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根なしの味わい  作者: 小鳥遊綜一郎
水底の藍稲
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水面は蒼く、空の色を映すよりも深く、沈黙の湖は微かな泡立ちすら許さぬような静けさをたたえていた。

その湖の底に、古より伝わる城が眠ると聞き、旅人モンドは小舟に身を委ね、慎重に水面を見つめる。

水面を揺らすのは風の指先だけであり、湖の中心へと向かうにつれ、視界は青の濃淡に満たされ、やがて水底の城の輪郭が、淡い藍色の光に照らされて浮かび上がった。

城壁の石は苔むし、古の刻印が水の重みに耐えつつ、微かに光を反射している。

その光に揺れるのは、城の庭を覆う藍色の稲穂であった。

稲穂は水中で静かに揺れ、葉の先端から滴る水珠はまるで涙のように光る。

この藍稲は、かつて城の主たちが抱えた悔恨と、後悔の記憶を糧として育ったという。

穂のひと粒ひと粒は、過ぎた罪や迷いの色を映し込み、味わえば深き哀惜が人の胸を和らげると伝わる。


モンドは小舟の端に身を寄せ、息を呑む。


「こいつは……なかなか見事な景色だぜ、ゼフィ」


彼の声は水面に反射する光の波に溶け、遠くまで届くことはなかった。

ゼフィは静かに船べりに立ち、水面の揺らめきを指先でなぞる。


「光が、稲の葉に宿る記憶を映し出しているようですね。水底の城は、ただ眠るのみならず、何かを抱えている……」


彼女の言葉は波音に溶け、湖の深さに吸い込まれていく。


城の入り口へと近づくと、壁際に散らばる古文書や欠けた器が、かつてこの城に人が生きていたことを知らせる。

文書には王族や臣下、民衆の悔恨の文字が記されており、器はかつての食卓の痕跡を残す。

それらは水の中でもなお、微かに物語を伝えるかのように漂う。


「この城……人の心の重さに耐えて沈んだんだな」


モンドは手元の手記に書き留めるように、視線を藍稲に向けたままつぶやいた。


藍稲の葉は水流に揺れ、ひそやかに光を放つ。

その光景は、目に見える以上のものを語る。

稲穂の甘くほろ苦い香気が水中に漂い、長年忘れ去られた悲しみを呼び覚ます。

だが、同時にその香気は重荷を和らげ、心を鎮める不思議な力を秘めていた。

モンドは、この藍稲を口にすることで、人々が抱えた後悔や罪の重さを少しずつ解きほぐせるのではないかと、まだ漠然とした思いを抱く。


城の門は水圧に耐えて閉ざされ、苔と藻が絡みついている。

だが、水底に沈むその門の先に、藍稲は整然と並び、水底の庭を埋め尽くしていた。

一面に広がる穂の海は、まるで悔恨の記憶を抱きしめるかのように静かで、美しく、そして恐ろしいほどに深淵であった。

モンドは小舟を静かに進め、水面に映る藍稲の光を頼りに、未知の城の中へと足を運ぶ決意を固める。

ゼフィは隣で静かに頷き、藍稲の香りに導かれるように手を伸ばした。


湖の奥深く、城の壁面に映る光はゆらぎ、稲穂は微かに囁く。

その囁きは、水底に沈む人々の悔恨と、そして、まだ救われぬ魂のために待つ料理の兆しを秘めていた。

二人はその光景を前に、慎重に呼吸を整え、城内の探索へと歩を進める。

藍稲の海は、まだ知らぬ物語の始まりを告げる序章のようであり、後悔と救済の狭間にある奇妙な静けさを漂わせていた。


モンドは小舟の端に腰を下ろし、手記を取り出す。


「この藍稲の光景、文章にしても足りん気がするな……」


ゼフィは静かに微笑み、手を翳して稲穂の光を受ける。


「ですが、旅の終わりに振り返ると、必ずこの光が、心を和らげた記憶として残るでしょう」


モンドは頷き、筆を走らせる。

水底の城と藍稲が、彼らの旅の手記に刻まれる、初めの一文として。


湖の深き静寂は、二人を包み込み、藍色の稲穂はまだ眠る城と共に、過ぎ去りし悔恨を秘めつつも、いつか和らぐ日を待っているかのように揺れていた。

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