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根なしの味わい  作者: 小鳥遊綜一郎
月光に揺れる魚影
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板戸を引くと、内には静謐な空気が漂っていた。

畳はよく磨かれ、柱の木目には長い歳月が刻まれている。

奥の壁には淡墨の掛け軸がかけられ、花入れには野の花がひっそりと活けられていた。

差し込む朝の光が障子を透かし、畳の上に淡い影を落とす。

外のざわめきは遠ざかり、室内には凛とした静けさが広がった。


宮司は座布団を勧め、二人は深く礼をして腰を下ろす。

その所作はどこか厳かながら、温もりがあり、これから語られる言葉への期待を自然と高めていた。


「昔はですね、赤も白も豊かで、浅瀬でも深場でも漁は順調でした」


モンドは姿勢を正し、首を傾げる。


「白ひげナマズは……特別な魚だったのですか?」


宮司はゆるやかに頷き、声を和らげた。


「ええ、白ひげナマズは祝いの膳に欠かせぬものでした。村の家々にとって、晴れの日には必ず食卓に上がる、いわば象徴のような魚でしたな」


ゼフィがふと顔を上げる。


「水明花は、昔からこんなに目立つ花だったのでしょうか?」


宮司は小さく笑い、首をかしげた。


「いいえ、あの頃は今ほどではありませんでした。花は沼の片隅に静かに咲く程度でしてな。こうして水面を覆うほどに目立つようになったのは、近年のことです」


言葉を継いだ宮司の表情には、わずかに翳りが差した。


「それに……ここ数年は白ひげナマズの不漁が続いておりましてな。祝い事に欠かせぬ魚でしたが、仕入れも難しく、昔ながらの習わしも変わらざるを得なくなってきました」


モンドは小さく頷き、ゼフィも静かに息を吐いた。


「昔の沼や村の暮らしを、少しでも記録に残せたら……」


宮司は微笑んで頷いた。


「そうしていただけると、私としても嬉しい限りです。どうぞ、ゆっくりご覧になって、記録なさってください」



社務所を後にした二人は、朝の光に包まれた小道を歩きながら宿へ戻った。

庭の水面が揺れ、朝露に濡れた草木が柔らかく輝く。

モンドは歩幅を揃えつつ、宮司の語った白ひげナマズの話を静かに反芻した。

ゼフィも、池に咲く水明花や村の昔の光景を思い浮かべ、軽く息を吐く。


宿の自室に戻ると、二人はそれぞれ机に向かい、手記を開いた。

モンドは筆を取り、宮司が語った村の漁や祝い事の話を、できる限り正確に記録に残そうと集中する。

ゼフィはそっと傍らに座り、必要な補足を口にしつつ、手記に深みを添えた。



今日、宮司様より拝聴せしは、昔の沼の様子なり。

浅瀬にても深場にても、赤ナマズも白ひげナマズも豊かに揚がりしとのこと。

ことに白ひげナマズは、祝いの膳に欠くべからざるものにして、村人の暮らしに常のごとく用いられしものなり。

水明花は、当時は今の如く目立つものにあらず、静かに水面に咲き、彩りを添えしのみなり。


今日の沼を観察すれば、白ひげナマズは深場にて散見され、赤ナマズは浅瀬にも深場にも揚がりしを認む。水面には数多の水明花が咲き乱れ、光を映して沼を鮮やかに彩りたり。



モンドは窓の外の沼を眺め、肩の力を抜いた。


「眺めていても飽きねえな。昔と今じゃ、ずいぶん様子が違う」


ゼフィは手記から顔を上げ、水面を見つめる。


「白ひげナマズは深場でじっと、赤ナマズは浅瀬で大はしゃぎ……面白いですね」


モンドは微かに笑い、筆を手にし首を傾げる。


「こうして文字にすると違いがはっきり見える。赤は浅瀬で群れ、白は深場で静か。水明花も光を受けてそよいでいる。なんとなくだが、赤の増え方と白の減り方、花の広がりには関係があるような気もする」


ゼフィは手記に視線を戻し、穏やかに頷く。


「全体の動きや景色の変化は一目では理解できませんけれど、自然の移ろいの中で互いに影響し合っているのかもしれませんね」


モンドは肩をすくめ、少し皮肉めいて呟く。


「まあ、全部は分からねえ。でも、こうして目にしたものを書き留めると、あとで『ああ、もしかして』ってことが見えてくるもんだ」


二人は静かに手記を前に座し、沼の光景を思い浮かべながら筆を進める。


外の水面には朝光が揺れ、赤ナマズが浅瀬を舞い、白ひげナマズは深く潜む。

水明花はそよぐ風に軽く揺れ、淡い光を反射してきらめく。


モンドは筆を止め、窓の外の景色に目をやった。

ゼフィも顔を上げ、水面の揺らぎと影を見つめる。


「昔と今で様子は変わっても、命の営みはこうして静かに続いているのですね」


二人の間に言葉はなくとも、沼の光景が静かに語りかける。

筆先が紙の上を滑る音だけが、部屋の静寂に溶ける。

時が止まったかのようなそのひととき、目に映る自然の移ろいと文字に刻まれる記録が重なり、やわらかな余韻を二人の胸に残した。

筆は、静かにその命の息吹を記録していった。

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