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夜の少女 Ⅰ

 ホテルの外に出ると、呼吸を整えた。心臓がドラムのように鼓動しているのはただ単に女性に免疫がないからである。

 さて、どこに行こうか。

 腕時計を見ると午後九時。

 折角だから、散歩でもしてみよう。

 そう思って僕は歩き出した。

 でも、僕は繁華街が嫌いだ。

 人が多すぎるところが嫌いだ。

 だから、一人になれるところを探すことにした。

 そして、行き着いた先は高台だった。

 そこは人々の生活の灯火が燈る街並みを見下ろすことが出来る場所。

 田舎ならではの静かな空間は僕にとって居心地がいい。星空を見上げて、僕はガリレオ=ガリレイやコペルニクスといったあまりにも有名な天文学者たちを思い浮かべた。我ながら貧困な発想力だ。

 あの頃は町の人工的な明かりが今よりも少なかったから、きっと今よりも澄みきった星空が見えたに違いない。

 じゃり。

 僕の後ろで地面を踏みしめる音が聞こえた。

 音自体は小さいので、多分相手は小柄なのだろうと瞬間的に察する。僕は警戒心を悟られぬように、振り向いた。

「あ……」

 少し怯えたような、でも鈴の音を思わせる綺麗な声。

 人形のように整った顔の少女がいた。予想通り小柄で、僕の頭一つ小さいくらいの身長をしている。夜空と対照的な白い法衣を纏っている。十代後半だろうか、その服装のせいで大人びた印象を受けるが、顔立ちはあどけない。

 僕はその顔を見て警戒を解いた。

 彼女に害意はない。

 それとは逆に彼女は僕に警戒感を抱いたようだった。黒曜石のような瞳がそれを如実に語っている。

 彼女は月明かりに濡れた長い銀髪を揺らしながら、数歩あとずさる。

「すみません、誰かいるようでしたので……」

 消え入るような声だ。そんなに僕が怖いのだろうか。ああ、この黒服だし、頭にやのつく自由業に間違えられたのかな。

 見る限り、ルーテリア教会のシスターさんだ。明日の捜査に何か役立つかも知れないし、探りは入れておこう。

「いいえ、僕の方こそすみません。ところで、何をしておられるのですか?」

「星を見ようと思って……」

 歯切れが悪い。黒ずくめだし、やっぱり怖がられているのだろうか。彼女から情報を得るのは難しいかもしれない。

 僕は簡単に諦めてしまった。よく考えれば、女性から情報を引き出すなんていうテクニックを僕が持っているはずがない。現実は厳しいのである。小説の世界によくいる美形探偵がほいほいとやってのけるようには作られていないのだ。

