グッドナイトスイートハート
権藤刑事と小雪さんが帰ると、僕は小雪さんが置いていった小説を読みふけっていた。
読書は僕の数少ない趣味の一つだ。
まるまる一冊読み終えた時にはすでに夜になっていた。
そんな時だった。風舞さんが見舞いに来てくれたのは。
黒のロングスカートと灰色のニットのセーターを着ているせいか、いつもと雰囲気が違う感じがする。
僕の中では彼女イコール法衣となっていたのだ。
「あの、お怪我の具合は……?」
最初に出会った頃と同じような、少し元気のない声。
でも、その声には怯えがないと思った。
「大丈夫ですよ。肩に銃弾が当たっただけです。すぐに治ります」
彼女は心配そうに屈んで、僕の左肩をじっと見る。
慣れない甘い香りが僕の鼻孔をくすぐった。
「そんなに心配しなくても……」
その姿勢はやめてほしい。彼女の身体と比べてセーターのサイズが大きいので、見ちゃいけないものが色々と見えてしまう。目のやり場に困るのだ。
僕は無理矢理に目をパイプ椅子に移して、彼女にそれをすすめる。
「と、とにかく立ち話もなんですから、座ってください。そこに椅子がありますから」
彼女は無言でパイプ椅子をベッドのそばに寄せて座った。
「十六夜さん」
「はい?」
「どうして、私なんかをかばったんですか?」
愚問だなと思ったが、答えることにした。
「一般人を守るのが刑事の仕事だからです。というか、そうしたかったからですよ」
「どうして?」
「だから、理由なんかありません。前も言ったと思いますけど、目の前で人に死なれるのが嫌だからです」
彼女は僕の答えを聞き終えると、俯いた。
表情は前髪に隠れて見えない。
「ごめんなさい……」
喉から絞り出すような声。
雫が頬を伝って、ぽとぽととスカートの上に落ちる。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
壊れた人形のように謝罪を繰り返す。
その姿は見ていて辛かった。いつかの自分と重なって見えたからだ。
「落ち着いて。僕は幸い生きてるし、あなたが悔やむことじゃありません」
「……許してくれるのですか?」
「許すも許さないも、悪いのは撃ったヤツでしょ? だから、彼は僕たちがきっちり逮捕します」
ポケットに入っていたハンカチを差し出す。
義務感はなかったけれど、こうしなければ何となく気分が悪かった。
「あ……ありがとうございます……」
ハンカチを受け取ると、そっと涙を拭う。
その仕草はとても上品だった。
「落ち着きましたか?」
「……はい」
彼女はハンカチを膝の上に置くと、右手をぐっと強く握る。数秒してから、それを解く。
その間の彼女の表情は迷いに満ち溢れているように見えた。
「ごめんなさい、もう大丈夫です」
彼女は顔を上げる。
漆黒の瞳は柔らかく、僕を見つめた。
「あなたは不思議な人ですね」
「はい?」
彼女も結構不思議だと思う。
「最初はちょっと怖かった。黒い服着ていて、途中から偏見も混ざっていって。黒って嫌いだったから。でも……」
「その感覚は正解ですよ。僕は時々自分が人間らしいと思えなくなるから」
「どうして?」
「どうしてと言われると困るんですけど……僕は自分で物事を選択してこない生き方をしてきたから、かな。そして、何かを選ぶにしても与えられた選択肢の中からしか選べなかった。いや、選ばなかった」
自嘲気味に話す僕を彼女はずっと見ていた。慈しみのこもった瞳で。
「アバウトに言うなら、僕は考えることを放棄していたんです。もしかしたら、今もそうなのかもしれない。敷かれたレールの上に沿って、与えられた選択肢の中から最適解とされるものを、期待された模範解答を選んで生きてきた。だから、僕は自分が人間らしいと思えない時があるんです」
何だか喋ってて情けなくなってくる。
ふわりとした何かが僕の両手にあたった。
「そんなことありません」
慈愛に満ちているような、穏やかな声。
彼女は両手で僕の両手を包み込んでいた。ほんのりと温かい。その姿はまるで聖女のよう。
「あなたはきっと優しい人です。たとえ弱くたって、弱いあなたは人間らしいですよ」
コンコンとドアをノックする音がした。
「十六夜刑事、エルクロスです。入ってもよろしいですか?」
ぱっと彼女は手を放した。
顔が真っ赤になっている。
「はい、どうぞ」
と返事した。
「失礼します。大事ありませんか?」
エルクロス司祭は法衣姿のままでやってきた。赤毛オールバックの聖職者は相当病院内で目立ったことだろう。
「あの……通報されませんでしたか?」
言った後で気づいた。何だか最近、僕は小雪さんの悪影響を受けている気がする。
「はい?」
エルクロス司祭が素っ頓狂な声を出した。
「あ、いえ……その、何でもありません」
隣では風舞さんがくすくすと笑っている。
癇に障ったのだろうか、彼は風舞さんを一度睨んでから
「とにかく、大事ないようで幸いです」
と穏やかに述べた。
「ありがとうございます。じきに回復すると思いますので。それより、臨時の神父さんは来られたんですか?」
「はい。今日から仕事をしてもらっています。明日の集会にも参加してもらうつもりです」
「その方と一度お会いしたいのですが、よろしいですか?」
「はあ……構いません。しかし、十六夜刑事は怪我をしておられます。怪我が治ってからでも良いのではありませんか?」
「いえ、出来れば早めにお会いしたいのです。昨日の事件に関連するかもしれませんし」
エルクロス司祭は面白そうに表情を崩した。
「ほう。あなたの推理ではそうなのですね」
「推理なんて大層なものではありません。推測の域を出ていませんよ。ただ、可能性はあると思います」
「もしよければ、その推理を聞かせていただきたいのですが」
「まだ推測です。確実に手札が揃った時にお話しできると思います」
まだ小雪さんと権藤刑事以外に手の内は明かせない。
「わかりました。その時を楽しみにしています。シスター、帰りますよ」
「は、はい……」
小さな声で、いたずらをして叱られた子供のように返事して、風舞さんは椅子から立ち上がった。
エルクロス司祭は僕に背を向けたままで
「十六夜刑事、今日はこれで失礼します。また教会にいらしてください。では、おやすみなさい」
と穏やかな声で言う。
「エルクロス司祭、今日はわざわざありがとうございました」
彼女は僕に背を向けてから、一度だけちらりとこちらを見るとエルクロス司祭の背を追うように部屋から出て行った。
「あの手、柔らかかったな……」
無意識に呟いて、僕はベッドに身を沈める。
ちょうど睡魔が襲ってきて、深い眠りに落ちた。
おはようございます、jokerです。
暑いですね。中学校で日本は温帯に属するとか習ったわけですが、熱帯に変更してもいいんじゃないですかケッペンさん。
さて、そろそろ四分の一か五分の一終わったかな、くらいです。
大分削るところは削っていますので、多分全体を通して十万字は割ると思われます。気付いた方は気付いていると思いますが、大方の登場人物が『月』に関係する名前になっています。権藤刑事と小雪さん除く。
ではまた次回お会いできることを祈りつつ……




