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青葉の林は薄い銀色に揺れ、風に乗って光の粒が踊った。
モンドは腰をかがめ、濁りを帯びた鏡果を慎重に摘み取った。
その果実は、かつての甘い透明感を失い、苦味と影を宿している。
ゼフィは静かに後ろに立ち、村長のことを思わせる沈黙を抱えたまま、森の空気を確かめるように目を巡らせていた。
「おい、ゼフィ、こいつ……相当な苦味だな。心の奥底まで映しやがるってのは本当みてぇだ」
モンドは果実を手のひらで転がしながら、皮肉混じりに呟いた。
ゼフィは軽く頷き、森の奥の泉へ向かう足取りを示す。
泉の水面には銀葉の影が映り、歪んだ果実を見つめる者の心まで映すようだった。
森を抜け、二人は小さな作業小屋へと足を運ぶ。
そこは里の北端にある、石と木で造られた簡素な建物で、霧が少しだけ隙間から差し込む。
火を起こし、摘み取った濁り果を鍋に入れるモンドの手は、自然と慎重さを帯びていた。
ゼフィは香草や水の量を手早く整え、果実の苦味を和らげるための工程を静かに指示する。
「この苦味、ただ消すんじゃなくて、包むように煮るんです」
ゼフィの言葉にモンドは頷く。
「包む……ほう、なるほどな。心の苦味もな、こうやって受け止めりゃ、少しは和らぐってわけか」
火にかけると、濁りを帯びた鏡果はゆっくりと澄み始めた。
透明感が戻るわけではない。
だが、果実の表面に小さな光の筋が走り、森の銀葉の煌めきを思わせた。
モンドはふと、森の奥で立ち尽くす村長の姿を思い浮かべる。
彼の目には、長く隠してきた罪と恐怖の影が宿っていた。
「さて……そろそろ、あの人に顔を出してもらわねぇとな」
モンドは小さなため息をつき、ゼフィに目配せする。
二人は鍋を抱え、森の縁まで歩み出した。
そこに立つのは、体を小さく縮めた村長、イロハだった。
足は森に踏み入れられず、泉や木々の輝きを遠くから眺めるしかできなかった。
その目は何度も鍋を覗き込み、心の奥底で揺れる何かを隠そうとする。
「村長様……」
ゼフィの声は穏やかに、しかし確実に届いた。
イロハは振り返る。微かに震える手が、顔を覆うこともなく、ただ膝の前で組まれている。
「こちら……見ていただきたいものがございます」
ゼフィは手を差し伸べ、鍋を近づける。
香草の香りと、火で温められた鏡果の湯気が、苦味の影を少しずつ柔らかく包み込んでいく。
モンドは横で皮肉を抑え、静かに観察する。
「これを……味わう覚悟はできているかねぇ、村長さんよ」
イロハはうなずくことも拒むこともできず、ただ湯気の向こうに揺れる濁り果を見つめた。
その目には、恐怖と後悔、そして微かに希望が混じり合う。
森で果実を摘む手は震え、鍋の中の果実の変化を見守ることしかできない。
火が果実を温め、苦味は角を失い、ゆっくりと穏やかに澄み始める。
イロハの胸に積もった嘘の層も、少しずつ解けていくように感じられた。
言葉にならない思いを抱え、イロハは静かに、初めて森に一歩踏み出す勇気を取り戻す。
「……我が罪を、少しだけ話そう」
それは小さな告白だった。
だが、イロハの心の重みは、このひと鍋の鏡果煮と共に、少しずつ軽くなっていった。
モンドは傍らで手記の言葉を心に浮かべる。
“心の苦味は、共に味わえば薄れる”
銀葉の光が森に差し込み、濁った鏡果はまだ完全ではないが、甘さを取り戻し始めていた。
森の風は穏やかに、そして確かに変化を告げていた。
イロハは一歩を踏み出し、二人に向かって小さく頷いた。
モンドもゼフィも、深い森の中で、誰もが抱える影の存在を感じながら、料理の力がもたらす静かな救済を目の当たりにしたのであった。