 でも何だろう。少し彼女には違和感がある。

 それは印象的な銀髪が原因ではない。

 頭にまとわりつく違和感を振り払うように首を振って、夜空を眺めた。

 彼女はおどおどしながら、僕から少し距離をとる。そして、星空を見上げた。

少し欠けた月がちょうど雲間に入ったところ。

星空を写す彼女の瞳に先程までの怯えはない。ただ愛でるように見上げている。

 月が再び顔を見せたときに、その違和感の正体を理解できた。彼女の頬に不自然な痣がある。それは小さいものだが、間違いなく殴打によるものだ。

「少しお聞きしたいのですが」

 なるべく相手を怖がらせないように、穏やかな声を出す。

「その頬の痣はどうされたのですか?」

 彼女の肩がびくりとした。

 何かに怯えるような表情をする。柄にもなく、せっかくの顔が台無しだと思った。

「僕はこれでも刑事なんです。何かあるのでしたら、お話しください。力になれるかもしれません」

 身分を明かしたくなかったが、仕方ない。暴力事件が起こっているのかもしれないし、何より仕事を中途半端にしておくのは自分の流儀に反する。

「大丈夫、ですから」

 小さな声での答え。

 震える身体を両手で包み込むようにしている。間違いなくそれは寒いからじゃない。

「そうですか……」

 本人に話す気がないなら仕方ない。

 よほど警戒されているらしい。

「星、お好きなんですね」

 彼女は少し驚いた顔をして、僕を見上げた。

「はい」

 予想していた答えだ。

 何気ない一言で表情が変わる。生気にあふれた瞳が僕の瞳をとらえた。慈愛に満ちた聖女のような優しい瞳。

「今は冬の大三角形が見えるんです。ほら、あそこにある青白く光っている星、見えますか? あれがシリウス。それで――」

 人が変わったように喋りまくるシスターさん。やっぱり、女性ってよくわからない。

「ええとですね、位置関係でいうと、この教会がシリウスなら、駅前にある一番大きなビルがベテルギウス、それからあのホテルがプロキオンにあたります」

 彼女が指差したホテルは僕たちが滞在しているホテルだ。文字通り三角形をしているのはわかるが、例え方がおかしかったので苦笑する。

「あ、すみません。私、天文がすごく好きで。ついつい、喋りすぎてしまいました」

「いえいえ。ところでシスターさん」

風舞観月かざまいみつきです」

「失礼、自己紹介もしないで。僕は十六夜凛です。もしかしてこの町の地理に詳しいですか?」

「はい。ここは私の第二の故郷ですから」

 それ以上の詮索はやめておく。どうやら、彼女は根掘り葉掘り物事を問われることが嫌いなタイプだろうから。

 僕は視線を彼女から空へと移した。

「本当に、ここはいいところです。僕の住んでいる町ではこんな素敵な夜空にはお目にかかれない」

 僕の口からこんな言葉が出てくることは珍しい。親近感を覚えることに抵抗があるからだ。

「……じゃあ、明日も見に来られますか?」

 その声は先ほどとは打って変わって落ち着きを携えている。

「ああ、そうですね……酒をかっくらって猥褻物陳列罪に該当する闖入者が僕の安眠を妨げることがあればまた来ます」

「それはまた難しい条件付ですね」

 僕の科白がおかしかったのか、彼女はくすりと笑う。

 目の前に表れる年頃の少女の微笑み。

「ルーテリア教会で告白したいことがあれば、ぜひお越しください。いつでも、聞いて差し上げますから――」

 携帯が鳴る。

 僕のではなくて、彼女のものだ。

 それを聞いて、彼女の表情が曇る。携帯を開いて、かちかちと白く細い指で操作していくにつれ、その表情には怯えが加わっていく。

「すみません、私帰らないと……」

「その、大丈夫ですか?」

 目と目が合う。全ての光を飲み込むような純粋な黒の瞳が僕を捕まえた。

「もしかして、あなたは――」

 彼女から一瞬だけ怯えの色が消え、その代わりに強い意志が宿った。

「あ、ごめんなさい。何でもありません」

 ぺこりとお辞儀をして、小走りで去っていく。その後ろ姿はまるで死に神に取り付かれているかのように見えた。

「彼女の身辺の調査もしないとな」

 課題が一つ増えてしまったな、と一人ごちる。

 星空は何も知らないかのようにいつもの顔を見せている。

 腕時計は午後十一時だと告げていた。

 そろそろ帰ろうと足をホテルへ向けたが、その足取りは重い。

 やはり、あんな少女が被害者になっているかもしれないということはそれだけで胸糞が悪い。

 しかし、勝手に別の事件の捜査にあたるのはまずいかもしれない。明日の朝になったら次長に相談して判断を仰ごう。

 ホテルの部屋に帰った僕の目に飛び込んできたものは酒瓶を握り締めたまま豪快に大の字になって寝ている小雪さんの姿。

 女性のいびきがこんなに壮絶なものだと僕は初めて学習することになった。

連続投稿です。

とりあえず出し惜しみせずにじゃんじゃんと。


あらすじがまずかったのか……


ではまた次回お会いできることを祈りつつ……

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