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根なしの味わい  作者: 小鳥遊綜一郎
硝子の森の記憶蜜
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 森の奥へ進むにつれ、頭上の枝葉はいよいよ緻密さを増し、空からの光は幾千ものプリズムを通したように、七色の帯となって降り注いでいた。

 足元には、誰かが落とした三角フラスコのような形をした草花が咲き、そのしべからは、燐光を帯びた淡い青色の粉がこぼれている。


 モンドとゼフィは、苔すらも緑色の硝子繊維でできた切り株に腰を下ろしていた。

 先ほど採取した「記憶蜜」が入ったビーカーは、不思議なことに、外気よりも僅かに温かい。

 それはまるで、小動物の体温のような、あるいは遠い日にポケットの中で握りしめた懐炉かいろのような熱を帯びていた。


「……さて。毒見といこうじゃねえか」


 モンドは好奇心という名の病に突き動かされ、小指の先を琥珀色の液体に浸した。

 とろりとした重み。

 それを舌先へと運んだ瞬間、彼の視界が「ボウッ」と白く爆ぜた。


 味覚ではない。

 それは直接、脳髄の奥にある映写機に光を当てたような感覚だった。


 口の中に広がったのは、砂糖を焦がしたカラメルの香ばしさと、日向の匂い。

 そして、古いオルガンの音色。

「ああ、あの日はいい天気だった」という、根拠のない、しかし絶対的な幸福感が胸の奥底から湧き上がり、血管という血管を駆け巡る。

 今の旅の疲れも、次にどこへ向かうべきかという迷いも、すべてが金色の光の中に溶けて消えていくようだった。


「……こいつは、たまげた。極上の酒よりも、たちが悪ぃや」


 モンドの口調が、夢現ゆめうつつのようにトロリと鈍る。

 瞼が重い。

 このまま硝子の砂の上に横たわり、永遠に葉擦れの音を聞いていたいという欲求が、鉛のように四肢を縛り付けていく。

 そういえば、俺はなぜ旅なんぞしているのだろう。

 ここにいれば、もう二度と、靴底を減らすこともないのに。


「モンド様、瞳孔が開いていますよ。……そこまでにしてください」


 冷ややかな、しかし凛とした声が、甘い微睡まどろみを切り裂いた。

 ゼフィの手が、モンドの手からビーカーを優しく、けれど強引に取り上げる。

 彼女の顔を覗き込むと、その表情は硝子細工よりも硬く、どこか悲しげであった。


「この森の木々が、なぜ硝子なのか。……もうお分かりでしょう?」


 ゼフィは周囲の木々を、まるで墓標を見るような目で見渡した。


「これらは皆、かつては生き物でした。あるいは、ここを訪れた旅人だったのかもしれません。彼らは『過去の美しさ』に囚われ、前へ進むことを止めたのです。時は流れず、変化を拒み、ただ思い出だけを反芻する存在……それが、透き通った不変の硝子へと姿を変えるのです」


 風が吹き抜け、「キーン、コーン」と、先ほどよりも高い、警告のような音が森全体に響き渡った。

 モンドはハッとして、自分の手を見る。

 指先が微かに、蝋細工のように白く透け始めているように見えた。


「なるほどな……。過去ってやつは、美しい棺桶ってわけか」


 モンドは慌てて手を振ると、江戸っ子の矜持を取り戻すように、べらんめえ口調で毒づいた。


「けっッ、冗談じゃねえ。俺はまだ、思い出話で茶を啜るような年寄りじゃねえんだ。……だが、ゼフィ。こいつは厄介だぜ。

 身体がいうことを聞きやがらねえ。この蜜の味を知っちまった心臓が、『ここから動くな』って叫んでやがる」


「ええ。それが『記憶蜜』の呪縛です。

 忘れられない過去への執着は、未知なる未来への恐怖そのものですから」


 ゼフィは立ち上がり、外套の裾を翻した。

 その仕草は、舞台の幕を引く役者のように決然としていた。


「モンド様、この森を抜けるには、ただ歩くだけでは足りません。この甘美な引力を断ち切るための、ある『儀式』が必要です」


「儀式だあ? 祭りの神輿みこしでも担ぐってのか?」


「いいえ。……もっと単純で、もっと残酷なことです。この蜜を、最高の料理に昇華させ、そして『消化』してしまいましょう。

 過去を崇めるのではなく、血肉に変えて使い潰すのです」


 ゼフィの瞳の奥で、理知的な光が冷たく瞬いた。

 それは、停滞した時間を再び動かすための、静かなる宣戦布告であった。

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