかくとして……挨拶が遅れましたが、はじめまして。このルーテリア教会の司祭を務めさせていただいております、エルクロスです」
「ご丁寧にありがとうございます。私は警視庁捜査一課特務係所属、十六夜凛です」
「南雲小雪でーす」
「小雪さん、仕事中なんですから、だらけた挨拶しないで真面目にやってください」
ふん、とそっぽを向かれてしまった。
やっぱりこの人は特務係にいたほうがいいのかもしれない。
「はは、嫌われてしまいましたかな。それに、そうですか。君が十六夜刑事ですか」
エルクロス司祭は反芻するようにつぶやく。彼が僕のことを知っているとは思えない。大体、僕は次長と違って有名人ではないのだから。
それから五分程度、僕はエルクロス司祭に犯人について質問していた。教会に入ってきた時間、その様子などなど。
結局、参考になる答えは得られなかったが。
それにしても、彼の声は涼やかで心地よい。まるで、魔法にかけられているかのように。
「話し中悪いが、犯人の護送を手伝ってくれないか」
「すみません、権藤刑事。小雪さん、行きますよ」
小雪さんは講堂にある扉の鍵穴を真剣な表情でがちゃがちゃといじっていたが、無言で頷いて、僕より先に教会から出た。
「では、エルクロス司祭、ご協力ありがとうございました。失礼します」
僕は教会から出る前に司祭に一礼する。
捜査に協力してもらったからには失礼のないようにしなければならないと思ったからだ。
「いえいえ、とんでもない。お役に立てて幸いです。またいつでもいらしてください。南雲刑事、もしよろしければ今度はディナーにご招待したいものです」
最後まで司祭は聖職者らしく人あたりの良い微笑みを崩さない。小雪さんには怒ってもいいと思うんだが。
僕はもう一度頭を下げてから、権藤刑事と一緒に犯人――河原田と名乗った中年男――を臨月署に運ぶ仕事に取り掛かる。そういえば、河原田といえば指名手配中の快楽殺人者だと記憶している。
小雪さんが教会に向かって、あっかんべーをしているのを見たが、放っておいた。昨日の酒が残っているのだろう。きっと道中にバナナの皮を踏んづけて、滑って転んで冬の池の中にダイヴしたところに獅子座流星群が雨あられと降り注ぐというぐらいの天罰を受けるに違いない。
僕は権藤刑事と共にパトカーの後部座席に河原田を押し込む。脱走しないように両脇を僕たちで固め、運転を小雪さんにまかせた 。
それにしても、この犯人は護送中にしては穏やかな表情をしている。普通逮捕されれば、笑みを浮かべる余裕はないはず。それとも、他に何か理由があるのだろうか。あれこれと疑問が浮かび上がる。中には考えたくないような可能性まで思い浮かんだ。疑うことが商売の、この仕事は最適解を求めることが最も難しい。
運転席では小雪さんがぶつくさ言っている。
あのエセ神父が気に食わないだの、あのクソ教会爆発しろだの、とんでもないことばかりである。本当に、そのうち天罰が当たりそうだ。その天罰すらも酒瓶で返り討ちにする可能性もあるが。
逆に、河原田の両脇に座る権藤刑事は不気味なくらい終始無言だった。
とりあえず、これで今回の事件における僕の仕事は終わったことになる。
ミッションコンプリート。
すぐに次長に逮捕成功との電話を入れた。