火事と晩餐と告白と
それからというものの、下校時間になるまでの間、九割近く記憶がない。頭にズキズキするのだが理由を覚えていない。授業の内容もお弁当の中身も覚えていない。記憶に残っているのは菜々美が学校を休んだということと、俺の死がほぼ確定したということ。笹川は俺の横で憐れみを持った表情で見つめてきている。もうどうしようもないのだろう、やっぱり俺の人生は不幸で幕を閉じるようだ。誰もいなくなった教室にいるのは俺と笹川だけである。
どうせ死ぬのなら、最後は好きなものを食べてベットの上で眠るようにして死にたい。俺は教室を出て町に向かう。後ろから笹川が無言でついて来る。近くのスーパーでお菓子を買えるだけ買おう、ジュースも買おう、最後の晩餐だ。
死ぬことは悲しむことではないのだ。人間いつかは死ぬ。俺はそれが少し、ほんの少し早かっただけなのだ。
スーパーに行く途中で多くの人たちとすれ違う。俺は今どんな顔をしているのだろうか……? 無理矢理ポジティブにならなければ泣きそうなのがわかる。表面上だけでも死を受け入れなければ感情が溢れ出してしまう。泣けば誰かが同情してくれるのか。だけど、同情されれば何かが変わるのか。同情は神に抗えられる力を俺に与えてくれるのか。残念だが、人間はそんなに凄くはないのだ。運命は変わらない。スーパーが見えてきた。
「火事だ――――――!!」
唐突に耳に入ってきた声に俺は身を震わせた。声はスーパーの方から聞こえてきた。まさか神は俺に最後の晩餐すらさせないつもりか!! だがスーパーからは煙は上がってない。燃えているのはスーパーの裏手にある民家。俺のそばをたくさんの人が横切っていく。野次馬魂は誰にもあるものなのか。俺もその一人だ。こんな時でもやはり、非凡なことが起こるとそれが心をくすぐる。俺はスーパーから後ろの民家に路線変更。民家の周りはすでに多くの野次馬が囲んでいた。大口を開けて家を見上げる者、携帯で写メを撮る者、何処かに電話をしている者、やっていることは三者三様である。家は半分の燃え方が激しい。外から故意に燃やされたような燃え方だ。
「知ってるか、これ例の放火魔の犯行らしいぜ」
俺の疑問に答えるように野次馬の二人組の会話が聞こえてきた。
「マジかよ!?」
「マジマジ、さっき聞いたんだけど、ここから逃げるように去って行った奴を目撃した奴がいるんだってよ。それと実は中に人がまだ残ってるんだってよ」
「おいおい、それ本当かよ!? 誰か助けに行かねーのかな?」
誰も行かねーだろ、死にたくねーもん――野次馬の二人組の話が聞こえたのはそこまでだった。そうか、中にまだ人が残っているのか。俺より少し早く死んでしまうのか、もしかしたら三途の川で会えるかもしれないな。俺は踵を返し、少し距離があるが別のス-パーに向かう。そこのスーパーは火事のせいで機能していない。
「どこに行くんですか?」
その場を去ろうとしていた俺を笹川の声が制した。振り返って笹川と向き直る。二人の沈黙が周りの喧騒に包まれる。笹川の眼は明らかに非難していた。その目に俺は深く大きな溜息を吐いた。そして口火を切る。
「もういいだろ、これも運命だったんだよ。俺が死ぬのも、中の人が死ぬのも。それとも何か、この事件もそっちの手違いなのか? お前らの仕事はそんなにいい加減なのか?」
きっと俺はとてつもなくひどい顔をしている。命を見捨て、命をあきらめて、人としての顔をできているのだろうか? 周りにこの声は聞こえているのだろうか? 一人で意味不明なことを言っているこの少年に気付いているのだろうか?
「あなたが中の人を救うかどうかはあなた次第です。ですが、ここであなたが見捨てたならあなたは地獄に行くことになります」
何で、と俺が聞く前に笹川が話を続ける。
「そんなに驚かなくても。それは当たり前でしょう、助けられる命を見捨てた人が天国に行けるほど甘くありませんよ」
そうやって笹川は俺を追い詰めようとする。無理矢理にでも中の人を助けさせようとする。天国を選ぶのか、地獄を選ぶのか、そんなの一択じゃないか!! 俺は家に目をやる。さっきより火の手が広がり入ることすら危うい。俺は人混みを掻き分け、制止する声にも従わず家の中に跳びこんだ。
家の中はもうあちこちが炎に包まれ、行ける場所が限られている。熱さで呼吸がしにくい。俺は袖を口に当てながら炎の僅かな隙間から人影を探す。見逃していたら救うことができないだろう。人影を見つけられない俺が見つけたのは、二階に上がる階段。それは天国への導きか、地獄の入り口か、そんなこと確認してる暇なんてない。俺は二階に駆け上がった。
「いたっ!!」
二階の廊下、探し人はそこにうつ伏せに倒れていた。恐らく煙を吸いすぎたのだろう。それならば早く連れ出さなければ、ここまで来た意味がなくなる。俺は倒れていた人に駆け寄った。所々が黒く汚れている。俺は少し考えてから倒れている人の両腕を持って肩に回した。そして、体を背中に乗せる。おんぶをした俺はすぐそこまで迫っている死から逃れるために階段を一段飛ばしで降りる。一階の火力はすぐ俺たちを呑み込もうとしていた。俺は一直線に走った。熱気に包まれようとすぐ近くで何かが爆ぜる様な音が聞こえようと駆けた。開いたドアから外が見えた。
ドアに跳びこむ。顔を地面に擦ったが気にしている暇はない。大きく息を吸って吐く。酸素がこんなに美味しく感じられる日が来るとは思わなかった。俺を囲んだ野次馬たちに口々に讃えられた。俺はそんなことは正直どうでもよかった。
ゆっくりおんぶしていた人を降ろした。よく見ると、女性で、どこかで見たことのあるような。というよりも、こいつは。
「菜々美!?」
俺の声のせいか、周りの声のせいか、俺が助けたパジャマ姿の少女――俺の想い人である菜々美――が咳をしながら目を覚ました。目が霞んでいるのか目がしっかり開いていない。俺の顔をしばらく見つめて、少し首をかしげる。何かを言ったようだが小さすぎて聞き取れない。俺が耳を近づけて菜々美の言葉を聞こうとしたが、後ろからの強力な力に引き剥がされた。
「救助者二人確保!!」
俺を引っ張ったのは、消防隊員だった。俺たちは救急車に運ばれ、放水が開始される。救急車は二台。俺と菜々美を運んでくれるものだろうが、俺にはまだやることがある。
「菜々美!!」
俺の呼び声が菜々美に聞こえているかは分からない。それでも伝えたかった。俺の想いを。試験とかそんなものは関係なしに言いたかった。
「菜々美!! 好きだ!!」
その瞬間、急に意識が遠のき、目の前が真っ暗になった。